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未婚の男女が二人きりで室内にあるのは、普通ならば怪しからぬ振る舞いだけれど、ビートンさんは聖職にあられる方だ。ほんのしばらくだけ、私はそう自分に言い聞かせて扉を閉ざし、テーブルのほうに向きなおった。ビートンさんはテーブルの横に立ってお皿を見つめておいでだった。午前中の雨はおさまって、今は厚い雲の間から筋のように日が差している。窓越しにそんな空模様を背景にして、困惑した顔つきで立つビートンさんの黒衣姿は、不穏な感じがした。
私がおそるおそる近寄ると、ビートンさんはひそめた声で、私にお尋ねになった。
「ブルクスアイド氏はこの皿をどこで入手なさったのです」
「よくは存じませんが、首都のどこかのお店だという話です」
私の答えは、ビートンさんの懸念を晴らさなかったらしい。重ねて、
「出入りの美術商というわけではないのですか?」
と、質問された。
「あの、叔父はこれまで美術に関心がございませんでしたので、恐らくそういった関係の商人はございません、と存じます」
「叔父?御父上ではなく?」
ビートンさんの声が高まった。私はあわてて言葉を補った。
「はい、申し訳ありません、ご説明が不十分でした。この皿は叔父のマーティン・ブルクスアイドが買い、先日お目にかかった私の従妹、ベアトリスから送って参りましたの」
ビートンさんはため息をつかれた。
「なるほど、それで私にお声が掛ったのですね。なぜ御父上がわざわざ私にお尋ねになるのかと思いました」
指先でお皿を撫ぜて、独り言のように言われる。しばし黙考の末に、もう一度私のほうに向かれる。
「ブルクスアイド嬢、正直に申し上げて、この皿は、あまり筋のよいものとは言えません。陶土のきめ細かさ、釉薬の色、諸々の特徴から見て、近代の物に違いないですが、叔父上は古代の皿と思い込んでお買い上げになったわけですね」
「そう聞いております」
「わざわざ、割って修復した後までつけて、それらしく見せかけた物。これは、恐れながら、贋作と呼ぶべき代物です」
「そうですの?叔父はきっと失望いたしますわね」
私は軽くお答えしたが、ビートンさんは陰鬱な面持ちで首を振られた。
「問題は、あなたの御父上がコレクターとして知られていることです」
そして、よく飲み込めないでいる私に、
「叔父上が古美術品を買われたとなれば、世間では当然御父上の助言があったものとみなされるでしょう。それが贋作であれば、御父上が見抜けなかったということになりますね。つまりは、御父上の鑑賞眼が貶められることになるのです」
と説明してくださった。こういうお気持ちで、他人に聞かせるべきでない、と仰ったのだと理解はできたものの、私はビートンさんのご意見にそのまま賛同することはできなかった。『深刻にお考え過ぎではございませんの』と続けようとしたのだけれども、ビートンさんは額を押さえながら、なお話し続けられる。
「コレクターというのは学者以上に感情的といいましょうか、ほんのささいな過ちでもあげつらって攻撃する風潮がありまして…私は御父上のブルクスアイド氏につきまして、以前から<協会>を通して存じ上げておりますし、優れた見識をお持ちであると、尊敬もしております。私がこの皿を贋作と判断することで、御父上の評判を損ねることは避けなくてはなりません。、御父上と親しくなさっている御前様のお立場にも影響しかねませんので」
ここまで言われると、私も少々心配になってきた。
美術品の愛好家の間に、あれこれと批判合戦があるということは、私にもなんとなく想像がつく。ビートンさんは私などよりずっとよくご存じだろう。父にもなにか、論敵のような方があるのだろうか。父は、私にそこまであからさまな話をしてくれたことはないけれど、、、
「ブルクスアイド嬢」
と、ビートンさんは、ためらいがちに私を呼ばれた。
「はい」
「私はこの皿を割ろうと思います」
「なんですって?」
私は驚いた。ビートンさんはお皿に目を据えたまま、
「これが、質の悪い贋作であったと申し上げては、いろんな方々にご迷惑がかかります。ですから、私が誤って割ってしまった、どういうものか分からず仕舞い、とするのが一番よいでしょう」
と、早口で言われた。
「そんな、ビートンさんはお皿がお好きですのに」
私の頓珍漢な言葉に、ビートンさんはちらりと苦笑いされた。
「もちろん本物には、こんなことはできません」
そしてすぐに真顔になって
「ブルクスアイド氏には私が弁償をしなくてはなりませんが、御父上と御前様の名誉を守るためであればやむを得ません」
とつぶやかれた。
私は心配になった。マーティン叔父様は掘り出し物だと思って買ったということだが、具体的な値段は、ベアトリスの手紙には書かれていなかった。しかし、何しろ叔父様はお金持ちだ。掘り出し物と感じた値段といっても、金貨5枚や10枚ではおさまらないかもしれない。その弁償をビートンさんが背負われることになる。簡単なことではないだろう。本来は価値のない、ただの贋作に、だ。胸が苦しい。私は震えながら、大急ぎで左手を上げて、お皿を勢いよくテーブルから払い落とした。
「ブルクスアイド嬢!」
ビートンさんが抑えた叫び声を上げた。お皿はテーブルの上をすべって、敷物に落ちた。膠でつなぎ合わせたところが割れて、二つに分かれてしまう。そもそもこの継ぎ目も、皿に描かれた絵にかからない綺麗な割れ方だった、と思う。ビートンさんがおっしゃったとおり、わざと割ったということなのだろう。
「あらあら、申し訳ありません」
私は口先だけで言いながら、床の上のお皿の、絵が描かれたほうの破片に駆け寄って、私の決して軽くはない全体重をかけて、思い切り踏みつけた。破片をいくつか拾って絵がばらばらになったことを確認する。
「慌てたせいで、ついうっかり踏んでしまいましたわ。弁償は私がいたします」
私の心臓はどきどきと激しく打っていたが、まっすぐに立ち、顎をあげてビートンさんに言い放つことができた。
「驚いた、あなたのような方が、こんな」
ビートンさんの言葉は続かなかった。
「私なら、身内ですもの、それほどの問題にはなりません。ビートンさんは焼き物の研究をされているのに、うっかり割っただなんて、それこそ悪い評判になってしまいますわ」
「私の立場にお気遣いを」
ビートンさんが感心したようにおっしゃるので、私は顔が熱くなった。
「ち、父のためです」
言い訳がましい口調になって、ますます気恥ずかしい。ビートンさんは温かい両手で私の手を包まれた。
「あなたは、素晴らしい勇気の持ち主ですね。実に類まれな女性だ」
ビートンさんの言葉は、ここしばらく乾いていた心に、慈雨のように沁みた。こんなふうに、まっすぐに褒めていただいたのは生まれて初めてかもしれない。目頭が熱くなった。涙を押さえようと、私はビートンさんの手から自分の手を引き抜こうとしたが、ビートンさんは逆に私を引き寄せて、まつ毛に唇をお寄せになった。
「なっ、何を」
私はさっきよりももっと赤くなっていたに違いない。うろたえてビートンさんを見上げると、彼は微笑んで、
「涙をお止めしなくてはなりません」
と、初めて聞く優しい口調で私にささやかれた。彼の背後の窓から、金色の陽光が差し込んで、私はそっと目を閉じた。すると、彼の唇が私のそれに舞い降りたのを感じた。




