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第33話 穏やかに見える

(……レンのやつ、ちゃんと伝言できてるよな)


 午後の温かな日差しが心地よい屋敷の一室。護衛として残ったカイは、人知れずこっそりと溜め息をついた。

 昨日世話になったこともあり、今日の伝言役はレンに譲ったのだが……言葉足らずな彼に騎士団の仲間もしばしば困惑していた、ということをすっかり忘れていたのだ。

 ルキアの前では比較的まともに喋っていたので、今回も大丈夫だと思いたいのだが。


(ただ予定を伝えて返事を聞くだけだし、大丈夫だよな)


 まあ、いざとなればカイがもう一度行けばいい話なのだが。わざわざ二度手間をするのもどうかと思うし、自分たちに好意的な視察官に迷惑もかけたくはない。

 再び軽く息をはいて、ちらと壁掛けの時計を見上げる。――伝言にかけるには、少々長すぎる時間がすでに経過している。


(……昨日の今日だ。きっと少し話しこんでいるだけだよな。体調の確認はオレも頼みたかったし……いや、ルキアのことを考えるなら、長話はよくないか? レンのことだ、体に(さわ)るようなことはしないと思うが……)


 とりとめもない考えが浮かんでは消えていく。針が進む度に増えるそれは、心配なのか……あるいは、嫉妬なのか。

 もやもやと増えていくそれを、頭をふってなんとか追い出す。レンが屋敷を出てから、ずっとこれの繰り返しだ。


(――我ながら、カッコ悪いな)


 部屋の中では領主と視察官が穏やかに談笑しており、廊下側ではいくらかの使用人の動きがあるのみ。

 目を閉じて気配を探ってみても、そこに異常はみられない。


(……こっちは今日も平和だな。だが、務めは務めなんだよな)


 きっとこの屋敷で異常など起こらないだろうが、職務を放棄していい理由にはならない。もしそんなことをしたら、それこそルキアに軽蔑されてしまいそうだ。

 いまだ落ち着かない胸元を撫でつつ、騎士たる己の立場をしっかりと噛み締める。レンが一分一秒でも早く戻ってくるように願いながら。


(……ん?)


 そんなカイの心を知ってか知らずか、廊下が少しだけざわめきだす。

 カイが様子見に動こうとして、それよりも早く扉をノックする音が響いた。


「お父様、ロザリアです。今お時間よろしいでしょうか?」


 扉の向こうから聞えてきたのは、ルキアによく似た少女の高い声。

 ちょうど休憩をしていたらしい領主と視察官は、互いとカイに軽く目配せをすると、訪問者を招きいれた。


(ロザリア嬢……なんだか、久しぶりに見た気がするな)


 今日の装いは藍色ワンピースのようだ。豪奢ではないが貴族らしい上品な仕上がりで、ゆるく巻いた髪型にもよく合っている。

 会ったばかりの時は落ち着きの足りない少女に見えたが、何か心境の変化でもあったのだろうか。

 スカートの裾を軽くつかみ、丁寧に礼をして入室してきた彼女は、ちゃんと年相応の令嬢らしい立ち姿だ。


「視察官様、お邪魔して申し訳御座いません。急ぎの用事とのことでしたので」


「構いませんよ。ちょうど休憩をしていたところですから」


 父親と向かい合う視察官に再度頭を下げると、スッと背筋を伸ばして立つ。こうして真面目な表情をしていると、ますますルキアとよく似ている。

 この場にはいない片割れの少女を思いつつ、カイもまた姿勢を正して彼らの会話に耳をかたむけた。


「急な話になるが、明日と明後日(あさって)の予定を変更することになったんだ。使用人たちはもちろん、予定のあった家庭教師には、すでに私が連絡をしてある。特に必要なものはないが、明後日は午前中から動けるよう、支度(したく)をしておいてくれ」


「かしこまりました。そのように準備をしておきます。……ですが、肝心の内容を聞いておりませんわ、お父様。明後日に何があるのでしょう?」


「実は小規模な昼食会を開くことになってね……ロザリア、お前の姉のルキアを、ようやく我が家に招くことになったんだ」


「――ッ!?」


 『驚きで表情が固まる』とは、正しく今の彼女を表す言葉だろう。

 カイが見守る中、領主の一言を聞いたロザリアの顔から、一瞬で温度が消し飛んだ。まるで、死刑宣告を受けた囚人のように。


(……実の姉妹に向ける顔ではないな)


 領主はロザリアの様子に気付いていないようだ。ようやく会える姉を、ロザリアも喜んで迎え入れると信じきっているらしい。

 「そうですか」と曖昧に頷くロザリアに、嬉しそうに笑いながら明後日の予定を話している。


(これは、領主もちょっと面倒くさい人種か?)


 彼が善人であることは間違いないのだが、娘の機微に気付かないとは、いささか鈍いように感じる。

 それとも、ルキアにようやく会えることになり、そちらに気を取られすぎてしまっているのか。


 どことなく不穏な雰囲気にカイが一歩前へ足を出せば、領主たちよりも先にロザリアが気付いたようだ。

 ルキアによく似た蒼眼でこちらを一瞥(いちべつ)すると、小さな唇に薄く笑みを浮かべてみせる。……どこか、自嘲気味な色をのせて。


(……なんか、面倒なことになりそうだなあ)


 屋敷の方は平和だと思ったばかりだというのに。戦闘とはまた違う気配に、カイはそっと息を吐き出す。

 こうして表面上はとても穏やかに、顔合わせの予定は進められていった。


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