第21話 敗北
「はあっ……はあ!」
体に前から打ち付ける雨は、冷たく痛い。
せっかくいい気分だったけれど、やっぱり雨は嫌いだわ。
女性の手を引きながら、私は戻る道をとにかく走る。
彼女も腰が抜けたりしなくて良かった。細い女性とはいえ、さすがに担いで逃げることはできない。思ったよりも気丈な人で助かったわ。
「ねえ、大丈夫!? 大通りまでもうすぐだからね!」
「あのっ……あ、有難う御座います! 助けて頂いて……」
「こっちこそ、巻き込んでごめんなさい!」
かけあう声にも、いくらか余裕はありそうだ。
この先の下り坂を過ぎれば、次は大橋。橋を渡り終えれば、大通りの公安機関はすぐだ。
私はともかく、彼女の身の安全は確保してもらわないといけない。
「……あの人たちは、死んでしまったのかしら……」
「賊のこと? 多分死んでないわ。魔術は時間経過で消えてしまうもの。だから、なるべく急いでここから離れないと!」
雨音の中に聞えた呟きに、少し驚いてしまった。
ナイフを突きつけられ脅されたというのに、あんな最低連中の心配ができるなんて。
彼女はずいぶん優しい人らしい。
それとも、賊というものに慣れてしまった私が異端なのだろうか。
ちらと振り返った彼女は、どこか安心しているようにも見える。
(優しい人だからこそ、もう二度と巻き込まれないようにしないとね)
なるべく早く辿りつける道順を思い浮かべつつ、脚はとにかく前へと突き出す。
服も靴も外套も、もう雨風でぐしゃぐしゃだ。顔が見えるかもしれないけれど、今はなりふりなど構っていられない。
下り坂を走りきった勢いのまま、大橋にさしかかる。
ここまでは追っ手も来ていないようだ。もう少し、あと少し頑張れば大通りはすぐだ。
橋特有の強い風に煽られながらも、彼女と手を繋いだまま走り続ける。
「もう少しよ、頑張って!」
今度こそ最後の一走りだ。立ち並ぶ店の姿も、もうすぐそこに見えている。
彼女を励ますべく、後ろを振り向いて――――
ぴ た
「うわわわわ!?」
彼女の突然の停止に、思わずつんのめってしまった。
転ぶギリギリで持ちこたえたものの、引っ張られた関節が痛みを訴えてくる。
「び、びっくりした……どうしたの? 何かあった……」
言いかけた言葉は、不自然に途切れた。
彼女は、橋のど真ん中で立ち止まっている。俯いた顔から、表情は窺えない。
「……どうしたの? 大通りはすぐそこよ? 早く逃げないと、あいつらが……」
「…………くくっ」
――聞き間違いだろうか。
人質にされていた女性から、笑い声が聞えた気がした。
それはまるで、私を馬鹿にしていたあの賊のような、品のない嘲笑の声。
「アンタは優しすぎるわ。世界はアンタが思うより、ずっと汚いのよ?」
「何を言っているの? ほら、早く行きましょう?」
「くくっ……あははは!」
繋いだままの手に力が込められる。
思わず振りほどこうとしたが、私の力ではびくともしない。
「貴女、一体何の――」
その続きは、言葉にならなかった。
(――ああ、思い出せば確かに。あの男たち、ちょっと手応えがなさすぎたわよね)
“そういう作戦だった”なら、追っ手がこないのも当然か。
「――――ッッ!!」
世界から音が消えて。
私の体が宙に浮いて。
伸ばした手は届かず。紡ぐ言葉も見つからず。
ただ『細くても力のある女の人っているのね』なんて、マヌケな驚きだけが視界に焼きついている。
「いくなら一人で逝きな、お嬢ちゃん」
投げ飛ばされたと気付いた時には、私の体はもう欄干を越えていた。




