極彩色の烏
烏も雲も極彩色だ――
*
終業のチャイムで、時間割の鎖から解き放たれたクラスメイトは、好き勝手に遊びまわり、ホームルームを長引かせている。私はさっさと帰宅準備を終え、窓の外を眺めていた。そこに広がるのは、白い雲がもくもくと流れ、時折闇色の烏が横切る、どちらかといえば詩的な光景。でも、いつもの事なので、私はもう飽き飽きしていた。
早く終わらないかなあ、と教室の方に視線を戻すと、唐突に、担任が私の名を呼んだ。
「これ、よろしくな」
手渡された分厚い封筒と、黒板の「金曜日」の文字に、ああ、とようやく思い出した。
今日は、彼の家を訪れる日だ。
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一人きりの帰り道、空を見上げながら、私はぼうっと彼の事を考えていた。
彼が学校に来なくなってから、一体どれくらいになるのだろう。正確には分からないが、学校のプリントを届け忘れるぐらいには長い、という事だけは確かだ。
いじめられていた訳ではない筈だ。私は彼と幼馴染みで、他の人よりは彼の事を知っていると思うけれど、人に嫌われるような点はなかったと思う。特に太っていないし、運動も勉強もそこそこで、顔も、別に普通だった。
「どうしてだろうね」
私の声は、「何が?」とか、そんな返事を待っている風に響いたけれど、やはりむなしく独り言になる。ああ、やっぱり、彼はいないのだ。実感しても、まだそうと割り切れられない自分が居た。
――「いる」って、どういうことなんだろう。
唐突に、記憶の中の彼は言う。道の、そう、この辺りで。彼の澄んだ目は、空だけを一点に見つめていた。
――「いなく」たって、「いない」ことに気が付かないなら、元から「いる」意味なんてない……
彼の声が耳の奥で響く。私は、何と答えただろう? 私は……
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私の家を通り過ぎたら、すぐ彼の家。インターフォンを鳴らすと、彼のお母さんが出た。
『いつもありがとう……。お礼に、お菓子でも、どう……?』
疲れ切った、はりのない声に、胸が締め付けられる。私は迷わず「はい」と答えた。
*
『ちょっと、話をしてくれるだけでいいの』
彼のお母さんは、まるで、神様にお祈りでもするかのようにそう言った。
『幼馴染みのあなたなら……。わたしは、ここで、待っているから……』
自然と視線は彼の部屋のある二階に向く。こんな風に、直接頼まれるのは初めてだった。彼の母の額に浮かぶ皺を見て、頷くほかに、何も出来なかった。
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一体何を話せばいいんだろう? 扉の前まで来たはいいものの、その先に進めない。
『こんにちは』? 『久しぶり』? なんだか違う。
迷う心の中に、一縷の光のように、ひとつの光景が浮かぶ。
一面の雲に、一筋の影、烏。そして、気付きは口に出ていた。
「烏も雲も、極彩色、だよね」
彼に話しかけているのか、それとも自分に言っているのか、よくわからなかったけれど、兎に角私は言葉をつづけた。
「光の色を全部混ぜたら白になるし、絵具を全部混ぜたら黒になるでしょう? だから、純白の雲も、漆黒の烏も、どちらも極彩色……って、単純すぎるかな……?」
変に明るい口調に、自分でも驚いた。こんな調子で彼に話しかけたことはあっただろうか? 隣にいない彼に話しかけるのは、これが初めてのような気がした。
「白と黒って、全く反対の意味に使われるけれど、どちらも『混ぜた』色、という点では同じ……」
「雲が光の白、っていうのは違うと思う」
急に遮られて面食らってしまった。久々に聞く彼の声だった。
「雲も、烏も、物質だから、どっちも絵具の方に分類すべきだ」
強い語調に、彼の苛立ちの端々が感じられた。
「何でこんなことを聞くんだ?」みたいな、そんな感じ。
私は急いで思考を巡らせ、彼の満足のいきそうな考えを探しだす。
「じゃ、じゃあ、……プリズム、は? 光源の部分を隠すと、七色の光が吸いこまれて、白になっていく風にも見えない?」
今度は返事がなかった。私は構わず続けた。
「色が混ざる、という事は同じなのに、『美しく』混ざることも、『醜く』混ざることもあるんだよね……」
答えを、初めから用意していた訳じゃなかった。でも、話していくうちに、自然と浮かび上がる。
「じゃあ、その逆も言えるんじゃないのかなあ……。『美しい』ものも、『醜い』ものも、元を辿れば、同じものから出来てるとも、考えられるよね……」
彼と私が住む世界。
在るモノは同じだけれど、見えるイロは同じだとは限らない。
私にとっては楽しく、美しいモノも、彼にとっては苦しく、醜いモノなのかもしれない。
だけど、それらは結局、同じ「モノ」に違いないのだ。
最後に口に出た言葉。吐息のように掠れてはいたけれど、祈りのような響きを持っていた。
「だから……」
私は何を望んでその言葉を選んだのだろう? 自分でもよく分からなかった。
私がそう言い終えた後、やわらかな静けさだけが訪れた。私の心は、思いのほか穏やかだった。特に高揚するわけでも、不安になるわけでもなかった。
最後の言葉は、言うならば、飛ぶ烏の前に、ふらりと現れた白雲だった。烏にとっては日常茶飯事な、何てことのないもの。邪魔にもならないし、気付かれさえしないかもしれない。
でも――。
同じ極彩色のものとして、ともに在りたいと、ただ、それだけを願っていた。