第41話 姉妹
『羨ましい』と、確かに私に向けて告げられた言葉の意味が、一瞬わからなかった。
生まれてこのかた、ひっそりこっそり隠れて生きてきた身だ。
まさか、その私に『羨ましい』なんて言葉をかけられる日がくるなんて、思ってもみなかった。
「…………」
向かいあうロザリアは、感情の抜け落ちた顔のまま、じっと私を見つめている。
――嘘とも、からかいとも思えない様子。貴族令嬢がこんな私を『羨ましい』と感じるなんて、一体どんな生活を送ってきたのだろう。
「……もしかして、貴女は虐げられていたの?」
ようやく口をついて出た声は、意図せず少しかすれていた。
そんな私に、ロザリアはゆるく首を横にふり、自嘲気味に微笑む。
「決して虐げられてはいなかったわ。見ての通り、貴族の娘として不自由なく育ててもらえた。貴女よりずっと裕福な生活をしていたわ。……でも、そうね」
ふと、伏せられた長い睫毛が、白い肌に影を落とす。
「たとえば、そう。あの使用人が作ったシチュー。貴女はそれが好きなんでしょう? お姉様」
「ええ、ヘレナのシチューは私の大好物よ。よく知ってるわね」
「貴女の話は彼女からしか聞けないもの。お父様もお母様も、それは熱心に聞いていたから、私も知っているわ。……それでね、私はその料理、あまり好きではないの。でも、『ルキアが好きだから、お前も好きだろう?』と必ず山盛りで渡されるの。そういう生活といえば、わかってもらえるかしら?」
「…………ッ!」
……思わず鳥肌が立った。
何を言っているのかと思ったけど、『ロザリアを見ていない』ってそういうことか。
それは確かに、自意識過剰や勘違いではない。私とロザリアを“同一視”していなければ起こらないことだ。
「私たちは別人よ。どうしてそんなことを……」
「ええ、別人よ。別の趣味、別の思考をもっている。でも、そう思っているのは私たちだけ。だって見て、お姉様? こんなにそっくりなんだもの」
空っぽの笑みを浮かべるロザリアに、また背筋が寒くなる。
目の色、髪の色。服装こそ違えど、顔形はぞっとするほどそっくりだ。それこそ、鏡を見ているように同じ顔。
それでも、私はルキアだし、彼女はロザリアだ。別の人間、別々の感情を持って生きている。
……リーズリット家の人間は、そんな当たり前のこともわからないの?
(もしかして、私のほうがマシだったとか……?)
こそこそ隠れる生活だったけど、私は好きなことを好きだと言えていた。魔術の勉強だって、好き勝手にやってこられたから、今がある。
いくら貴族として不自由がない生活でも、別人の“代わり”を強いられたのだとしたら、それは苦痛以外の何ものでもない。
「……お姉様は、本当に顔によく出るのね。そして、優しい。心配しなくても、全てが全てそうだったわけじゃないのよ。除名された貴女より酷かったなんて言うつもりもない。……でも、私がこんな嫌な女に育った背景は、何となく察してもらえる?」
「……そうね。少なくとも、さっきの一件に関しては同情するわ」
「ふふ、有難う。でもね、貴女を羨ましいと感じた理由は、他にもあるの。そもそも、“私がリーズリット家に残された”理由こそが、おかしいのよ」
淡々と語るロザリアには、もう諦めの雰囲気が漂っている。
さっきの一件だけでも気持ち悪いと思ったのに、リーズリット家にはまだ理由があるというのか。
知らず握りしめていた拳を確かめながら、小さな唇から落ちる声を待つ。
私が知っている『理由』は、歴史から消された双子の姉妹の話のはずだけど――
「……おかしいと、貴女は本当に思わなかった? どうして魔力に優れていた貴女を除名して、魔力のない私のほうを家に残したのか」
「それはアレでしょう? 過去に悪政を行ったのは、『魔力の強かった姉』だったから……」
「殺してしまうのなら、関係ないとは思わない?」
「――……あ」
――ああ、そうだ。そうだった。どうして忘れていたのだろう!
私は本来間引かれるはずだった。つまり、殺されるはずだった。
隠れていようが何だろうが、“生きていること”事態がおかしかったのだ。
「一人しか残さないのなら……双子の片割れを“なかったことにする”のなら、普通は優れたほうを残すはずよ? 違う?」
「ちがわ……ない。普通は、そうだと思う」
そうだ。貴族として産まれたからには、次代へ血を繋ぐことは義務だ。
元々魔術師が始まりだったリーズリット家なら、特に魔力を次へ繋ぎたいはずだろう。
過去の話がどうであれ、未来を考えるのなら『魔力持ち』を残すのが普通。そもそも、リーズリット家でなくとも、魔術師の血は重宝される。
なのに、私のほうが除名されて、魔力のないロザリアが残された。――確かにおかしな話じゃないか。
「……リーズリット家は、魔術師を持ちたくなかったってこと?」
「少し違うわ。神官を祖とするこの家が、魔術師の血を嫌うはずがない。でもね、お姉様。貴女の力は強すぎた。産まれた時からわかってしまうほどに、貴女は魔術の才に恵まれすぎていたのよ。そして、今のリーズリット一族は、魔力が薄くなりすぎてしまっていた」
「……話が読めないわ。薄くなっているのなら、余計に欲しがるはずじゃないの?」
「貴女は強すぎて、ご老人たちの手には余る。御せない子はいらない、と判断したのよ」
「…………」
……なんだそれは。
呆れを通り越して言葉を失った私に、ロザリアは肩をすくめて応える。多分、私がこういう反応をするとわかっていたのだろう。
「リーズリット家はもう魔術師一族でなく、貴族に染まりすぎている。自分たちに抵抗できるような子はいらないと思っているから、御せる私を残して、強い貴女を消そうとした。馬鹿みたいでしょ?」
「馬鹿みたいというか、馬鹿でしょ?」
「ええ本当、馬鹿の集まり。だから、貴女が生きていると知ったら、きっと暗殺者でも送り込んだと思うわ。……もっとも、今の貴女にはもう無駄だろうけど」
そういう可能性を考えてなかったわけじゃないけど、関係者に肯定されるとさすがに笑えない。
しかも、理由が思っていたよりもずっと馬鹿らしいじゃないか。この一族、領主なんて任されていて大丈夫なのかしら?
というか、この状況……“魔力に優れたほうの双子の姉”が一族から省かれるって、それこそ過去の悪夢と全く同じなんだけど、誰か気付いているのだろうか。
「……ねえ、ロザリア。私は過去に倣って、リーズリット家を滅ぼすべきなのかしら?」
「お姉様がそうしたいならどうぞ? 今の我が家には、挽回してくれる『跡継ぎの弟』はいないし、確実に滅ぼせるわよ? その価値があるかどうかは知らないけれど」
「……ないわね。というより、関わりたくないわ。アウリールの地に恨みはないし」
「賢明な判断ね。貴女には神官になるという輝かしい未来がある。こんな田舎貴族のことなんて、忘れたほうがいいと思うわ」
「田舎貴族って……」
否定はできないけど、それをロザリアが言うのはどうなんだろう。
だって彼女は、残された側の人間。その田舎貴族を継がなければならないのが、他ならぬ彼女なのに。
「……貴女は、本当に優しいのね。顔に出ているわよ、お姉様」
「う、そ、そんなにわかりやすい?」
出やすいといわれた頬をほぐしてみれば、空虚なロザリアの笑みに少しだけ感情が戻った。
……何か、眩しいものを見るような、とても切ない色だけれど。
「ええ、とてもわかりやすいわ。有難う、お姉様。……私はロザリア・“リーズリット”。この田舎貴族を継ぐ人間。こんな一族だけど、それでも私は選ばれたから。たとえ理由がどんなに馬鹿なものであっても、私はこの家も両親も愛している。私が愛されていなかったとしてもね」
「ロザリア……」
全く同じ顔立ち。そうであるはずなのに、彼女が見せるのは儚げで、今にも消えてしまいそうな表情ばかりだ。
私が鏡に向かっても、到底再現できないようなか細い笑み。
それでもよく似た青色が、また私を捉えた。
「私が領主を継いだらね、両親は貴女の元へ行くそうよ。ずっと離れていた、貴女と共に暮らしたいのですって」
「――はあ?」
思わず柄の悪い声が出てしまった。
私の元って……つまり、王都へついてくるってこと? 私は、彼らの顔すらロクに知らないのに?
「御せる娘と思っているのは、ご老人たちだけじゃないということね。さっさと私にアウリール地方を押し付けて、貴女の元へ行きたい。それこそが両親の望みらしいわ。だから言ったでしょう? 傍にいた私ではなく、ずっと愛されていたのは貴女だって」
「待って、ちょっと待ってよ!? 両親なんて言われたって、私は全く面識ないのよ!? そんな他人と変わらないような人たちに来られても困るわ!!」
「貴女にとっては他人でも、両親にとっては恋焦がれた大切な娘。うるさい老人どもを欺いて、隠し続けてきた愛しいルキアなのよ。貴女が神官として王都へ行くのは、ちょうどよかったわね。親族が多いアウリールの地から離れられるのだもの」
ロザリア一人を、この地に置き去りにして。声に出されなかったその事実に、心が軋んだ。
「……本当に、本当にそう言ったの? 貴女の両親は」
「きちんと口には出していないわ。でも、そういう準備をしているのは知っているし、十五を迎えた年から領主職について教えられているの。本来なら婚約者を見繕うのが先でしょうに、焦って順番を間違えている。早く貴女の元へ行きたいばかりにね」
「――馬鹿馬鹿しい」
馬鹿だ。“ロザリアの”両親は大馬鹿だ。
ずっと傍に、彼女はいたのに。田舎貴族の一族の、こんな馬鹿な顛末を知ってなお、それでも愛していると言うロザリアがいるのに。
こんなくだらない家を、それでも継ぐと言ってくれているのに。
「……ロザリア、『私に両親なんていない』わ。母親代わりに、ヘレナという女性がいただけ。たとえ、どこかの貴族が押しかけてきても、私はそれを否定し拒絶する」
「お姉様……」
彼女に返せる言葉を探して、思いついたのは『否定』だった。
強く口にしたそれに、よく似た青眼が見開かれる。
「……お父様もお母様も、泣いてしまうわね」
「知らないわ。ここまで、十七年よ? 隠すだけで精一杯だったのかもしれないけど、会いに来る暇がなかったなんて言わせない。それで愛しているだのと言われても、信じられるものですか」
「それで見てもらえなかった私が馬鹿みたいじゃない」
「そう、貴女も馬鹿よ、ロザリア。誰も彼も馬鹿ばっかり! 隠された生活を受け入れていた私も含めてね!」
隠れて生きることを是として、何も知ろうとしなかった私。
代わりだと見られつつも、愛を求めてしまったロザリア。
自分たちの立場のため、双子を否定したリーズリットの親族たち。
それを受け入れておきながら、中途半端にだけ抗っていた両親。
「ぜーんぶ終わり! 私は『賞金稼ぎのルキア』よ。実力を認められて、これから王都で神官になるわ! “居もしない”両親の愛情なんていらない!! 貴女は? まだ私が憎い?」
「……羨ましくはあるけど、憎くはなくなっちゃったわ。話してみたら、貴女馬鹿なんだもの。……私も、大馬鹿だった。ああもう、なんでこんなものに執着していたのかしらね」
頬を伝った生ぬるい滴が、ぱたぱたと地面に吸い込まれていく。
それこそまるで鏡のように、向かい合ったロザリアも同じ表情をしていた。
「お姉様、もっと早く、貴女に会ってしまえばよかった」
「まあ、貴方が馬鹿やったおかげで、凶悪な盗賊一団が壊滅したんだし。それで良しとしない?」
「殺されかけた貴女が、それを言うの?」
「私は腕利きの賞金稼ぎよ? 考えてみたら、命ぐらい狙われて当然だったわ。裏に貴女がいようといまいと、どうせあいつらとは敵対してた」
「ふふ……本当に、強いわ。強くて、優しくて……ああ、やっぱり貴女が羨ましい! 私も貴女になりたかった!」
ずっと人形のようだったロザリアが、くしゃっと、顔じゅうに皺を刻む。
とてもきれいとは呼べないその姿が、なんだか嬉しく感じた。
「私も、貴女みたいに強かったら、愛してもらえたのかしら……」
「関係ないわよ。私たちの立場が逆だったら、両親はロザリアを求めたわ。そこにいない方を求めるだけでしょ?」
「魔力が、なくても?」
「魔術師に魔力は必要だわ。神官になるにも、確かにそれは要る。だけど、ただの“娘”にそんなものいるの?」
両親が私を求めた理由があるとしたら、多分『手元で育てられなかった』からだ。私たちが逆でも、愛情のかけかたは変わらなかっただろう。
「……双子に産まれたから、いけなかったの?」
「元凶を遡ったらキリがない話でしょ? それなら、これからのことを考えたほうが建設的だわ。色々あったけど、私もまあ生きてることだしね」
これ以上は、きっと何を言っても偉そうな言い方になってしまうだろう。
言葉なんて不要だと示すように、私は右手を彼女へ差し出した。
「…………“ごめんなさい”お姉様」
涙でめちゃくちゃの顔のまま、ロザリアの細い手が私のそれを握り返す。
これで本当におしまい。私たちの、しょうもない理由で始まった争いはここまでだ。
(……ああ、多分これって、姉妹喧嘩だったんだわ)
会うことすらできなかったせいで、こじれにこじれてここまで規模が大きくなってしまったけど、結局そういうことだったのだろう。
「もちろん許すわ。だって私たちは、世界でたった二人だけの姉妹なんだから」
やがて、レンとカイさんが息を切らせて駆けつけてくれる頃には、ボロボロに泣き崩れた同じ顔の姉妹が二人、仲良く並んで座り込んでいた。




