第24話 騎士、奮戦する
「ルキア!? しっかりしろ、おい!!」
少女の瞳が再び閉じていくのを見て、カイは慌てて彼女の胸元に耳を押し付けた。
弱々しいものではあるが、今度こそ鼓動がちゃんと感じられる。
唇からはかすかな吐息の音も聞えてきて、ようやくカイは人心地ついた気がした。
「……寿命が縮むぜ。勘弁してくれよ」
肌にはりついた髪をよけながら、小さな顔を包み込む。
薄い桃色をしていた頬は青白く血色を失い、唇も不気味なほど紫に変色している。
泥水をたっぷり吸った服が体温を奪っているのか、生人とは思えないほどに体も冷たい。
「ひとまずの危機は乗り切ったが……このままじゃマズイな」
ルキアの華奢な体を自身に強く引き寄せる。
早くどこか暖かい場所へ連れて行かなければ。それから着替えと、出来れば医者にもかかりたい。
(次にすることはわかってる。オレの脳は無事だ。大丈夫)
そう確かめてから、カイは深く息を吐き出す。
「わかってはいるんだが……参ったな」
脳は無事だが……体の方は、やはり無事では済まなかったらしい。
ルキアを抱く腕も、情けないほどにガクガクと震えている。無理をしたせいで、制御できなくなっているのだ。
「休ませる時間はないんだがな」
泥水を吸った髪も、ズシリと重く体にのしかかる。今日ばかりは、髪を伸ばしていたことを酷く後悔している。
(……ああ、寒いな)
体を寄せ合ったところで、分け合える温もりなどカイの体にも残っていない。
きっとカイ自身の顔もまた、酷い色をしているのだろう。鏡がないのが惜しまれる。
ドロドロと積もっていく疲労感。これは己の足か? それとも、鉛か?
叶うなら、もう一歩だって動きたくはないが――
「――しっかりしろ。オレは騎士だ」
不自然な軌跡を描きながら、冷たい腕が己の頬をはたく。
「オレはライハルト聖騎士団の騎士だ。誇り高き刃。守る為の強き者。こんな所で止まってどうする」
普段なら決して自分では口にしない言葉に、少しだけ心に熱が灯る。
“斯く在るべき騎士”の心得が、問題児だったカイを、強き者へ変えてくれる気がするのだ。
ずるりずるりと、全身を引きずるように歩き出す。
抱き寄せたルキアの体だけは、傷つけないように。
「……さて、ここはどこだ?」
見回してまず目に入るのは、雨をしのぐために駆け込んだ川沿いの木だ。
さすがにただの木は参考にはならない。
次に視線をもっと先へ動かせば、先程まで自分達が中にいた川が見える。
豪雨で水かさが増し、暴れ狂う川が。
地面の近さから見ても、おそらくこの辺りでは普段は『せせらぎ』程度の川なのだろう。
だが、今のそれは容赦なく地面を削り、幅を広げつつ暴走する濁流だ。
向こう岸は一応見えるが、馬車を二、三台並べても到底届かないほど遠い。
深さも、どう軽く見積もっても大人の背丈以上はあった。
飲み込まれた木々は数秒で視界から消え、容赦なく流されていく。
耳障りな音を立てながら、その光景はさながら食事をしているようにも見える。
「――こんなものに飛び込んだなんて、我ながら酔狂な話だな」
壁のように立ちはだかり、刃のように痛みを走らせ、魔物のように唸り、全てを食らう。
日々鍛えてきた騎士の腕を何度も折ろうとしたのは、戦士でも魔物でもなく、ただの水だというのだから恐ろしい話だ。
(今更怖くなってきた……よく生きてたな、オレ)
粟立つ肌をさすりながら、そっと川から目をそらす。
恐ろしい体験ではあったが――それでも、飛び込んだことに後悔はしていないし、迷いもなかった。ルキアを助ける以外に、あの時のカイは何も考えていなかったのだから。
腕が潰れても足が潰れても、ルキアを助けたかった。そして、それを成し遂げた。
「……らしくないよな。頑張り過ぎたぜ」
そういうらしいことは他の騎士に譲ってきたつもりだったのだが。
それでも、ここぞという場面で聖騎士になれた自分が、少しばかり誇らしい気がした。
「……あ」
ふと視線を上げると、雨と霧の向こうに、ぼんやりと橋の輪郭が見えた。
「飛び込んだ橋がほとんど見えなくなってる。これはずいぶん流されたな」
まだメルキュールの街の中だとは思いたいが、それすら危ういほどに橋の姿は遠い。
今回の本来の任務は、視察官の護衛だ。多少の自由行動が認められたとはいえ、さすがに街単位で離れてしまうのはまずいだろう。
(何か地区名がわかるものとか、あるといいんだが)
一通り見回してみるが、どうやら他には目ぼしい情報はなさそうだ。
そもそも、雨のせいで視界の状態が悪い。次の情報を得るには、やはりここから動かなければいけないようだ。
「せいっ!」
ルキアを横抱きに抱え直し、掛け声と共に立ち上がる。
腰と膝が変な音を立てたが、とりあえず骨などは折れていないようだ。立ち上がること自体に支障はない。
「とにかく、今は宿が最優先だ。ルキアを暖めてやらないと」
“オレは騎士。守る為の強き者”
もう一度自身に言い聞かせながら、重い足を引きずり歩き始める。
一歩踏み出す度に、濁水がびちゃびちゃと水溜りを作った。
「オレは騎士。守る為の強き者」
――今は、ルキアの為だけの騎士だ。
びちゃりびちゃり。
重々しい音を立てながら、二人の影は濃い霧の中へと消えていった。




