酒と泪と男と妹 上
非常にご無沙汰しております
※
いやだいやだと思っても断れない、断りにくいものがある。
飲みにケーション、やだ。
我が研究室は代々、酒豪が多い。ついでに飲み会も多い。院生になるとみんな成人済みのため、だいたいお声がかかってくる。
基本的に我が道を行きたい私でも、時には長いものに巻かれておこうと思うので、年度の初めと年末の飲み会には顔を出すようにしている。
そんなわけで、大学近くの居酒屋の前までやってきた。明るい店内からはお客さんの騒がしい雑音が、じゃんじゃかじゃんじゃかと鼓膜へ叩きつけてくる。
「もう帰りたい」
「がんばりましょう、神坂さん!」
学部から特別参加の後輩、梢ちゃんは励ましてくれるけれど、なにせ普段が出不精でめんどくさがりの私。前のめりとはいかず、背をのけぞらせながらの来店である。
店内はテーブル席とカウンター席があり、私たちが案内されたのは、一番奥の大部屋のようになっていたところにあった。
もう先に先輩やら幹事の子やらが席についていた。
「神坂さん、先にドリンクを選んで注文しておいてー。運ばれてからみんなで乾杯だからー」
「はーい」
先輩に返事をしながら自分の席につく。私の席はちょうど大部屋の入り口を見渡せるところだ。ほかのテーブル席やカウンター席もよく見える。
なんとなく落ち着かない気持ちになりながら、ドリンクメニューを選んでいると、いつのまにやら傍に来たらしき店員さんに声をかけられた。
「いらっしゃいませ。ドリンクはお決まりですか?」
「え? えーと。この、生絞りグレープフルーツサワーで……お、お願いします」
メニュー表をガン見しながら答えたところ、かしこまりました、と言った店員さんの涼やかな声がくすっ、と笑みを含んだ。
なんだなんだと訝しんだ私が視線を上げると、まあイケメンの視線と絡んだ。
君は、なぜ、ここにいる。「鳥足くん」!
メニュー表を持つ手がぶるぶる震えた。けして武者震いではない。
「神坂さん、大丈夫ですか?」
純粋な梢ちゃんが隣の私を心配してくれている。
「え、いや、うん。大丈夫」
私はやつを見ないようにしながら言う。
その間も鳥足くんは私へもの言いたげにしていたけれど、仕事もあるのだろう、戻っていった。
こっそりとため息をつきながら、鳥足くんの鳥足を眺めた。
鳥足くん、大学の書籍部だけでなくてこの居酒屋でもバイトしていたのね。
「神坂さん神坂さん」
梢ちゃんが何か言いたそうにうずうずしている。
「もしかして、一目惚れですか! なんかいい感じでしたね、あの人!」
「あれ、梢ちゃんもそう思った? よかったよね、彼」
別の先輩も便乗して、にやにやしている。いや~な感じになってきたぞ。
「よし、神坂さん。夜這いされよう。殿方を通わせてから考えるのだ!」
「先輩、語弊!」
ほかのお客さんに聞こえたらどうするんだ。平安文学ジョークだとわかる人は少ないんです!
そう、我々がれっきとした少数派だということを忘れてはいけない!
「前世からの宿世かもしれないよ! 逃す手はない」
「先輩、それは宿世と言いたいだけですよね!?」
先輩は素面のくせに絡み酒。やっぱりこの酒宴はやだよ。私、もうすでにいいネタを提供してしまっているじゃないの。
それから院生が五人ほど来て、飲み会がはじまった。最初に幹事が新しい院生(つまり、私と中国人留学生の馬さん)を紹介し、その後は各自でおしゃべりしながら飲むだけだ。
うちの院生の飲み会は、はじめは学問や大学のことといった堅苦しい話にもなるが、だいたいそこから何の関係もない世間話や、アニメやらゲームの話にシフトしていく。
私はちまちまお酒を呑みながら適当に話に加わっているふりをした。隣の梢ちゃんはどの話もうんうんと健気に頷いているけれど、そんなに育ちがよろしくない私は頭の中で今日の終電時刻のカウントダウンをしている。話題も私が食いつくようなものもないので、自然と視線は部屋の外、居酒屋の他の客へ向く。店員さんは鳥足くん含め、だれもさぼっている様子もなく、めまぐるしく働いていた。
その時、店のドアが開き、新しい客が入ってきたようだった。男女二人組のようである。彼らは私から見えるカウンター席に座った。
あの彼女、見覚えのあるアッシュグレーの髪だった。派手な化粧と恰好をしているし、まるでうちの妹みたい……。
ん、もしかして?
あれ、本物のうちの妹じゃ……? え、待ってよ、隣の男はだれさ、おまえ、彼氏どうしたよ!?
妹が連れた男は、妹に輪をかけてちゃらちゃらした男だった。というより、顔つきが下品なのである。
私がまじまじと妹を眺めていると、ふと妹が私の方を見た。
ものすごい嫌悪感たっぷりの顔でそっぽを向かれた。道端の牛糞を踏んでしまった時の眼つきをしていた。
え、おま、妹よ!!
無視したままの妹は鳥足くんに何かを注文している。隣の男はなれなれしく妹の肩や腰に手を回していた。素人でもわかりやすいお持ち帰りコースに入っているのではないだろうか。
なんだかんだと心配になってしまって、妹の動向を観察してしまう私である。正直、飲み会の世間話どころじゃない。
「……雪間の君?」
ふとそんな声が耳に飛び込んできた。変な呼称だと思う。まるで平安文学世界の女性の呼び方だ。私自身は結構好きだけれどね、うん。
「あの、雪間の君?」
妹たちは一見して楽しそうにいちゃいちゃと話をし……って、何が悲しくて妹を見なくちゃならんのだと思わないこともないけれど。
でも、相手の男がなんか嫌なんだよなぁ。全身からやらしさが漂っているし、今日はなんとかして妹を捕まえて、家に連れて帰ってしまおうかしら。
「神坂さん?」
「はい?」
梢ちゃんに言われて、顔を向けると、梢ちゃんが、あの、と気づかわしげな視線が別方向に向く。
するとそこに緊張した様子の鳥足くんがいた。日に焼けた顔がほんのり赤らんでいるような気さえする。
彼は私へ向かって、雪間の君、と言った。
私はよもやと思いながら自分を指さした。
「え、私?」
別人だよね、と半笑いになるけれど、彼は私だとばかりに頷いたのである。
「……話を、させていただきたいのですが」
「え、いや、その」
びっくりするのだが、今はそれどころじゃない。妹の貞操の危機かもしれないのである。
それなのに、酔った先輩は「モノホンの垣間見だ」と囃し立ててくるし、梢ちゃんはロマンスの香りに目を輝かせているし、妹と男の顔の距離は近すぎるし!
僕の連絡先です、とパニックになる私の手に鳥足くんは何かメモ用紙を握らせてくる。
触れた手が、ものすごく熱い。
ちょっ、待て。捨て場に困る紙切れを置いて行かれても困る!
あっ、そうじゃなくて!
やつめ、うちの妹のどこに手を置こうとしているんだっ。
頭はぐるぐる、ぐらぐら。考えど考えど、思考がまとまらない。
うわぁーっ、と頭を掻き乱したい衝動に駆られたところで、妹がすっと席を立ちあがった気配がした。トイレに行くらしい。
私はようやくほっとして、立ち上がりかけた席にすとんと納まる。
右手のくしゃくしゃの紙が存在を主張してきた。
気にしないようにしながら、新しく頼んだらしい(あまり覚えていない)チューハイをごくごく飲む。
「神坂さん、酒豪ですねー」
「いやいや梢ちゃんこそ」
彼女も同じく素面のような顔をしていた。なお、この頃には院生の女性方はあいもかわらずジョッキをぐびぐびと飲み干し、男性陣はノンアルコールに移行していた。
はあっ、と私は大きく息をついた。




