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秋らしく、灰色の空から雨が降り出しそうな日だった。御前様に続いてお屋敷の自動車に乗り込むと、前の座席に座ったビートンさんが振り返っておっしゃった。
「また具合が悪くなりそうだったら、早めに言ってくださいよ、ブルクスアイド嬢」
「はい、ありがとうございます」
本降りになって、変な匂いのする幌をかける事態にならない限りは我慢できると思う。私は御前様から預かった、来賓の名簿を綴じた紙ばさみを胸に抱いて大きく息を吸った。今日は受付の役をこなさなくてはならないので、自動車に酔うわけにはいかない。
ビートンさんが運転手に行き先を伝え、私たちは出発した。今日の展示会の会場となるギャラリーは都心の建物の一角になる。幸い、私の気分が悪くなることもなく、無事到着することができた。私たちが自動車を降りて建物の入り口の石段を登りかけると、すぐギャラリーの支配人の方が御前様の出迎えに姿をみせた。御前様はそのまま会場へ入られ、ビートンさんがホールにいた別の職員に、私のことを
「こちらのレディが受付をするのですが」
と紹介してくれた。薄暗いホールには受付用のテーブルが準備されていて、すでに若い女性が一人待機していた。ビートンさんはご存知の方のようで、歩み寄って挨拶し、私のことも紹介してくれたが、貴族らしいその方、E嬢は、ビートンさんにも私にも、実に礼儀正しくそっけなかった。ビートンさんは二言、三言会話しただけであきらめられたようで、苦笑いして私に軽くうなずずかれ、会場に入ってしまわれた。私は黙っているわけにもいかず、知恵を絞った挙句、
「あの、受付で、何か気をつけることはございますか?」
とお尋ねすると、
「別に、そこに誰かいれば、それだけで充分」
と、答えられた。とりつくしまもない。仕方なく、名簿をめくっては並んでいるお名前をただ目で追っていると、
「オリビア」
と呼びかける懐かしい声が聞こえて、私はさっと顔を上げた。
「お父様、まあっ」
あわてて机の後ろから歩み出て、父に両手を差し伸べた。
「元気そうだね。シーゲル卿に良くして頂いているのがわかるよ」
父は私の手をとって微笑を浮かべた。
「お母様や、皆には変りありませんか」
「うん、相変わらずだよ。今日はお母様から、花を預かってきた」
父は、肩越しに振り返った。父の乗ってきたタクシーから、両手で抱えないと運べないような、縦長の木箱2つが運び込まれたところだった。ギャラリーの方にお願いして開けていただくと、母の栽培したキクの鉢植えが出てきた。黄色い芯のある赤紫の小ぶりの花がたくさんついている。会場の入り口を挟むように並べてもらうと、薄暗いホールが晴れがましい雰囲気になってきた。
「お母様のお花で、華やぎましたわね」
「展示会が終わったら、どなたかに差し上げてくれればいい。さて、私はシーゲル卿にご挨拶してこよう。マーティン叔父様もすぐ来るだろう」
父は軽く私の肩をたたくと、受付のE嬢に名乗り、淑やかな会釈を受けて会場に入っていった。私も急いで机の後ろに戻った。
「すみません、受付を離れてしまいまして。父が参りましたもので」
と断りを入れると、E嬢は何も言わず、ほのかに肩をすくめられたようだった。
その後は学会の役職の方が準備のために三々五々おこしになり、新聞社の方、そして来賓の方も見え始め、E嬢も私も忙しくなってきた。次々と名簿から名前を探して印をつけるので、いちいちご挨拶もできないようになってきた頃、急におなじみの名前が私の耳を打った。
「マーティン・ブルクスアイド」
E嬢に名乗っているのは叔父様だ。その後ろに、従兄のジョージと若い女性。声をかけようとしたが、私の前にもお客様が来られた。
「失礼、受付をお願いします」
「はい」
と向き直ってみると、驚いたことにカスター・ロウフォードとベアトリスが腕を組んで立っていた。
「オリビア、お久しぶり。首都でシーゲル卿のところにいると聞いたから、きっと会えると思っていたわ」
「まあ、ベアトリス、それにロウフォードさん、ごきげんよう」
「どうも、ブルクスアイド嬢」
カスターがにっこりと会釈を返した。私はどぎまぎしてしまって、あわてて名簿に目を落とした。
「私たちは招待状は頂戴していないのだけど、お父様とご一緒させていただいたの。構わないでしょう」
「ええ、もちろんよ」
私が名簿の末尾に二人の名前を追記するうちに、もう後ろに次のお客様が来られている。それ以上会話を交わすこともできず、ベアトリスとカスターは、マーティン叔父様について会場に入っていった。<工場>が後援する展示会と聞いたので、叔父様と従兄のジョージに会うことは予想していたけれど、ベアトリスまでが首都に出てくるとは思わなかった。それもカスターと一緒だなんて。気にはなったけれど、今はそんなことに気をとられているわけにはいかない。
来賓の多くが会場に入られて、一息つけるようになったころ、E嬢の方にもお知り合いの方が見えたらしい。E嬢は威厳ある紳士の腕を取ると、私に向かって、
「父が参りましたので中まで案内してきますわ」
と断られた。
「はい、私が受付におりますわ」
「すみませんがよろしくお願いします」
E嬢は丁寧に頭を下げると、お父様と一緒に会場に入っていかれた。人気がなくなったホールに、秋の風が吹き込んできた。私は机の上の名簿などをきちんと並べなおした。まもなく会の始まる時間だが、まだお見えにならない来賓の方が数名おられるし、新聞社ももう少し来るはずだと聞いている。
会場からはどなたかの演説らしき物音が伝わってきたけれど、E嬢は戻ってこられない。そのうちに、やっとどこかの新聞の方が来られたので、
「もう始まっておりますわよ」
とお伝えすると、
「構いやしませんよ」
と捨て鉢な返事が返ってきた。もうこれでお見えになる方はおしまいだろうか。まだ来られていない来賓の方をどうすればいいのかわからない。せめて腰をかけていようとホールの隅にあった椅子を寄せることにした。椅子をひっぱっていると、
「何をなさってるんです」
と背後から声をかけられて私は飛び上がりそうになった。




