第4話 それぞれの日々2-ルキア
「……さてと、準備完了!」
ヘレナに注意された通りに洗濯を終え、身なりを整えた私は、壁付き姿見の前でくるりと回って全身を確認する。
「魔術師の正装」といっても良いほどありふれたものである、紺色のフード付き外套と、同じ色の丈の短いワンピース。
汚れや皺もなく、どこにでもいる若い魔術師の装いだ。
……不審なまでに、“顔を隠している”ことを除けば、だが。
(……いい加減見慣れはしてるけど、やっぱり変よねえ)
鏡に映るのは溜め息をこぼす口元のみで、鼻から上は全てすっぽりフードの中。一歩間違えれば、変質者に見えなくもない。
しかし、残念ながらこれが私の正装だ。
何せ、私の顔は“領主の一人娘”ロザリアに非常によく似ているのだ。
それはもう、「他人の空似」ではどう繕っても誤魔化せない程に、ほぼ同じ顔をしている。
ヘレナが言うには背丈や体格もそっくりだそうだ。さすがは双子、一緒に十月十日を過ごしただけはあるわ。
「まあ、お面をかぶるよりはマシよね。フードぐらい」
本当は家に引き篭もっていればいいのだろうけど、それでは生活していけないのだから仕方ない。
幸いにも女なので「恥ずかしがり屋なんです」と言えば、大抵の人間は信じてくれるし、むやみにフードを外そうとしたりもしない。
……まあ、そんなことを許すほど、私も弱くはないつもりだけど。
「……ちょっと髪の毛伸びたかな」
フードの端からちょろりとはみ出る灰桃色を、軽くつまんで耳の後ろへ隠す。
貴族の令嬢らしくロザリアは髪を伸ばしており、その色もまた周知だ。
それほど珍しい色ではないけれど、私が疑われる要素になるのなら、当然隠さなければならない。まだ肩につくほどではないけれど、そろそろ切った方がよさそうだ。
「いつか、私も髪伸ばしてみたいな」
普段なら心の奥に押し込んだ願望が、少しだけこぼれ落ちる。
髪を伸ばすことも、お洒落な服を着ることも――この顔を晒して外を歩くことも、メルキュールに居ては叶わないことだ。
そもそもリーズリットの親族の中には、私が生きていることそのものを良しとしない者だっている。
長であり侯爵位を継いだ父が止めているから無事なのであって、勝手にこの家を出て行けば、恐らく暗殺者が差し向けられるだろう。
(独り立ち費用ももう少し足りないし、頑張らないとなあ)
安全にこの街を出るための貯金もしているけれど、生活をしながらではどうしても貯まるのが遅い。
結局、「野垂れ死んでもここから逃げたい」という覚悟を持てない私も悪いのだ。
ヘレナに依存していることも、自覚している。……だから、髪を伸ばすのは、もう少し我慢だ。
「ああ、止め止め。一日の始まりが暗くなっちゃうわ! さっさと出かけよう!」
曇りを増す心を振り払うように頬を叩いて、財布をポケットに押し込む。
戸締りだけはきちんと確認して外へ出れば、よく晴れた心地よい天気だ。これなら洗濯物も夕方までには乾くだろう。
「いってきます」
返事のない挨拶を家にかけ、もはや見慣れたメルキュールの街へ歩き出した。
さて、私が今日用があるのは、華やかな店が立ち並ぶ大通りではない。そこから二本ほどそれた、ちょっと怪しい裏通りだ。
今の私の生活費は、リーズリット家から援助が少しと、あとは自分で稼いでいる。
ヘレナが言うには全額援助も望めるらしいけど、それではますます独り立ちが遠のくというもの。多少不便だとしても、自分で働いた方が気分も楽だ。
かと言って、顔を出す仕事はできないし、接客業などもってのほかだ。
消去法で吟味した結果、私が選んだ仕事は、これ。
「こんにちはー」
灰色を基調とした、石造りの少し古い建物。
薄暗い店の装丁の割りに、扉の鈴の音だけは妙に軽やかに響く。
「おう、いらっしゃい嬢ちゃん」
「こんにちはマスター。何か面白そうなの入ってる?」
傷んだ木製のカウンターから出迎えてくれるのは、よく日に焼けた大柄の中年男性。
顔にまで傷を刻んだいかつい彼は、ここの店主だ。今は落ち着いているけれど、元は傭兵だったらしい。
建物の中は非常にさっぱりしていて、木製の机と椅子が数個並べられているだけ。不衛生とまでは言わないが、この殺風景な場所で食事をとりたい人間はまずいないだろう。
窓にカーテンすらかかっていない空っぽの室内で、壁にだけはびっしりと紙が貼り付けて有る。
大小規格もばらばらなそれは全て仕事の求人表だ。いかつい風体の男達が数人、それらを吟味するように眺めている。
ここは単発の仕事のやり取りする場所――いわゆる、冒険者ギルドだ。
私の選んだ仕事とは、これ。簡単にいえば、『賞金稼ぎ』だ。
実はこのアウリール地方は、魔物の被害が少ないことで有名な土地である。
国内全域で確認される不定形の化け物『魔物』は、王都を含めたどこにでも出没する極めて危険な存在だ。
しかし、この地を治めるリーズリット家は魔術師の一族。本来ならば人を雇って対策をするはずの街の守り、『結界魔術』を領主家自身がどうにかできるのだ。
当然手入れや対策がすぐにとれるため、メルキュールを含めた街の中は、いつでも安全な状態に保たれている。
ところが、人外の心配が無いとわかると、今度は人間がオイタをするようになってしまった。
この中心都市メルキュールとて例外ではなく、潜伏している賊の多さは国でも指折りと言うのだから、実に情けない話だ。
もちろん、公安機関は機能しているし、街の人々が自警団だって運営している。
それでも全ての事件に対応できるわけではなく、結果出来たのがこのギルドというわけだ。
今では手隙の傭兵や旅の魔術師、また私のような“わけありの人間”には、とても有難い場所になっている。
「昨夜はお疲れ様だったな、嬢ちゃん! あの泥棒には手を焼いてたって、公安のヤツらが喜んでたぜ」
「おかげでこっちも寝不足だけどね。逃げ足速いのなんのって」
マスターが差し出す依頼書にサインを記し、引き換えに報酬金を受け取る。
今朝私が寝不足になっていたのは、ここでの仕事を請けていたからだ。昨日の夜に掴まえたのは公安機関から要請のあった泥棒案件で、報酬もそちらから支払われているものだろう。
このギルドでは個人から団体まで幅広い層から依頼が舞い込み、仕事の内容もペット探しから護衛や討伐任務と様々なものがある。
中でも私は、報酬金額が高めの荒事を主に請け負う戦闘屋だ。
……顔を隠した小娘など怪しさ全開だというのに、マスターもよく仕事を回してくれるものだ。いや、もちろん有難いのだけど。
「そうそう、ちょっと危険なヤツだが、新しい依頼が入ってるぜ? 聞くか?」
ふいにマスターの薄い唇が悪い形に笑って、肌に合わず妙に白い歯が光る。
「え、なになに? 手応えありそうなやつ?」
「ははっ! 嬢ちゃんは見かけによらず、本当に荒事好きだよなあ」
豪快に笑う彼の声に、壁を眺めていた男たちがやれやれと肩をすくめて見せる。
別に荒事が特別好きなわけでもないし、痛いことはむしろ嫌いだ。
それでも、報酬が高いこうした仕事は有難いし、娯楽の全くない私の人生で、魔術を極めることは唯一の楽しみなのだ。
(まあ、悪事を働いた己を恨んでもらうしかないわね)
私にボコられる人たちには、ほんの少しだけ申し訳なさを感じつつ、マスターがいう『危険な仕事』に心が浮つく。
殺さないよう加減を学ぶにしても、罪人はとてもいい相手なのだから。
「おお、あったあった。ほら、詳細だ」
「マスター、一応仕事なんだから、整頓しときなさいよ」
「ははっ悪ぃ悪ぃ」
彼の背後でバサバサと崩れる束を後目に、渡された数枚綴りの書類に視線を走らせる。
題目として掲げられているのは、『生死問わず』の最も過激な一文。
続く名前は『盗賊団・赤髑髏』。
「……ずいぶん禍々しい名前ね」
「北の方で騒いでやがった連中が、メルキュールに仕事場を移したって噂でな。殺しまがいなこともやってる厄介なヤツらだ」
「へえ……」
平静を崩さぬように顔を作り、ぺらぺらと紙をめくる。
どうやら、かなり大所帯の盗賊団のようだ。これまでの手口や被害件数が情報として続き、そして……
「うわっ! すごい金額ついてる!」
彼らにかけられた賞金額は、荒事依頼でもなかなかお目にかかれないほどの高額だった。
この一件だけで、ゆうに半年以上は遊んで暮らせるだろう。
思わず桁を数え直す私に、マスターがまたけらけらと笑っている。
「だろう? 厄介っちゃー厄介だが、この金額はそそられるよなあ」
「確かに、これは魅力的だわ……」
報酬の出所は、お金持ちの家が何件か連名しているようだ。恐らく、それだけ警戒する相手なのだろう。
金額の高さがすなわち危険度を示しているにしても、独り立ち資金を貯めたい私としては抗いがたい案件だ。
「どうだ? やるかい嬢ちゃん」
「……請けるわ。手続きよろしく」
「そうこなくっちゃな! 嬢ちゃん用にとっといた甲斐があったぜ」
カウンターから伸びた手に背中を叩かれながら、依頼書に名前を記す。
マスターの期待に応えるためにも、これは全力で挑ませてもらおうじゃないか。
(盗賊たちには悪いけど、私の独り立ちの資金になってもらうわ)
寝不足のだるさはすっかり消えて、頭は早速『赤髑髏捕獲計画』へ動き始める。
いかつい男たちに見守られながら、貴族令嬢でなく『賞金稼ぎのルキア』としての新たな一日がまた始まるのだった。




