第30話 まだ暗い空の
あれからロザリアの動向について二人と相談をしてみたものの、答えらしい答えに辿りつかないまま時間だけが無駄にすぎていった。何分、私を含めて情報が足りなさすぎるのだ。
思い悩むことしばらく。宿の人が乾いた服を届けてくれたことを区切りに、今夜は結局屋敷へ帰るということになった。
「本当はずっとルキアの傍にいられればいいんだけど、今も視察官殿の厚意に甘えまくっている状態だから、さすがに帰らないとな」
二人がちらりと窓の先へ視線を向ければ、雨はようやく落ち着いてきたようだ。しかし、空は相変わらず真っ暗で、今がどれぐらいの夜更けであるのかも把握できない。
困惑する私に、カイさんが慰めるように笑いかける。
「宿の人に話しもしてあるし、支払いも全部済ませてある。だから、ルキアはゆっくり休んでくれな」
「何から何まで本当にすみません。ご迷惑をおかけした分は、いずれ必ず返しますので」
「気にしすぎだって。……こう言うとアレなんだけど、君に関わった分の費用は経費で落ちるから。今は体を休めることを第一に考えてくれ」
経費……なるほど、組織に所属しているとそういうものもあるのか。
とは言え、カイさんには命がけで助けてもらったし、レンにも無理をさせてしまったはずだ。お金が心配なかったとしても、二人にこそ休んで欲しいのだけど。
お礼と謝罪以外でかける言葉が上手く浮かばず迷っていれば、察してくれたのか、くしゃっと大きな手のひらが私の髪を撫でた。
「心配いらないって。オレもレンも伊達に騎士やってないんだぜ? これぐらいは何ともない。それより、護衛対象の君が落ち込む方がよほど困るんだ。な?」
「……わかりました」
「いい子だ」
しぶしぶ頷けば、彼は満足そうに笑って白い外套を翻した。
私よりよほど大変だったはずなのに。背筋の伸びた姿勢には、もう疲労感は見られない。
(……ずるいなあ)
こんなの、見惚れてしまうに決まっているじゃないか。
『騎士』という職の分を差し引いても、彼は男性として、人間として、とても素敵に見える。
思わず溜め息まじりにカイさんの後ろ姿を見送れば、ふと背中側から温かいものに包まれた。
「……ルキア」
「れ、レン? どうしたの?」
振り向くまでもなく、頭上からふる低い声の主はすぐわかった。
乾いたばかりの外套で私をくるむようにくっついているのは、もう一人の騎士だ。ふわりと香る彼の匂いに、また心臓がはねた。
「……無事で、本当によかった……危ないときに傍にいられなくて、すまない」
「どうして謝るの!? 大事な任務中なんだし、こうして捜しに来てくれただけでも十分すぎるわ」
「……けど、ルキアは俺が守りたかった」
外套を掴んだ手から軋む音が聞える。
心なしか声に拗ねたような雰囲気を感じてしまったのは、私の自惚れだろうか。
「……その言葉、すごく嬉しい。有難う」
「言葉だけじゃ、足りない。あの屋敷は安全だし、警備も沢山いる。だから、俺はずっとルキアのところにいられるように、話してみる」
「あっズルイぞレン! それならオレだって、視察官殿よりルキアの護衛がいい!」
やはりどこか寂しそうな色をにじませつつも、決意するように続いたレンの言葉に、先を歩いていたカイさんが慌てて振り返った。
「せっかく二人いるのだから、分けるべきだ。ルキアは任せろ」
「方やオッサン、方や可愛い女の子だぞ? 分けるなら公平に決めるべきだ!」
「いえ、そもそも要人護衛なんだから、二人いりますよね?」
無表情で主張するレンに、カイさんが頬を膨らませて抗議している。
彼らの就いている『護衛』というのは、私が知っている限り昼夜を問わず張り付く任務のはずだ。しかし、守る側も人間である以上、どうしても席を外すことがある。
ゆえに、最低でも二、三人は必須。対象の重要度に比例して、人数はもっと増えるものだ。
ギルドに来る依頼も必ず複数人を求めていたし、最低人数の彼らを分けるのは仕事として駄目だろう。
実際に守られてしまっているので文句は言えないが、彼らが罰せられるような事態は避けたい。
分けちゃ駄目と二人それぞれにお願いすれば、カイさんの方が苦笑しながら私の額をつついた。
「騎士を分けるのは駄目かもしれないけど、君に護衛をつけるべきってのはオレも同感だ。何せ、この短期間で君は二度も“命に関わる危機”に遭っているんだ。片方は仕事だったかもしれないけど、今日のこれは見過ごせない。ロザリア嬢のこともあるし、リーズリット候に進言するつもりだよ。もちろん、叶うならオレが就きたいのも本当だけどな」
「カイは今日守っただろう。次は俺の番だ」
「いや、護衛ってそういうモノじゃねえからな?」
真面目なのか不真面目なのかわからないやりとりを交わしつつ、しかし二人とも私に護衛をつけるという意見は同じようだ。それも、おそらくリーズリット家に相談して。
(……そこが、どうしても怖いのよね)
私としても、彼ら二人が就いてくれるのならぜひ歓迎したいが、彼らの任務を考えれば、それは決して叶わない願望。
となれば、もし話が通れば、配属されるのはリーズリット家が手配した護衛ということになる。
彼らの言ったことを疑うわけではないが、あの家が関わると、どうしても身の危険を感じてしまう。ずっと昔からお世話になっているヘレナならまだしも、その他については全く未知数なのだから。
まさか、生家を避けて調べなかったことが、こんな形で災いするなんて思ってもいなかった。
(……ロザリアに嫌われている理由も、全然思いつかないし)
そもそも、彼女とは血が繋がっている“だけ”だ。会ったこともない妹に嫌われる理由など、わかるわけがない。
彼女の生活は知らないけど、聞く限りでは『特に不自由のないお嬢様』だったはずだ。顔を隠してコソコソと賞金稼ぎをしてきた私などより、よほどいい生活をしていたと思う。
もしや、自分と同じ顔が二つあるのが嫌だとか?
(……理由が何であるにしろ、事情をあの家の人間が知ったら、危ういのは多分私の方なのよね)
方やずっと傍で育ててきた『一人娘』で跡取り。方や生かしてきただけの死に損ない。どっちの意思を優先するかなんて、考えるまでもない。
そのロザリアが私を疎んでいることを両親が知ったら、今度こそ護衛と称した暗殺者に消される可能性が高いのでは……。
予想は次から次へと発展し、明るくない未来図ばかりが頭に浮かぶ。少し前までは神官になるという希望に溢れていたはずなのに、それを実の家族に害されるなんて、皮肉なものだわ。
「……ルキア?」
つい黙ってしまった私を、二対の瞳が心配そうに見つめている。慌てて誤魔化そうとしたものの、頬の肉は思うように上がってくれない。
「何か、不安なのか?」
「不安と言えばまあ。……ごめんね。私はこんな育ちだから、あの家を信じられなくて」
仕方なく話してみれば、レンが頭を撫でてくれた。
カイさんも困ったように苦笑しているし……ここは思い切って頼んでみたほうが、彼らの迷惑にならないかもしれない。
「……護衛の件は有難いと思います。ですが、リーズリット家が用意したものを、傍に置く勇気がないんです。もし可能であれば、護衛の件よりも先に、話せる機会を頂けないでしょうか? 妹……ロザリアと」
「ロザリア嬢と、か。そうだな」
私の頼みにレンは眉をひそめ、カイさんも顎に手をあてて黙ってしまった。
元々彼らは家の関係者でなく、今回限りの護衛だ。やはり関わるのは難しいだろうかと思いつつも、返事を待つ。
二人はいくらか逡巡した後に二、三目で合図を送り合い、やがてしっかりと頷いた。
「実は君をあの家に招きたいという話は、もうしてあるんだ。まだ返事はもらえてなかったんだが、今日の件を伝えたら応えてくれるかもしれない。先にそちらを優先する形で話してみるよ」
「本当ですか! 有難う御座います」
思ったよりも色よい返事に、ようやく私の唇も笑った。
カイさんは変わらず微笑みを返してくれ、レンは少し名残惜しそうに私から離れていく。
「そうと決まれば、急いだほうがいいだろう。今度こそ帰るよ。またな、ルキア」
「……ゆっくり寝てくれ」
「はい、よろしくお願いいたします!」
頭を下げた視界の端で、純白が足早に離れて行く。やがて宿の扉が閉じれば、小雨の音がかすかに聞えるだけになった。
突然おりた静寂に、耳が痛む。
(……ちゃんと、話ができるといいんだけど)
今更不安に震え始めた手を、胸元できつく握りしめる。
何から何まで本当に頼りっぱなしだ。せめてあの家との歪な関係を清算して、憂いなく王都へ向かえるように努めたい。
「レン……カイさん……」
真っ暗な空へ願いを託して、私はそっと目を閉じた。




