第6話 ロザリアの茶会
「はあ……」
本日、もう何度目になるのだろうか。
周囲の人間に悟られぬよう顔を背け、カイはこっそりと溜め息をこぼす。
深い赤色のカーテンの向こうには、この部屋に入った時、青空が広がっていたはずなのに。
いつの間にかそれは闇に染まっており、月と星がカイを慰めるように慎ましく輝いている。
目の前のテーブルには、何杯目のおかわりか数えるのを諦めた、なみなみと紅茶の入ったカップ。
次から次へと出て来た茶菓子類も、今はもう手付かずで山を成したままだ。
(しばらく紅茶と甘い物はいらねえな……)
一人心の中で呟く彼に、向かいに座る少女が楽しそうに話しかける。
「カイ様、どうかなさいましたの?」
「ああいえ、何でもありませんよ」
ことりと傾げられた顔立ちそのものは愛らしく、普段のカイならば喜んで手を取り、愛を囁くであろう相手だ。
しかし、今はその声に引き攣りそうになる頬を、とどめるので精一杯。“女たらし”を自負した己に、後悔すら覚える。
「そうですか? では、お話を続けてもよろしいですわね」
「え、ア、ハイ」
形ばかりの笑みを浮かべるカイを確認すると、また少女は楽しそうに唇を動かし始める。
おいおい嘘だろ、と声にならない驚愕をこぼしながら、緑眼はそっと瞼に隠れた。
彼らがこのリーズリットの屋敷について、早数時間。
偶然出会った少女ロザリア――もう一つの依頼のための情報源――に茶席に誘われ、承諾したのが運のツキ。
彼女の茶席は、異常なまでに長かったのだ。
元々貴族の女性というのは、お喋りが好きなものだ。あたりさわりのない世間話から流行や醜聞まで、そうした席で情報を得るのも彼女たちの『仕事』といえる。
カイもそうしたことを理解した上で、ロザリアと同席したのだが。
「――なんですのよ? 本当にもう失礼しちゃいますわ! ああ、この事は話したかしら……」
「…………」
とにかく、彼女の唇は止まると言うことを知らないらしい。後から後から話が続くため、こちらから口を挟む隙もない。
結果、もう何時間も延々と相槌を返すだけの機械と化している。
「……全く、このわたくしに歯向かおうなんて、愚かな方ですわっ!」
「は、はあ、そうですか……」
しかも、所作からも感じ取れた『嫌な予感』が的中してしまった。
彼女は話術が上手いわけでも、話しの内容が面白いわけでもないのだ。
ただひたすらに、辺境の自慢話を聞かされる。それが可愛いご令嬢からとは言え、何時間も続けばもはや拷問だろう。
女好きのカイとて、いい加減うんざりしている。
(……この令嬢、ちゃんと教育受けてんのか……?)
事前に調べた情報では、勉強はできる令嬢とのことだったが。もしそれが計算や暗記だったとしても、中身がこれでは後々苦労しそうだ。
(――まあ、甘やかしてるのは確定だろうな)
カイがちらりと視線を横へ向けると、座席の隣には“自分と同じ装いの男”が、紅茶を啜りながら座っている。
……そう、視察官護衛のために残してきたはずのレンが、同席しているのだ。
何故ここにいるんだと動揺するカイに、『令嬢が望み、家主と視察官が許可したため』だと平然と答えられたのはもう数時間前のこと。
確かに、この屋敷は比較的安全な造りをしている。今も彼らは壁一枚向こうにいるので、何かあればすぐに駆けつけられるだろう。
鍵をかけられたとしても、『器物破損率一位』のレンをもってすれば、扉ぐらい壊すのも容易い。
それに、護衛対象の視察官が「いい」と言ったなら、騎士たちはそれに強く抗う権限はない。茶席に参加していても、職務放棄にはならない。……ならないのだが!
(だからって、そこは止めるのが普通だろう家主よ!!)
不満の矛先は、娘のわがままをさらっと通したリーズリット候に向く。
思い返せば、彼らは十七の娘の両親にしては少々年かさであった。十代で嫁ぎ、出産する者もいる貴族社会で見れば、なかなか珍しい。
単純に考えれば、長らく子宝に恵まれず、ようやく出来た子だから甘やかしてしまったのだろう。
――気持ちはわかるが、“今正に監査をされている立場”だと忘れないで欲しいものだ。
(……この様子じや、ロザリア嬢から『双子の姉』について聞くのは難しそうだな)
我関せずの姿勢で無言を貫くレンを恨めしく眺めつつ、微笑むロザリアに頷いて返すカイは、そっと胃の辺りを撫でた。
『王都へ戻ったら、同僚をもう少し気遣ってやろう』と、人知れず誓いを立てて。




