第3話 それぞれの日々-カイ
「はあ……やっと着いたなー!!」
街の入り口に立てられた看板の『メルキュール』という文字を確認して、カイは馬車の中から大げさなほどの歓声を上げた。
馬車に揺られ続けた八日間の旅路。時には盗賊や魔物と戦い、時には御者席で手綱を取り、紆余曲折を経てようやく目的地へ辿りつくことができた。
……正確にはまだ折り返し地点なのだが、しばらく揺れずに生活できるというだけで十分だ。
「カイ、うるさい」
「何だよレン! お前は嬉しくないのか? ようやく馬車揺れの日々から開放されるんだぞ!?」
「…………」
向かい合って座る同僚の冷たい一言に、思わずムッとしたカイが顔を覗きこむ。
……が、直後にがっくりと頭を下げた。
「もう寝てやがる……薄情なヤツだな」
腕を組んだ姿勢のまま、同行者たるレンからは規則正しい息遣いだけが聞えてきている。もしかしたら、先ほどのツッコミも寝言だったのかもしれない。
元々レンはお喋りな性格ではなかったが、この旅路では特に無口であったように思う。
もちろん何かあれば、カイが声をかけるより早く対応してくれるのだが、それ以外はずっとこの調子だった。
護衛任務は果たしている以上、問題はないと言えばないのだが。とは言え、話し相手にすらなってくれないのは、なかなかに寂しいものだ。
「マインツ殿は寝つきが良いのですね」
「ああ、すみませんベッカー視察官。色々とお見苦しいところを」
相手をしてくれない同僚をしょんぼりと見つめていれば、そのすぐ隣から穏やかな笑い声が聞えてくる。
馬車に同席している淡黄色の髪の紳士は、今回の任務の護衛対象であり、この地方の定期視察を担当する視察官である。
慌ててカイが謝罪をすれば、特に気にした様子もなく笑みを返してくれた。
年は四十半ばほど。おっとりほんわかとした雰囲気の、優しそうな男性だ。
(……この人も、悪い人ではないんだけどなあ)
この八日間旅を共にしてきた以上、当然カイもそれなりに会話を交わしている。
しかし、所詮は今回限りの付き合いとなる『護衛対象』。馴れ合っても仕方ないし、何より年の離れた彼とは、共通の話題も多くはないのだ。
気遣いに感謝はしつつも、カイの瞳は逃げるように馬車の窓の外へ向かってしまう。
(……ここが、メルキュールか)
馬が駆ける速度で、ぼんやりと景色が流れて行く。
王都を見慣れているカイからすれば、規模も小さく華やかさも足りない『田舎の街』といった印象だ。建物同士の間隔は広いし、街の中に緑も多い。
それでも、この地方の中心都市というだけあり、栄えてはいるのだろう。
カイの視界を流れて行く人々の顔は、皆活気に溢れているように見える。
「ここの領主が優秀って言うのは、本当らしいな……」
ぽつりと率直な感想をこぼせば、向かいの視察官も小さく頷いて返してくれる。
民がどれほど頑張った所で、結局上の人間のやり方ひとつで、生活は変わってしまう。
礎たる今の国王が善政を行っている為、どの街もそれほど荒むことはないはずだが。それでも、領主や貴族が勝手なことをして、苦労している街もあるらしい。
「この地方は、当たり領主だったんだろうな」
「ええ、そうですね」
カイの独り言に、また穏やかな声が返される。
カイもレンも「武力」を売りとする者ではあるが、自分たちの出番がなくて済むのなら、それにこしたことはない。平和が一番だ。
穏やかな風を受けながら、三人を乗せた馬車はリーズリット家へ向かって行く。
そこで待っているものが、優しい日々だと信じて。