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おかめ顔メランコリック

 アンニュイでメランコリックな春。出会いと別れの季節でもあるけれど、別れはあっても出会いはない。環境もさして変わらないからそりゃそうだ。


 しいて言えば、新しい学生証と学生番号をもらい、肩書が微妙に変わったことか。


 私と同じく進学した他専攻の友人たちに合流し、入学式の看板の横に並んで記念写真を撮った。周囲は学部の新入生のフレッシュなスーツ姿がいっぱい。撮ってくれた在校生の子たちは皆年下だと思うと、しょっぱい。


「我々は枯れているねぇ」


 ため息の出る私に、友人たちは口々に否定した。

 ……どうかなぁ。二人は美術史専攻だからそう言える気がするよ。昨今、学芸員になるには進学した方がいいわけだし。いやぁ、実用的だよ。実に建設的な進学だ。


 甘さが欲しくて家から持ってきたお徳用チョコレートの袋に片手を突っ込んだ。


「目新しさはないけどさ、また頑張らないといけないんだなぁ。自分で言うのも何だけど、物好きだなぁ。あ、チョコどうぞ」

「自分で選んだ道じゃん? ゆかりちゃんも頑張ろうよ」


 お嬢ルックの友人その一は愚痴を吐き出して前を向く私の習性をまだ理解していないらしい。チョコを受け取りながらのなかなか辛辣な言い分である。皆が君みたいにいつでも意識高い系ではないのよ。あぁ、しょうがねえなぁと重い腰をあげるような時もあるのよ。


ゆかりさんはもうちょっと希望持とうぜぃ」


 もう一人のショートボブの友人がからかうように肩からぶつかってきた。うぇーい、とローテンションな私も同じように肩をぶつけてお返しをする。


「希望なぁ」


 期待しすぎると後でかえって落ち込みそう。そんなことをぼやきながら彼女の手にもお徳用チョコを握らせた。


「あれだ。運試しでもしてみる? この場で靴を宙に放り投げて、綺麗に立ったら希望が持てるということで」


 そ、それはあかん、と左隣のお嬢に止められた。黒いパンプスに傷がつくからって。まあそうだね、言ってみただけです。


「そんなことしなくても、何かしらあるよ。出会いとか!」


 恋愛にほとほと縁がない我々眼鏡三人娘は大学講堂前の広場で顔を見合わせた。


「……美術史、今年の院生で新しく入ったのは?」


 私が聞けば、二人そろって「ほかに女の子二人だよ」と返ってくる。今度は逆に、日本文学は、と尋ねられた。


「中国人の女の子だけど」


 もちろん今更サークルに入るわけもなく。女性がかなり多いという環境は変わらない。それが人文学系の宿命だ。


「まあでも恋愛はいいや。考えるの疲れる。付き合う暇ないし」

「おおぅ、紫さーん……なんてクールな」

「諦めが早すぎるよ!」

「いいじゃんよ。だって学生だもん。好きなように生きてやる。恋愛するもしないも私の自由だ、自由万歳」


 意識低い系女子は色々と身軽なのだ。服もテキトー、化粧は嫌いだからほぼすっぴんなおかめ顔。ときめきは乙女ゲーの男と美少女ゲーの可愛い女の子で事足りる。


 うぇーい。私は何となく二人の友人とハイタッチを交わした。交わしてからお嬢が、「私、そこまでじゃないからね!?」と訂正を加えたけれどいいじゃない。友だちじゃない。


「今年度もきっと何事もなく、万事が平安に終わるんだよぉ」


 右隣りにいた友人はからから笑う。


「フラグ立てているみたいだねー」


「俺、この戦場を生き残ったら結婚するんだ」的なフラグを立てたように見えたらしいけれども、もちろんそんなつもりはありません。なぜなら、そのフラグは折れない。


 確かに昔は何か起こると期待した。小学校入学時は友達百人できるかな、とうきうきした。休み時間遊びに誘ってくれる友達はできなかった。

 中学校入学時には親友作るぞと意気込んだが、自分から話しかけてもどうでもいいようにあしらわれ。

 高校入学時には多少ときめくことがないかなと期待したが、結果的に勉強一筋の三年に。

 大学入学時には彼氏ができるとは思えんなぁと思っていたら、乙女ゲー趣味の友人と意気投合し、もっぱら二次元の彼氏彼女にうつつを抜かしていた四年間。


 心の平安は守られる。これでも自分の好きなことを好きなだけできたのだから充実した半生を歩んできたのだ。


 ひとまず私はこの話の流れをざっくりとこう取りまとめた。


「まあ何にせよ。入学おめでとうございますよ」


 おめでとうございますよと互いに頭を下げあって、その日は解散だ。二人とは一年生用の必修授業でもまた顔を合わせるので、今後ともよろしくお願いしますよ。


 さて。

 スーツ姿の私はそのまま大学の中央図書館に向かった。




 ※

 まだ学生証が交付されていないため、図書館入り口受付で紙の名簿に記入した。私の足はまっすぐ四階への階段を登って、迷いなく古典全集の並んだ本棚へ。周りは随分と閑散していた。時期を考えるともっともなことだ。


 一番新しく出版された全集の表紙は白。金色の文字が入っている。

 背表紙を追っていた人差し指が最初に止まったのは『伊勢物語』。巻末の初句索引を使って、目的の和歌を探していく。


 かすがのの。かすがのの。


 興味があったらすぐに調べたくなる。行きの電車の中で、天啓のように「春日野の」という和歌の初句を思い出したが、何の和歌だか忘れてしまった。そんな今日に限ってスマホの調子がよくない。電波が届きにくいのがしょっちゅうで、そろそろ買い替え時だよと警告されているのか。


 結果として本の末尾の索引は役に立たず。「春日野の」の歌は『伊勢物語』の初段に掲載されていた。普通にはじめの頁から開けばいいだけだった。

 初段の和歌はこう書いてある。


 ――春日野の 若紫の すり衣 しのぶのみだれ かぎり知られず


 平安プレイボーイ在原業平ありわらのなりひらが奈良で出会った美しい姉妹に贈った歌とされる。……そういや、この歌の初句も「春日野の」だったね。業平の実作とするのはかなり怪しいけれど。


「春日野の若紫」は、若々しい紫草に美しい姉妹をたとえたもの。「みだれ」たのは姉妹を見た男の心。垣間見でもして、姉妹への恋に落ちてしまったか。さすがプレイボーイ業平。


 それはともかく、初句は「春日野の」で間違っちゃいないけど、電車の中で思い出せなかった和歌とは違う。紐を挟み込んで本を脇に抱える。


 私が知っている程度の歌なら、次は……。


 『古今和歌集』を引っ張り出した。今度も巻末の初句索引で探す。


 ――かすがのの。かすがのの……ゆきまを、かな。


 当たりをつけて頁をめくるとあった。古今和歌集第四七八番歌。壬生忠岑みぶのただみね作。


 ――春日野の 雪間をわけて 生ひ出でくる 草のはつかに 見えし君はも


 これも若草に女性を例えた歌だ。

 春日野の雪の合間を分けて生えてくる若草のように。ほんのわずかに姿が見えたあなたよ、という意味の和歌だ。


 この歌は、ほんの少ししか垣間見えなかった女性を、雪間を分けて生える若草に例えたもの。当時、女性はみだりに他人に顔をさらさない時代だった。平安人たちは恋心を和歌にして送るぐらいしか意中の人に気持ちを伝える手段がなかった。


 春日野の 雪間をわけて 生ひ出てくる 草のはつかに 見えし君はよ

 春日野の 若紫の すり衣 しのぶのみだれ かぎり知られず


 二つの歌を口の中でゆったりと転がして、一人悦に浸った。ミッションコンプリート。私はやり遂げたぞ。


 どっちもいい歌じゃないか。恋の始まりを予感させる。うきうきして、心ときめくよ。桜を詠んだ和歌は何となく散る物悲しさを歌ったものも多いから、春の和歌と言ったらやっぱりこういう若草の歌がいいね。「春日野の」というのもいい、地名でもあるけれど漢字そのものが「春の日の野」を表わしているじゃない。

 ひとりの世界に浸りきり、「春日野の……」と呟いていると。


「かすがのの……?」


 え。

 突如、低い声が響く。男の声だ。強い視線が体中に針となって刺さる。血の気が引いた。


 さっきまで誰もいなかった。入学式の日に図書館にいる奇特な奴は少ないのだ。それも研究書がひしめき合った四階だぞ。


 正面の本棚の隙間向こうで、浅黒い首元と手首が動く。緑のカーディガンの裾をめくっている腕はがっしりした肉付きをしている。何よりも目立つのは丸襟のTシャツから覗く銀色のネックレス。いかにも私と正反対の世界に生きてきた、運動やっていた文武両道系のイマドキ男子がそこにいる。めちゃくちゃ苦手なやつだ。


「かすがのの……何? 気になるんだけれど」


 囁きかけるような声に、ひいっ、と飛び上がる。気恥ずかしさ、不安や恐怖がぐちゃぐちゃにまじりあって一気に沸騰する。

 まずいところを見られた。周囲から見た私は一人でぶつぶつ呟き、にやにやしている怪しげなスーツ姿の女だ。どなたか知らぬが、今の発言はナシでよろしく!

 ぶるぶると震える私。

 本棚向こうのイマドキ男子はなぜかその場を離れない。かえって本棚からこちらを覗き見するように身体を屈めそうになったものだから、撤退を即決した。この上、顔まで見られてなるものか!

 ダッシュだ、ゆかりちゃん! 明日からの平穏な院生《隠棲》生活のために! 

 だいぶ離れたところで今度こそ左右誰もいないことを確認してからやっと胸を撫でおろしかけ……両手の重みにあ、と微妙な顔になった。


 全集二冊、本棚に返し忘れてしまったよ。

 頃合いを見計らってこそこそと元の本棚に戻しに行く。誰もいなかったのは幸いだ。


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