第19話 大雨の街で
昨夜から降り続ける雨は、昼を過ぎてからも衰える様子はない。
それでも、温かく感じるのは何故だろう。
人の心って不思議だ、と暗い空を見上げる。
黒い雲は厚く重なり、その向こうに太陽がある気配すら感じさせない。憂鬱になっても仕方がない天気だ。
しかし、家路を急ぐ人々の波の中を、私は一人ゆったりと歩いていた。
元々、雨は苦手ではない。洗濯物が乾かないのは厄介だけれど、顔が隠しやすい分外出には好都合だったから。
けれど今は、いつもとはまた違った気持ちで街の中を歩いている。
(……雨の街を見るのも、これが最後になるのかしら)
今まで頭を下げて通り過ぎていたメルキュールは、目線の高さを変えるだけで違った姿に見える。
こんな悪天候でも、その鮮やかさを私に教えてくれるようだ。
(この雨が上がったら、次はまた別の場所も見に行きたいな)
十七年もここで暮らしてきたのに、先日の宿をはじめ行ったことのない場所はまだ沢山ある。
きっともう戻ってこられないのだから、せめて忘れないように生まれ育った街のことは見ておきたい。
……私を閉じ込めていた街に対して、こんな風に考えられるようになったのだから、だいぶ大きな心境変化だ。手紙を届けてくれたあの二人には、感謝をしてもしきれない。
(……とはいえ、さすがにそろそろ限界ね)
ゆっくり歩いていたせいで、雨用の厚手の外套もずいぶん濡れてしまった。このままでは、じきに中までびしょ濡れになってしまうだろう。
頭を軽く振って、歩調を速めようとした――――その時だった。
(……誰?)
私の前に見知らぬ男が数人、立ちはだかるように近付いてきた。
前に二人、後ろには三人。これはもしかしなくても囲まれているのだろうか。
パッと見はごく普通の街の人のようだけど……その淀んだ目付きは、とてもじゃないが一般人には見えない。
魔力の気配はないが、上着やポケットに何かを隠し持っているのも間違いなさそうだ。
「私に何か用?」
なるべく冷静に問いかけてみれば、前方の一人が下品な笑いを浮かべる。
「なるほど、ただのお嬢ちゃんじゃないってことか」
「『ただの』がどんな意味なのかは知らないけど、少なくとも身を守る術はあるわ。それで?」
「ほう、これはこれは」
他の連中もニヤニヤと笑いだす。
先ほどまでは一応隠すつもりはあったようだけれど、今の連中から感じるのは明らかな敵意だ。やはり、よろしくない類の人間と見て間違いない。
「……もう一度聞くわ。何か用?」
「ああ、用だとも。オレたちと一緒に来てもらおうか、お嬢さん」
溜め息交じりの問いかけに、後ろの男が答える。
「……何でこの手の人間って、語彙が貧困なのかしら」
「あぁ?」
「どこかで聞いた台詞ねって言ったのよ。ま、いいわ。街中で事を構えるつもりもないし、行きましょうか?」
さっさと歩き出す私に、男たちの方が動揺している。
……ノリノリで挑発してきたくせに、やる気はあるのかしら。
慌てた男たちはすぐに私の前に駆け寄り、周囲を警戒しながら歩き始めた。
てっきり裏路地にでも連れて行かれると思ったのに、大通りを過ぎ、街の中央にかかる大橋も通り過ぎ、それでもまだ歩くようだ。
(ずいぶん歩かせるわね)
ちら、と見やった大橋の下の川は、ずいぶんと荒れている。いつもはゆるやかなそれも、昨夜からの大雨で激流になっているようだ。
川の周りもあまり行ったことがないので見ておきたかったけど、水かさが落ち着くまでは近付かない方が良さそうだ。
降りしきる雨の中、不穏な空気に包まれながら、男たちと私は歩き続ける。
――こちらは折角のいい気分を邪魔されたんだ。相応の代償は払ってもらわないとね。