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第28話 ひとときの微熱

「……カイ、さん?」


 ほんの少し前まで感じていた温かな感触に、鼓動が早さを上げていく。

 ……しかし、それは私だけではないようで。抱きしめてくれている彼の心臓もまた、破裂しそうなほどに早かった。


「ルキアは本当に、放っておけないな。死にかけたくせに、真っ先に人の心配をしてどうするんだよ」


 とても優しく、耳元で囁かれる言葉。

 (とが)めるような内容であるのに、その声色(こわいろ)はどこまでもやわらかい。


「……ご、ごめんなさい」


「もうちょっと言葉を選ぶくせをつけないとな。そんなにまっすぐじゃ、王都ではやっていけないぞ? 悪い男にすぐに騙されそうだな」


「うっ……」

 

 そう言われてしまうと、何も言い返せない。

 隠れて生きてきたせいで、私は多分、自分が思うよりずっと世間知らずなのだ。

 あらゆる地方から人が集まる王都・ヴァインベルグへこれから向かうというのに、果たしてやっていけるのだろうか。


(今から心配になってきたわ……)


 ただでさえ、彼ら二人には山ほど迷惑をかけてしまっているのに。反省と後悔がつのっていく。

 『神官』の部署がどのあたりに位置するかはわからないけれど、少なくとも彼ら騎士とは違う立場で仕事をしていくことになるだろう。

 この数日のように、彼らに迷惑をかけることは、もうできない。


「……でもさ、だからこんなに……君が気になるんだと思う」


「……ごめんなさい」


「意地悪を言っているんじゃなくてさ。……ああ、いや。やっぱり意地悪なのかな?」


 ゆっくりと私の髪を撫でる指先は、やはり優しくて心地よい。

 迷惑ばかりかけているのに、どうして彼らは私に優しくしてくれるのだろう。こんな対応ばかりしてもらっていては、自惚(うぬぼ)れてしまいそうだ。


(それに、頭を撫でてもらって嬉しいなんて、やっぱり私は子どもなのね)


 指の往復は何度触れても心地良くて、そっと目を閉じる。

 子どもっぽくても何でも、今ここにいるのは私たち二人だけだ。もう少しだけ、世間知らずの子どもでいたいと願って――




「はは……やっぱ駄目だな。ルキア――――キスしたい。していい?」


「は!?」



 見上げた彼が極上の笑顔を浮かべたと思ったら、その唇は突然爆弾を落とした。



「かかかカイさん!? 急に何を言うんですか!?」


「だってさ、ルキア可愛いよ。これは仕方ないって。駄目?」


「だ、駄目と言うか、あのっ……今の流れで何故そんな話になるん()すか!?」


 密着したままの肌からは、どんどん早くなる鼓動が聞えてくる。

 呂律(ろれつ)はうまくまわらず、何を聞いているのかもよくわからない。


「虐めたいというか、甘やかしたいというか。……ああそうだ。ほら、オレは『命の恩人』だよ?」


「そ、それは……っ!」


「こういう言い方すれば、君は逃げられない。ははっ本当に可愛いね」


「カ、カイさん!!」


 するりと頬を滑る指が輪郭(りんかく)をなぞって、私の顎を少しだけ上に向かせる。

 元々抱きしめられたままの距離だ。触れようと思えば、もう今すぐにでも唇が触れてしまう。


「……っ!」


「……いいこと教えてあげるよ。オレたち騎士は守るための人間で、それで金もらって生活してる。だから、君を助けるのは当然。『仕事』なんだよ」


 ふと、やわらかな微笑みに(にが)みが混じる。

 伝わってくる鼓動が、また少し速度を上げた。


「むしろ危険な目に遭わせた時点で、職務怠慢ってやつだ。君が謝る必要は全くないし、むしろ怒っていいんだよ?」


「それは……」


 ……確かに、カイさんは昨日『私を護送すること』が仕事だと言っていた。

 定期視察の護衛と兼任している“任務”なのだと。


 でも、だからって賊を退治したり、激流を泳ぐような非常識なことまで、仕事として片付けるのは違う気がする。

 これが私でなかったら、きっとなかったはずの仕事だもの。



「ねえルキア。オレはこうやって、“さも対価のように”君に(せま)っているわけだけど……君は全く悪くないし逃げていいんだよ。さあ、逃げるかい?」


「…………だったら」


 鼻先をかすめる吐息が熱い。

 私を見つめる緑眼は、笑っているけどどこか寂しげに揺れている。


 今見える彼が作りものでないことぐらいは、世間知らずの私にもわかる。



「だったらどうして、それを私に教えるんですか? こんな世間知らずの田舎(いなか)者、そのまま騙せたのに。それとも、手篭(てご)めにする価値もないですか?」


「そうくるか…………ああ、思いとどまれて良かった」


 精一杯の虚勢(きょせい)で質問をしてみれば、彼の笑みはくしゃっとくずれた。

 まるで、こうして問い返すことを、期待していたように。


「か、カイさん?」


 そのまま私の肩に顔を埋めて、ぐりぐりと頭を押し付けてくる。

 甘く、色めいた空気をもみ消してしまうように。


「……ルキア、実はオレ(くず)なんだ。騎士団で一番女たらしって言われてる最低男なの。だから今、すげー頑張って格好つけた。君が君で良かったよ、本当に」


「は、はい?」


 答えになっているようないないような。そんな曖昧(あいまい)なことを独り言のように呟いてから、カイさんはスッと体を離した。それまでの近過ぎた距離が嘘のように、あっさりと。

 手放された体が、熱の名残(なごり)惜しさに震える。


「……カイさん? あの」


「あーっ……と、君に魅力がないわけじゃないよ。手篭めにしたかったし、今もしたいと思ってるよ。けど、それやったら多分、“騎士”には二度と戻れなくなっちゃうから。……そうだ、女将(おかみ)にもう一枚毛布もらってくるよ。着替えが返ってくるまでは、それで暖まってくれな」


 まるで「何かを誤魔化すように」また笑って、彼は急ぎ気味に(きびす)を返す。

 二転三転する彼の様子に私の頭はついていけず、ただ彼を見守ることしかできない。


(事情はどうあれ、命をかけて私を救ってくれたことは確かなのに)


 果たして、私は一体どう返すのが正解だったのだろうか。

 感謝も謝罪も、私からすれば当然の感情だ。けど、それ以外に“彼が期待していた”ものがあったのだとしたら……?


「カイさん……あの、私は」


 わからないなりにもう少し話したくて、その名を呼ぼうとした瞬間――



 がたん、と。

 部屋の扉を強く叩く音が響いた。



「ッ!?」


「――誰だ?」


 それまでの甘やかな空気を瞬時に切り替えて、鋭い声が問いかける。

 宿の人なら普通にノックをすればいいはずだ。不自然な音に、私も思わず身構えてしまう。


「……ルキアは、そのままで」


 体勢を低く構えながら、カイさんが扉に近付いていく。

 内開き戸のその取っ手に、ゆっくりと手をかけて……



「――……やっと、見つけた」


「なっ!? お前、レン!?」


 わずかな隙間から覗いたその姿に、私もカイさんも目を見開いた。

 装いこそ昨日と同じものの、彼は頭からつま先までずぶ濡れだったのだ。


 驚く私たちが反応するよりも先に、ずるずると扉に体をもたれさせ、崩れ落ちていく。


「ぶじで、よかっ……」


「お、おい、しっかりしろレンッ! 悪いルキア! 女将にタオルを借りて来てくれるか!?」


「は、はい!!」


 突然の事態に困惑する暇もなく、ひとまず私は走り出した。


※更新速度が下がってしまうと思います。完結までは書ききりますので、気長にお付き合い頂けますと幸いです※

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