第35話 敵
約束の時間からやや早い午前の内に、リーズリットの屋敷へ向けて私は家を出た。
昨夜の厚い雲が嘘のような、清々しい青空が広がる街の中。大通りを覗けば、今日もメルキュールの人々は穏やかに笑い合い、平和な日常を過ごしている。
なるべく日陰を歩く怪しい風体の私にさえ、のんきに挨拶をしてくれるほどに。
(街の様子は平和みたいね)
念のため赤髑髏の動きを警戒しながら歩いているのだけど、さすがに連中も明るい時間に動くことはないようだ。
ただ、私の風体はわかりやすいだろうし、名前も割れている。こうして穏やかに過ごしている皆の中に、ヤツらが紛れているかもしれない。
(自宅の結界も強化してきたし、大丈夫よね)
フードに隠れながら、死角になりがちな場所へ視線をめぐらせる。
建物の影や隙間、商品棚の後ろ、細い路地……よし、こちらを窺っている者はいない。尾行もされていないわ。
あんまりやりすぎると私の方が不審者になってしまうし、それとなく確認したら早足で移動をする。……すでに怪しいとか、そういう泣きたくなるツッコミはなしだ。
そうして通りを抜けて、大きめの家が多い居住区に近付いてきたころ……
「……あれ?」
街路樹の陰に、背の高い白い外套の人物を見つけた。
あの上等な装いに、短い黒髪と背負う大剣。近付いてみるまでもなくレンに間違いないのだけど、何故こんなところにいるのだろうか。
(リーズリットの屋敷までは、まだ結構歩く距離だわ。迎えに来てくれるにしても、ちょっと早過ぎると思うんだけど)
もしや、何かあったのだろうか。期待と不安を半々に感じつつ、ひとまず彼の元へ駆け寄ってみる。
私に気付くと、彼は少しだけ笑って応えてくれたのだが――
(うわ、目が笑ってないわ)
どうやら不安の方が正解だったようだ。体を私の方へ向けてくれるけど、手を振ったりすることはない。隙のない足運びは、戦場のそれに近い気がした。
「早いな。おはよう、ルキア」
「おはよう、遅刻はしたくなかったからね。それで、“何が”あったの?」
「……今のところは。誰も怪我してないし、夫妻と視察官はカイが守っている」
あえて断定した質問にも、レンは否定しなかった。
まだ何も起こってはいないけれど、“この後何かが確実に起こる状況”ということなんだろう。
そして、カイさんの護衛対象の中に、ロザリアは含まれていない。
(やっぱり無事には済まないのか)
祈りは屋敷に着く前に砕かれてしまったようだ。
眉を下げて心配そうに私を見つめるレンに、精一杯の苦笑を返す。
「俺はこれだから、室内では戦えない。ものを壊すから。代わりに、外でルキアを守る」
「うん、有難う。頼りにしてるわ」
レンの武器は、他の実用剣と比べてもかなり幅が広く長さもある。威力も凄いだろうけど、狭い屋内戦では不利だろう。
周囲を壊していいならともかく、よりにもよって貴族の屋敷なのだし。
「……それで、ロザリアが動いたってことでいいのかしら?」
「あの女は朝から見ていない。支度は済んでいるらしいが……ルキアも多分、屋敷につけばわかると思う」
改めてロザリアの動向について確認すれば、やはりレンはそれを否定せずに状況を教えてくれる。あの子が敵なのは、もう確定と考えるべきか。
胸が軋むように痛んだけれど、躊躇っている場合でもなさそうだ。
「……行きましょうか」
無言で先行してくれるレンに続いて、私も屋敷までの歩みを再開する。
この区画はお金持ちの家が多いので、歩道も整理されているし、街の通りよりも美しく飾られている。
しかし、それを見て楽しむこともなく、周囲に向けるのは警戒の色のみだ。
……この件が全て片付いたら、街を出る前にもう一度散歩にでも来よう。そう新しい予定を立てて、今はただ無言で屋敷を目指して歩き続けた。
* * *
――どれぐらい歩いただろうか。
警戒しながらの道のりは思っていたよりも随分長く、レンと一緒だったのに心がだいぶ磨り減った。
だが、ここからが本番だ。私の本当の実家であり、今日は戦場でもあるリーズリット邸。
花を象った大きな門の向こうに、少々古い意匠ながら、手入れのいき届いた美しい屋敷が見える。庭もかなり広いようで、外から窺うだけでも様々な花が彩りをそえている。
――のだが、屋敷の周囲には一人の使用人もいない。
「あー……来ればわかるってこういうことか」
敷地内に入って、レンの言っていたことがわかった。感じ取ったというべきか。
実はここに来るまでの道でも、ちょいちょい感じていたのだが……この屋敷、殺気がモロに漂っている。
ここまでわかりやすいと、一般人でも気付くのではなかろうか。
「一応まだ姿を見せてはいないのだが、多分囲まれている」
「でしょうね。これは何というか……ここまで拒絶されると、いっそ清々しいわ」
思わず鼻で笑ってしまった私に、レンが心配そうにまぶたを伏せる。
「……俺が出た時は、ここまでわかりやすくはなかった。もっと散っていたし、安全だった。多分、今、ルキアが来たから」
「狙いがわかりやすくて何よりだわ」
領主の屋敷なのに門番が立っていないのも、恐らく騎士たちが下げさせたのだろう。
この不穏な状況の中、ロザリアが犯人ならば『私以外には危害を加えないだろう』と予測して。
……レンの様子から察するに、それは大当たりだったみたいだ。
あくまで狙いは私だけ。会ったこともない双子の妹にここまで嫌われているとは、私は一体何をしてしまったのだろうか。
(……それにしても、隠れているのは本当に赤髑髏なのかしら)
ちらりと周囲を窺ってみるが、気配はあれど姿はまだ見えない。
賊とは決まりごとを破り、勝手に生きてよそ様に迷惑をかけるからこそ『賊』なのだ。
ギルドに集まる傭兵たちのように、報酬と引き換えに仕事をこなすような“大人しい人間”は賊にはならない。
(ロザリアがよほど破格の条件を出してでもいなければ、ヤツらが大人しく従うとは思えないのだけど……)
まあ、狙いである私がそれを心配するのは筋違いだろう。そんなことを考えていても、何も始まらないし。
気持ちを切り替えてレンに視線で頼み、彼は無言で門を開く。
すると、それが合図だったかのように周囲の気配が動き出した。
「――ッ!」
姿はまだ見えない。しかし、人間が動く音がもう耳に届いている。
顔を険しくしたレンが背の柄に手をかけ、私も仕込んだ魔術陣に静かに手をあてる。
「――お待ちしておりましたわ」
ざわざわと揺らめく木々の音の中に、女の子特有の高い声が響く。
……それが、どことなく私の声に似ていたように感じたのは、気のせいではないだろう。
「ロザリア……」
庭木の陰からゆったりと現れた少女が、ドレスの裾を持ち淑女の一礼をする。
袖や裾をきめ細やかなフリルが飾る、上品で可愛らしいドレス。しかし、色は私のフード付きローブによく似た濃い紺色。
毛先だけゆるく巻いた長い髪の色は灰桃。日焼けを知らぬ白い肌で輝く、青色の瞳。
(…………ああ、本当に、鏡を見ているみたい)
装いこそ違えど、そこに立っているのは『私の顔』だ。
ぞっとするほどによく似た、双子の妹。
これは確かに、片割れを消したくもなるのかも、なんて。そんな気持ち悪い感想を抱いてしまうほどに似ている。
「ようこそいらっしゃいました、お姉様」
私と同じ顔に怒りと殺意を浮かべて、彼女はゆっくり静かに、微笑んでいた。




