第5話 リーズリット邸にて
「ここがリーズリット邸か……」
メルキュールの街の中を走らせること一時間強。
馬車が到着したのは、意匠こそやや古いものの、大きく立派な屋敷だった。
装飾は決して派手ではないが、掃除や手入れは隅々まで行き届いており、全体的な色合いも趣味が良い。
この家の主の人柄を表すようだと、好意的に感じられる佇まいだ。
「ようこそ、いらっしゃいました」
通された応接間で迎えてくれたのは、中年の夫婦。彼らがこのアウリール地方の領主、十二代目リーズリット候とその奥方だろう。
人は年をとると性格が顔に出てくると言うが、善人にしか見えない優しげな面立ちの二人に、視察官はもちろんカイもレンも笑みを浮かべて頭を下げる。
「……二人とも良い人そうだな」
「ああ」
こっそりと頷き合い、二人の騎士は彼らから一歩下がる。
あくまで任務は護衛であり、政治的な話に干渉できる権限はないのだ。あまり近付きすぎて、相手を威嚇してしまってもいけない。
(……さて、ここからは視察官殿に任せるとして)
ちら、と室内に視線を巡らせ、お互いに瞬きをもって確認し合う。
この部屋までの経路は廊下をまっすぐ、入り口も騎士二人の後ろにある扉が一つのみだ。
門番はもちろん、途中ですれ違った使用人たちにも教育は行き届いていたようだし、窓の角度からも賊が押し入ることは難しいだろう。
――つまり、ある程度の安全が確保されている状態だ。
「ベッカー視察官、誠に申し訳ないのですが、一人外させて頂いても構わないでしょうか?」
「……ああ、例の件ですね。こちらのお屋敷は警備もしっかりしていますし、私は大丈夫ですよ」
カイがなるべく邪魔にならないように伺えば、事情を知る視察官はもちろん、家主のリーズリット候も首肯を返してくれる。
いくら善政領主とは言え、調べるものは調べなければいけない。その時間、護衛にできることは立って警戒しているだけだ。
危険な場所ならともかく、安全だと確認できている以上、時間を無駄にはしたくない。
「では、マインツを置いて行きます。私も仕事が済み次第戻りますので、何かあればお申しつけ下さい。――レン、しばらく頼むな」
「わかった」
目配せすれば、馬車路とは別人のような真面目な表情でレンも頷く。
それぞれに軽く挨拶をして、カイは静かに応接間を後にした。
「……さて、どこから攻めたもんかね」
扉を閉めて、ようやくいつも通りの顔に戻り息をつく。
レンと比べれば対人技能は格段に高いカイだが、だからと言ってかしこまった態度が得意なわけではないのだ。あの生真面目な同僚と違い、敬語に慣れているわけでもない。
ああ、緊張したと制服の詰襟を緩めながら首の辺りをさすって――ふと、視線を感じ振り返る。
(……ん、誰だ?)
視線の出所は廊下の壁の陰から。色々はみ出ているが、隠れているつもりなのだろうか。
年頃は十代と思しき少女で、灰桃色の長い髪を毛先だけゆるく巻き、フリルの多い紺色のワンピースドレスを纏っている。
カイを見つめるぱっちりとした青の瞳は、勘違いとは思えないほど熱っぽい。
(おお、可愛い子発見! ……って、あれ使用人じゃないよな?)
遠目に見ても上等そうな装いは、さすがにお仕着せではないだろう。
一人思い当たる人物を浮かべながら、カイはにっこりと微笑みかける。
「こんにちは、お嬢さん。そんな所でどうなさったのですか?」
「…………ッ!!」
意図して口にするのは、いつもよりも数倍甘い声色。
慌てて逃げ出そうとする少女に、カイは制止の意味も込めて、スッと手を差し出した。
「オレに何か御用なのでは?」
「かっ勘違いしないで下さる!? 別に見惚れてなんていませんわッ!!」
「…………」
――なるほど、見惚れていたのか。
廊下に響き渡った彼女の声に、辺りから驚いた使用人たちが駆けつけて来る。
途端に少女は頬を真っ赤に染めて、カイを睨みつけた。
「ええと、驚かせてしまったようで、すみません。オレの顔を気に入って下さったのなら、どうぞいくらでもご覧になって下さい」
「ち、ちが……もうっ! 貴方一体なんですの!? お父様のお客様と聞いていたのに、こんなに若い方がいらっしゃるなんて!!」
集まった使用人たちをしっしと追い払いながら、真っ赤なままの少女がカイに近付いて来る。
少し幼さは残るが、十代後半ぐらいだろうか。近くで見れば、いっそうカイの思い浮かべる人物と特徴が一致している。
砂糖菓子のようなふわふわした容姿の、愛らしい少女だ。
「オレはその視察官の護衛ですよ。ライハルト聖騎士団所属のカイ・ウィスバーデンと申します」
「聖騎士団の……騎士様?」
歌うように語り、ふわりと外套を翻すカイに、少女は言葉を失う。もしかしたら、また見惚れているのかもしれない。
悪い気分ではないカイは、少しだけ意地悪な色を込めて微笑みかける。
「お名前を伺ってもよろしいですか? 可愛いお嬢さん」
「えっあっ……わ、わたくしは、ロザリア……リーズリット侯爵の息女、ロザリア・リーズリットですわ」
惚けていた少女は、慌てて身なりを整えドレスの裾をひっつかむ。顔立ちは可愛いが、淑女としては色々と足りていない所作だ。
王都の女児よりもつたない動きに、ついカイの眉間に皺が入ってしまう。
――しかし、どうやら『もう一つの任務』の手掛かりは得られたようだ。
(ロザリア・リーズリット。こんなに早く出会えるとは、実に重畳)
思っていた『令嬢』とは少々違ったが、顔立ちだけなら確かに及第点だ。
そして、どうやらカイの容姿に好印象をもってくれているらしい。
(オレが先に出て良かったぜ。ここは“女たらし”の本領発揮といこうじゃないか)
同僚が聞いたら怒りそうだが、ちゃんとした仕事なのだから仕方ない。
にっこりと騎士らしい微笑みを浮かべるカイに、ロザリアが茶の席を提案するまで、結局数分とかからなかった。