SS 鳳都燃えゆ
私は名を忘れている。
勿論、元々持っていた名をという意味でだ。
一年前、それまでは私は、お城で暮らすお姫様であった。
臣下も、女中たちも、街の人々も、私を「姫様」「姫様」と、慕ってくれていた。
父も、母も、歳の離れた兄も、それぞれ慈愛に満ちた感情で接してくれていた。
王族という境遇を考えても、私は、とても幸せなお姫様であった。
全ての世界が私を祝福してくれていると思っていた。
あの、恐ろしい日が訪れるまでは。
◇◆◇◆
少女の生まれた国、「フェニキア」は、鳳凰の旗を持つ、小国ながらも豊かな国土と文化を持つ強国であった。人口は約8万5千人。主たる産業は、農業、養蚕、牧畜で、特に羊の数は人口を上回る。また、数は少ないものの、屈強な軍馬の産地としても有名であった。王都「フェニス」は鳳都とも呼ばれる中心地にある王城を基点に左右に大きく羽を伸ばした鳳凰の姿に似せた城郭都市である。
国家としては、標準的な君主制国家で、国家元首たる国王の元、王族が主たる要職に就き、臣民の中でも優秀な者をその補佐に着けて国家運営をする。
基本的に王族の権威が高く、特段貴族階級を設ける事なく(それでも、国の要職に就く人間の権威はそれなりに高く評価されていたが)親政政治が成立していた。
とはいえ、周辺他国との間においては国境紛争を含め、衝突が多々起こる懸念がある程には剣呑であった。しかし、それを押しとどめる程度には権威のある別の勢力がこの国を含む多数の国に存在していた為、決定的な衝突だけは避けられていた。その勢力が「神聖聖皇教会」である。
◇◆◇◆
私の15歳の誕生日。王族が成人を迎えるに当たって、私は私自身と向き合って自らの本質を知らなければならなかった。
「王家の審判」と呼ばれる儀式である。
早い話が、自分のステータスを初めて鑑定されるという儀式。それを大仰に、勿体ぶって行うものである。無論、王家の者として儀式の重要性は知っているつもりであった。
特に物珍しい事態が起こって今までと何かが変わる。そんな事が起こる訳が無かった。
そう、心の底から信じていたのだ。
世界はいつまでも限りなく優しく、ゆるやかな毎日が続くと思っていた。
その日、儀式を行っている私の目を疑うような鑑定結果が出る事など、それこそ想定の範囲外であった。
だが、
その、「想定外」が起こった。
私のステータスとして提示されたスキル。その中には、太古の昔から忌み嫌われ、禁忌とされるスキルが明確に提示されていた。
【強奪】
その、禁忌のスキルは、余りにも強烈であり、余りにも残酷であった。
◇◆◇◆
【強奪】というスキルが世に出た最初の切っ掛けは、200年程前。歴史上最悪の大泥棒と悪名の高い【大怪盗バンバ】の【都総取りの乱】である。
かの怪盗は、当時の大国であった【帝国】の都にて、帝城に侵入。宝物庫から全ての国宝を盗み出し、追撃を掛ける追っ手からは、次々にスキルを奪い取り、遂には精鋭たる帝都の騎士や、宮廷魔術師、果ては皇帝からまで全てを只の木偶人形に貶めていったという逸話がある。
そうして、個人として絶大な力と莫大な財力を持つに至った【大怪盗バンバ】は、当然の如く皇帝をも凌ぐ絶対的強者として世に君臨する事となる。一方、国力を著しく減じた【帝国】は、支配地域の離反を次々に許し、帝国は瓦解した。
当然、その後の混乱は【大怪盗バンバ】によって統一されるものと思われていたが、政治や統治に興味の無いバンバは、その生涯を終えるまでひたすら盗みと【強奪】を繰り返し、国はおろか、世界中から命を狙われるに至る。「神聖聖皇教会」までが、彼を【神敵】として常に命を狙われるものの、逆に返り討ちに合い、更なるスキルを強奪される始末。遂にはスキルの枯れ果てた者しか存在しない国家は弱体化し、統治能力が各国から奪われ、遂には百年続く【百年戦争】の引き金となってしまう。結局、スキルの枯れ果てた人間同士の争いが更に混乱を呼び、この暗黒時代だけで凡そ1000万人の死者を出し、社会は300年後退したという。
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かのスキルの持ち主は、生涯に渡って人という人から恐れられ、嫌われ、近づく事すら許されない、孤独のスキルの持ち主として抹殺されるその日まで、その断罪の日が来るまでの間、安らぎさえ与えられず、ただ抹殺されるべき存在として死罪の日まで生存を許されるだけであったとか。
更に悪い事に、私の鑑定を行った神父は、敬虔な聖教会の信徒であった。
一国の王女が忌み人である【強奪】のスキル持ちである事は、彼からしたら許されざる罪咎であったのだろう。直ちに本教会へと使者を送った彼は、返事と共に幾万の軍勢が私の国に送られて来ることまでは予想していなかったようであったが。
僅か一月程の電撃侵攻である。
父王の命により幽閉されていた私は、城の尖塔より、迫りくる教会の聖騎士団が国を燃やし尽くし、全ての命を奪い尽くすまで只見ている事しか出来なかった。
毎日のように、王都の至る処から火が出ている。遠くにある城壁は、あちこちが破壊され、兵とおぼしき集団が常に王都に侵入してくる。やがて、神官や兵士が城前の広場に無辜の市民たちを牽き立てると、異形の笑みを浮かべた兵士が彼らを虐殺する。毎日、毎日、虐殺する。
今日は、ギロチンだった。昨日は車裂き、その前は、兵士の剣で無数に突き刺されて、市民が殺された。
やがて、業を煮やした兄王子が一騎打ちを所望し、城外へ打って出る。
しかし、卑怯にも神官は、一騎打ちに応じる事無く寄って集って兄を槍でめった刺しにし、虫の息の兄の命と引き換えに城の開門を要求した。
無論、父王は応じる事なく、冷徹に城の門を閉ざしていた。
変化があったのは翌朝である。廷臣である筈の左大臣が、父王の首を掲げ自らの助命を嘆願して城の門を開いたのだ。
敵の兵士が、王の首級を確認すると、裏切り者の左大臣は、自らの助命が成った事を知り胸を撫で下ろしていた。しかし、次の瞬間彼は、撫で下ろした胸から生えた剣によって絶命したのだ。
やがて、侵入してきた敵が城内で暴れ回る音が私の住まう尖塔にまで響いてくる。
人の絶命する声をあれほど多く聞いた事は無かった。
なまじ、目の前で行われない虐殺である為、私は、恐怖に逃げる事も敵わず、只「私の番」がくるのを震えながら待ち続けるしかなかった。
既に、父も母も、兄たちも全て殺し尽くされ、残った王族は私一人になって、私の命も遂にこれで終われるか、とある意味安堵していた。そして一昼夜が過ぎた頃、最後まで私の面倒を見てくれていたメイドの亡骸を引きずって、遂に私の居る尖塔に聖騎士たちが押し寄せた。とある一人の老人を連れて。
聖教会の関係者と思われたその、異様に背の高い老人は、騎士達に「総監」と呼ばれていた。
そのような役職は教会には無い。
訝しく思う私に対して、その老人は自ら名乗った。
「はじめまして、美しい姫君。某は、秘密結社『ジャッカル』の大幹部『滅亡総監』と申します。実は、貴女のスキルは我等『ジャッカル』では貴女が生まれた頃より把握しておりましてな。その稀有なスキルを我が『ジャッカル』の為に役立てて頂きたく、ず~っと、貴女を監視しておりましたのですよ。ええ。ず~っとね」
そう語る老人の言葉からは嘘が感じられなかった。私本人すら知りえないスキルの情報を知られていた。そう語る老人の自信と活力に満ちた言霊に呆然としていると、彼は尚も私に衝撃を突きつけてきた。
「宗教という物はいいですなぁ。ある目的を隠すのにはうってつけの隠れ蓑です。我々は千年の間、この聖教会の裏組織としての体裁を守り続けて来たのと同時に、聖教会の理念と真逆の事を続けていながら、誰にも知られる事なく世界の内側で暗躍してきたのです。誰にも気づかれる事無くね」
そう語る彼の言葉が恐ろしくて、それでも、私は聞かずにはいられませんでした。
「そんな裏社会のあなたが何故私に今、会いに来たのですか? 私はこの後死罪を賜るのでしょう?」
そう言うと、何が可笑しかったのか、呵呵大笑する老人と、取り巻きの騎士達。
「はっはっは。いや、失礼。しかし御身を死罪になどとんでもない。貴女には、これから先、持って生まれたスキルを徹底的に使い倒して頂き、我が世の春を謳歌していただきます。むろん、我が『ジャッカル』の庇護の基に、ですがね。そして、ゆくゆくは、某のような大幹部にと抜擢されて、世界支配の支配者層になっていただきます。その為に、この国も、王族も、滅ぼしたのですからね」
この日、一番の衝撃だった。私を生かし、連れて行ってくれるという。だが、その為に国も、民も、父や母、兄たちも殺された。この国は滅亡したのだ。8万5千人の命を奪って。それも、只私一人を連れて行く為に。
「そのような話、受けられる訳がありません。今すぐ私を殺しなさい! 王家の者として、いまさら命乞いなど出来る筈もありません。かくなる上は、自ら死しても」
そう、言いながら護身のナイフを己が喉元に突き付けて、一突きせんとした処で、
「そうはいきません。取り押さえよ!」
老人はそう言うと私に魔法を掛け、私は正体を無くしたのでした。
そして、
どれ程の時間が経ったのでしょうか? 数日でしょうか?
もっと経ったのでしょうか?
はっきりとしているのは、私が、幾度か覚醒しているということ。
その度に、苦痛、快楽、あらゆる手管を使い私をおもちゃのように扱い、
そして、目覚めるごとに何らかの大切な記憶を無くしていたこと。
そして、遂にはあの老人、「滅亡総監」と名乗った男に逆らうという感情を無くしていたこと。
彼の望むままに指示された相手からスキルを【強奪】して、私は闘う力を得たこと。
そして、無くした名前に代わって新たな名を得たこと。
「素晴らしい。既に貴女は聖騎士の最高峰ですらあっさりと討伐してしまうだけの戦闘力を身に付けました。美しく、気高く、孤高で、なおかつ強い。某が理想とする強き兵士。いや、それ以上の存在、言ってしまえば『絶対天使』とでも言っていい存在になりました。ふむ、『絶対天使』素晴らしくいい響きですな。それでは、貴女に新たな名を与えましょう」
そう言って思案すること僅か。
「そうだ! 某にとって最初の完成した『作品』であることですし、かの魔王の名を頂戴して、『ファウスト』と、名づけましょう。貴女は今日、この日より、『絶対天使ファウスト』と名乗りなさい」
「拝命いたしました。総監。今後も、御身と『ジャッカル』、そして偉大なる『大首領』の為に」
そう。今では私は、この男に膝を折る事すら躊躇わなくなっていた。
今では、彼の為に働く事が私の全てであった。
こうして、『絶対天使ファウスト』は、悪の限りを尽くして更なる力を身に付けて行く事となる。
最初の頃は、只、言われるままに押さえられた敗者からスキルを【強奪】していった。
やがて、手に入れたスキルの力を借り、己の力で「獲物」を狩り【強奪】する事を覚えた。
そして、50を超えるスキルを【強奪】する頃には、私は一人前の戦士になっていた。
100を超えるスキルを【強奪】した頃には私に勝てる存在などもはや想像できなかった。
200を超えるスキルを【強奪】すると、私の中で変化が起きた。
かつて、手に入れたスキルが新たに【強奪】したスキルと科学反応を起こし、今までとは違う使い方を出来るようになった。
例えば、雷の魔法に精密な操作を施し、土魔法と合成して地下の断層に向けて解き放つ事によって地震を起こすことが出来るようになった。
この頃になると、身体能力はおろか、魔力も人間の限界をとうに超えて、私自身、神話の時代の魔王にでもなってしまったような錯覚を覚えてしまった。
使っても、使っても尽きない魔力。神代の力の如き天変地異すら起こせる魔法。仮に剣の力で戦ってもそれ一本で竜すら倒してしまえる程の剣技。そして、「総監」より賜った無数の兵士たち。
今なら、確実に言える。私は最強だと。
私に勝てる者など存在しないと。
だが、そこでふと考えてしまう。
ならば何故、私は、何故彼らに従っているのか?
無論、逆らう気は無い。
だが、根本的な疑念として、心の奥に浮かんだ一つの問は、私の中で常にあり続けるものになると確信していた。
私ハ誰ノ為ニ生キテイルノ?




