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言ってしまった。


 鳥足くんとやりとりすると、むずむずする。理由は単純明快で、「意識しているから」。私に関わる異性というのは家族以外でほとんどいないわけだし、言葉を交わすだけでも構えてしまうのである。

 ふつうにこれまで男女共学で過ごしていたわけだけれども、一対一でちゃんと話をすることはそうなかったりする。免疫がない? そのとおりだ。あえて言おう、私は箱入りお嬢さんだ、男と付き合ったこともないから、半径一メートル以内に入っただけで威嚇するぞ。


「なんか、やだ」

「だめですよ、神坂さん。まだがんばれますって」

「私は梢ちゃんとだらだら話している方が幸せなの……うぅ」


 研究室でぐだぐだする先輩に対して、後輩の梢ちゃんは優しかった。ふざけた芝居にも付き合ってくれる。これでいて、婚約者持ちだから、悩める先輩のよき相談相手なのである。むしろ、この話題に関しては梢ちゃんの方が先輩ではあるまいか。


「でも、意識してるってことは男性として見ているってことですよ。今、神坂さんの春が来ているんですよ! 負けないでください」

「疲れるからいらない……」


 梢ちゃんの言い分を正しいとすると、私って近づいてきた異性を皆、異性として意識しているってことじゃない? どんだけ尻軽なのさ、私。


「いやあ、うちの妹は偉大だったんだわ。よくもまあ次から次へと彼氏作ってさ……どんだけエネルギーを使っているわけさ。うちの妹やばかったわ」


 新発見。うちの妹はすごかった。


「恋というものはときめきがあるはずなのよ。ただ、私が思い返すそれっぽいものは毎回、期待して疲れて終わるんだよね。だから踏み込みたくないというか」

「たしかに、だれかに対して踏み込んでみるのは恐いですよね。受け入れられないのかも、ってうじうじ悩んじゃうんです。う、私も以前あった、あれやこれやを思い出してきましたよ……」

「梢ちゃ~ん! ふたりして鬱になってどうするのっ」

「あは、あはは……。雨月物語でも読みます? 最高に鬱な気分になれそうですよね」

「『吉備津の釜』かぁ。四谷怪談のお岩さんでもいいよね」

「ああ、なるほど。いいですね」


 どちらも自分を捨てた男へ復讐する女の怪談である。


「私が思うに、あの鳥足くんはきっといい鳥足くんだと思いますけどね」

「美味しそうってこと?」

「茶化さないでくださいよ」


 梢ちゃんはちょっと笑って肩をすくめた。


「だって、神坂さんが薦めた和歌集を読んでくれているんですよ? 神坂さんのことが知りたくて、歩み寄っているってことじゃないですか。そんな健気な鳥足くんに無体な真似をするのはかわいそうです。生理的に嫌でない限り、普通に話ぐらいしてみたらいいじゃないですか」

「わかっているけどさ」


 どうせ公務員講座という接点は持ち続けることになるのだ。ふつう、ふつう、と念仏を唱えていればどうにかなるはず。というか、二十歳を越えているのにこのザマだから、妹のような人間にはおおいに笑われるんだろうな。ああ、いやだ、本当にいやだ。


「大丈夫ですよ。神坂さん、男の後輩にも普通に接しているじゃないですか。田沼くんとも仲がいいし。それと同じようにすればいいんです。それで、あとはなるようになれ! ですよ」


 流されましょう、と梢ちゃんは言う。

 たしかにはた目から見た時、私と鳥足くんの間には何もないわけだから、何かを決める必要もないわけだ。

 同じ公務員講座に通う仲間かつ、大学の年下の後輩で最近たまたま知り合ったというだけ。

 そう、意識過剰なのは私だけ、相手は今を生きる若者なのだから、私のことなど単なる女の先輩としか思っていないだろう。それはそれで腹が立ってくるような気もするけれど、ちゃんと後輩という枠に入れておけば間違いは起こらないのだ。

 彼が何か「決定的な言葉」を言わない限り、放っておけばいい。

 結論を出せば、少し心が落ち着いた。

 時計を見ると、午後五時半。マグカップに入ったぬるい抹茶ラテを呑みほした。


「じゃあ、梢ちゃん。そろそろ講座に行ってくるね」

「はい。お疲れ様です。今日はこのまま帰られますか?」

「うん、帰るかな」

「わかりました。忘れ物には気を付けてくださいね」

「ありがとう」


 優しい後輩に見送られながら、研究室を出た。





 今日は珍しく図書館に併設されたカフェでミラノサンドをテイクアウトしてきた。おしゃれなカフェは、おしゃれになった気分にさせてくれる。たとえ世間では世界的なチェーン展開をしていて、街でもありふれた店であろうとも、あの緑のマークやらエプロンを見ただけでおしゃれと感じられるのだから、私のおしゃれハードルは低めに設定されているのだ。

 講義室でひとり、きれいな店員さんが温めてくれたサンドにかぶりつき、セットで買った季節物のなんやらラテを飲む。少しぜいたくだけど、これでモチベーションを買えると思えば安いものだ。

 さあ、食べるぞ、と大きな口を開けたところで。


「お疲れ様です」


 鳥足くんが入ってきた。私の口はサンドを味わうことなく、一旦閉じた。お疲れ様です、と挨拶を返す。


「おいしそうですね」


 鳥足くんは私のすぐ後ろに座った。


「俺も今日はここで食べようと思って、買ってきたんです」


 鳥足くんが出したのは、近くにオープンしたとの噂があるケバブ専門店の袋だ。……ケバブだと!

 昔のヨーロッパ研修で食べたケバブが旨かったのを思い出し、よだれが垂れるような気持ちで鳥足くんの手元を見てしまう。


「ミラノサンドも美味しいですよね。俺も別の店舗ですが、前にバイトしていたのでけっこう食べていましたよ」


 鳥足くんは、あのおしゃれカフェ軍団にも関わっていたらしい。まあ、そういう小奇麗な見た目はしているけれど。


「へえ、そうなんだ」


 私は心の中で、ふつう、ふつうと唱えながら話す。


「今日はケバブにしてみたんですけど、ゆかりさんは食べたことありますか」

「一回だけあるよ」

「おいしいですよね」

「そうだね」


 そして途切れる会話。うーん、気まずいぞ。

 味のしないミラノサンドをもぐもぐ食べる。


「とりあ……青谷くんは」

「はい」

「なんで私に話しかけるの」


 あ、今、冷たい言い方になった。慌てて付け足す。


「なんというか、私の周りにいないタイプで掴めないからさ。不思議で」


 鳥足くんは人を気にしたのか、ちらっと周囲を伺ってから、「俺にとっても不思議なんですけどね」と言った。


「紫さんが気になっているんですよ。どうしようもなく」


 互いにそれぞれケバブとミラノサンドを持ちながらの告白である。あまりにもさらっと言われたものだから、一瞬、何を言われたのかわからなかった。


「あ……そ、それは光栄デス、ね」


 明後日へ逸らす視線。

 いや、でも落ち着け。気になるって、男女的な意味じゃないかも。


「俺も持て余しているんですよ。どうしようかって自分でも思っているんです」


 鳥足くんはケバブをもぐもぐ食べていた。お顔は真っ赤である。明らかに照れ隠しで食べているではないか。


「うわあぁ、言ってしまった、なぁ……。は、恥ずかし……」


 机に突っ伏しそうになる鳥足くん。相手が取り乱していると、もう片方はかえって冷静になるもので。


「いや、恥ずかしいのはこっちもなんですけど……」

「引かれると思って我慢していたのに、ついぽろっと……うわあ」


 すみません、今日はちょっと離れたところに座ります、と丁寧に断ってから、鳥足くんは別の席へ逃げた。ひとりで自爆した形で、なんだか気の毒だ。

 ところでちょっとお伺いしたいんですけど、あれはいわゆる告白なんでしょうか、どうなんでしょうか。だれか私に教えてください。今、頭の中が混乱してるから。また悶々として夜寝られなくなるから、そこらへんをはっきりさせてから逃げてくれないかなあ鳥足くん!


「ああああああああぁ~、おうち、帰りたい」


 思わず漏れた呻きだけれど、講座だけはしっかり受けて帰った。


言ってしまった。鳥足くんが。

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