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私は「それ」から、ローズと発掘現場の参観に行くまでの数日間を、何だか落ち着かない心持ちで過ごした。まず、ビートンさんは翌朝領地へお戻りになった。よそ目に見たビートンさんの様子には、やはり何もお変わりがない。私がささやかな期待を抱いてしまったことを、もしどなたかがご存じになったら、きっとその見込みのなさをお笑いになることだろう。
御前様はお昼まで外出されたので、私は書斎に独りきりだった。なんの跡も残っていない「それ」の場所を目にするたびに、もの悲しくなる。もちろん涙がでるほどではない。ただため息が出て、同時に頭を上げられないほどの恥ずかしさが湧きおこって、顔を覆わずにいられないような気持ちだった。幸い急ぎの御用もいいつかっていなかったので、ペンを持つ仕事は避け、本を書棚に並べなおしたり、手をつけかねていた岩石の箱詰めを解いて中身を一つ一つ確認したり、できるだけ身体を動かすことにした。そこへ、ローズからのお電話が知らされた。
私は電話機の置かれている階下の事務室まで、小走りで出向いたため、送話管に向かって名乗ったときには息を切らしていた。
「まあ、オリビア、お忙しいところだったかしら」
いつもの気さくな口調でローズの声が聞こえた。
「いいえ、気になさらないで」
私がどうにかそう答えると、ローズは楽し気に笑った。
「ご伝言どうもありがとう。シーゲル卿のご配慮にもお礼を申し上げて下さいね。それで、日程のことよ。金曜日とでお願いしたいのだけれど、構わないかしら」
「ええ、ビートンさんにお伝えいたしますわ」
「11時にミル、ミラムディッジの駅に行けばいいのね」
ローズは田舎の地名を発音しにくそうに口にしてまた笑い声を立てた。私もつられて少し笑いながら、
「メイストーンからそれほど遠くはないはずですわ」
と答えた。
「ロウフォードさんに連れて行っていただくから大丈夫よ。では、オリビア、楽しみにしているわ。ビートンさんにもよろしく」
「あ、ごきげんよう」
「じゃあね」
ローズとの電話はすぐに終わった。昼食にお戻りになった御前様にご報告すると、
「領地に電話してビートンに伝えなさい」
とご指示があった。
「はい、あの、ビートンさんにはお屋敷へご連絡したらよろしいのですか」
「あれは牧師館に住み込みだが、屋敷の者に伝えれば伝言がいく」
御前様のご説明に、私は内心、ほっとした。昨日の今日でビートンさんに直接お電話を差し上げるのは、どうにもきまりが悪い。その日の午後、スナイスさんの手が空くのを窺っていたら遅くなって、結局電話を掛けたのはお茶の頃合いとなってしまった。領地のお屋敷で、電話を受けてくださったのはまだ若さの残る声をした男性で、私が
「牧師館におられるビートンさん」
と言いかけたとたん、
「彼は御用で首都に参っております」
と性急な調子で答えられた。
「はい、今朝がたこちらを出立なさいましたので、もうお戻りの頃合いかと存じまして」
とご説明したが、
「いや、さきほど牧師館の者がまだ戻っていないと申しておりました」
と強硬に言われる。私はビートンさんがおいでかどうかを知りたいのではないと、波風立てずに説明しようとして、相手としばし混乱した会話を続けた。どうも分かり合えた気がしなかったけれど、最後には何とか用件を口にすることはできた。
「…とにかく、彼にご伝言いただけませんでしょうか、バイゼリンク嬢の発掘現場ご参観は金曜日にお願いしますと」
「え?お待ちください。貴女がバイゼリンク嬢ですか?」
「いいえ、私はブルクスアイドです、首都のお屋敷に行儀見習いに上がっておるものですわ。御前様のご用でお電話していますの」
そう伝えながら、最初にこうして自分の立場を説明するところから始めればよかったのだと、やっと気が付いた。電話を切った時、私はしみじみとローズに敬意を感じた。午前中に彼女と電話した時に、分かりやすい会話ができたのは、ローズのおかげに違いない。今度電話をかける機会があれば、用件を伝えることに夢中になりすぎずに、まず趣旨を明らかにしよう。
それにしても、ビートンさんがまだご領地にお戻りではないのが意外だった。首都のお屋敷を発たれる折には、昼までご領地に到着できるように朝早い汽車に乗られると伺っていたのだが、どこかへお寄りになったのだろうか。事故などといったことは滅多にあるはずがないとわかっていても、私はさざ波のような不安を味わった。その不安は、夕食の後になって、ビートンさんからの伝言を受けとるまで続いた。
当日の朝、私は首都の東駅にてビートンさんと落ちあい、汽車でご一緒することになる。ローズはカスターとともに、別方面からの汽車で現地に近い駅まで来て、そこで合流するのだ。
さて、そこからは、何を着ていくかについて、私はさんざん頭を悩ませた。工事現場のようなものというお話だったので、奥方様と公園や催事に出かけるような服装は不釣り合いだろう。けれど、首都の真ん中の駅でビートンさんとお目にかかるわけだから、普段着というわけにもいくまい。仕事中にもそんなことばかり気になっていたせいで、私は原稿の清書の途中で一行抜かしていたことに、後で気付いてやり直す羽目になった。
新しい帽子はどうだろうか。私は背が低いので、流行のつば広の帽子だと頭が大きくなりすぎてバランスが悪い。そこで、広い縁に沿って濃色の輪があるデザインにしてもらった。これですっきりした印象になるはずなのだが、街中ならともかく、列車で田舎へ向かうには大仰すぎるような気がする。
その日の夜、自室の鏡に向かって私は手持ちの帽子と外出着を一通り試してみた。きっと田舎道や牧草地を歩くことになるだろうから、サックスブルーのスーツがいちばんよい。スカートの片側だけに低い位置でボックススプリーツが入っていて、歩きやすい割に縦長のシルエットで、これならあまり重そうには見えないだろう。けれどもこのスーツには、新しい帽子は思った通り大きすぎる。普段お買い物に出かけるときに被っている小ぶりの帽子にするしかない。ごめんね、あなたの出番はまだないわ。心の中で謝って、新しい帽子を箱に納めた。




