第25話 霧の向こうで
(――さて、どうしたものか)
眼前に広がる光景に、レンは人知れず溜め息をついた。
外へ出たカイが約束の時間を過ぎても戻らず、視察官から捜索の許可を得たのは一時間と少し前のこと。
鉢合わせる形で街の自警団員が屋敷に駆け込んできたのは、とても運が良かった。もしすれ違ってしまっていたら、今頃はまだ街の中をさまよい歩いていたかもしれない。
巡回中に見つけたと言って彼らが持ってきたのは、この街で自分たちしか持ち得ない白い外套と支給品のブーツ。それから、カイが愛用している実用剣だった。
メルキュール中央部の大橋の上で見つけたという情報も加わり、レンは屋敷の警備員と公安機関の役人を伴って捜索に出たのだが――
「…………」
豪雨の中たどりついたのは、街外れのさら地のような場所。
水溜りだらけの地面に転がっているのは、“雨に濡れたにしては水浸し過ぎる”男が十三人と、女が一人。
いずれも体格が良く、いかにも賊らしい風貌であることが見てとれる。目立った外傷はないが、どの男にも体のどこかに『赤い髑髏の刺青』があるようだ。
(……だいたいの予想はつくが)
一応確認はするべきだろうと、視線を男たちから動かす。
女は一人、倒れ伏す彼らから少し離れた場所でうずくまっていた。
彼女は唯一意識があるようだが、震える肩を必死に抱き寄せ、レンを見ないように頭を抱え隠していた。
雨にまぎれて聞こえる音は、おそらく歯が震え鳴らす音だ。
(怪我人のようだが)
女の細い肩には、離れていてもわかるほど血がにじんでいる。
致命傷ではないが、浅くもない。当然、雨ざらしで放っておいてよい傷ではないのだが。
「……ひっ」
レンが少しでも近寄ろうとすれば、女は全身から拒絶を発して震え始める。
……彼女から話を聞くのは無理なようだ。
(……仕方ない)
この女は他の者に任せることにしよう。
仕方なく別の人間……倒れている中でも軽傷そうな男を捜し、レンはその頭を蹴飛ばした。
「ぅ……」
低い呻き声とともに、男の細い目が開く。やはり彼らは気絶していただけのようだ。
「何があった?」
「――ヒッ!?」
しかし、いざレンが声をかけると、男は引きつった声を上げて震え始めた。
別に脅したわけではないのだが、男は明らかに怯えている。
「……く、黒髪の騎士! この前の……!!」
「…………」
なるほど、どうやら先日レンが撃退した賊の連れのようだ。
男の顔色はみるみる青ざめていき、先ほどの女と同じようにカチカチと歯を鳴らし始める。
まるで「とって食われる」とでも言わんばかりの怯えぶりに、レンの方が困惑してしまう。
「質問を、しただけだ」
なるべく威圧せぬよう気をつけながら、男の近くにしゃがみこむ。
「何があった?」
「ち、違う……オレたちは悪くない! ただ依頼を受けただけだ!」
「……依頼?」
なんとも要領を得ない返答だ。
もう一度問いかけてみるが、男は壊れた人形のように「違う」「オレたちじゃない」「依頼」としか喋らない。
(……仕方ない)
おもむろに男の胸倉を掴み上げる。そのまま上半身を起こし視線の高さを合わせれば、いよいよ男は涙を流し始めた。
「四度目だ。何が、あった?」
「いやだ……殺さないで……死にたくない……いやだ、いやだ……」
「状況を聞いているだけだ」
意味のわからないやりとりに、いい加減レンも苛立ってきた。
元々自分はこういったことが得意ではないのだ。男の胸倉を掴む腕に、少しだけ力を込める。
「ひぐっ!? は、話します! 話しますから……お願い殺さないで……いやだ、死にたくない……」
「ああ、早くしろ」
ぱっと手を離せば、男は重力に逆らうことなくまた地面に転がる。
倒れたまま起き上がろうともせず、まるで土下座のような姿勢で話を始めた。
(だいたい予想通りか)
男が震える声でレンに告げたのは、ルキアを痛めつける依頼を受け、ここへ連れ出したこと。しかし返り討ちにあって、男たちは今まで気絶していたこと。
今ここにルキアがいないのは、端でうずくまっている女が『油断させてから襲う作戦』を立てており、それを実行したためだろうということだ。
カイの外套を見つけたのが大橋の上であった以上、答えは一つしか思いつかない。
防具でもある重いブーツや、“商売道具”の剣を置いていったことから考えても、おそらく確定だろう。
「屑が……」
苛立つままに吐き捨てる。
ふと視界に入った水溜りに、自分の顔が映っていた。
「…………あ」
そこにあったのは、殺意に満ちた男の顔。戦場に立つ時と同じ、禍々しささえ感じる人殺しの顔だった。
先ほどの男が怯えたのも頷ける。確かにこれは、殺される覚悟をするべき顔だろう。
自分で思っているよりも、レンは怒っていたようだ。
「――当たり前か」
賊を見れば、すでに公安機関の者たちが拘束を始めている。
レンが向けた視線に、味方である彼らも怯えているようだ。
……今は行方のわからない二人を捜すことの方が重要だろう。
見上げた空は相変わらず黒い雲が覆い尽くしており、雨足が弱まる気配もない。
気温も下がっているし霧も濃くなってきている。もし彼らが動けない状態なら、非常に危険な天候だ。
「カイ……ルキア……」
必ず、見つける。
誓うように呟き、騎士は一人、霧深い街の中へ駆け出して行った。




