第18.5話 鈍色の空
その部屋は暗く、ひどく生臭い空気が充満していた。
降り続く雨のせいもあるのだろうが、きっとそれだけではない。
全体的な不衛生さもさることながら、この錆びたような臭いは自然のものとは違う気がする。
――――血の、臭いなのだろう。
嗅ぎなれていないソレはひどく鼻をついて、胸の辺りがもやもやと重くなる。
出来ることならもう少し安全な輩が良かったが、事情が事情だ。こんな所でワガママを言っても仕方ない。
……それが通るとも思っていない。
裏路地の奥、朽ちかけた廃屋の中に消えかけた灯りが1つ。
痛んだ木製のテーブルを、ぞろぞろと男たちが取り囲んで見守っている。
席の片方には、いかにも怪しげな風体の大柄の男。
その向かいには、全身を隠すように布を被った女――容貌は全く見えないが、声質から意外と若い人物であることが窺える。
「――いいだろう、たかが小娘一人にその金額。十分だ」
席につく男が品のない笑みを浮かべる。
恐怖感というより嫌悪感を覚えさせるそれに、女の方が軽く息を吐く。
「勘違いしないでくれる? 誰も殺せとは言っていないわ」
「ああ、わかってる。ちょっと痛めつけてやればいいんだろう?」
吊り上げた口元から、並びの歪んだ黄色い歯が覗く。
男からしてみれば、あくまで『友好的』な笑いだったのだが、女の方はそれを遮るように立ち上がった。
「交渉成立ね。あとは専門家にお任せするわ」
これ以上話したくない、そう全身で表しながら、女は慣れた手つきで懐から袋を取り出す。
大きさの割りに重い音を立ててテーブルに置かれた麻の袋からは、この国の国定紙幣の束が覗いて見えた。
周囲の男たちから、冷やかすように口笛が上がる。
「ああ、お任せ願おうか」
男が受け取ったかどうかも確認せず、そのまま女は廃屋を後にする。
もっとも、背後からの下卑た歓声が全てを語っていたが。
互いの名も正体も明かすことなく、金さえ積めば話はつく。
全く、なんと醜い街だろうか。まさか、そこに自分が関わることになるなんて。
ふと、街の状況を憂う彼の顔が浮かんだ。
「…………」
首を横に振る。
今回限りだ。もう二度とこんな世界には関わらない。
自分が領主になったら、あんな奴ら一掃してやるのだから。
(そうよ、わたくしが領主になったら……わたくしが、彼らの『大切な一人娘』でいるために)
「貴女だけは……認めないわ」
肌を濡らす雨は冷たい。
まだ勢いの衰えないそれは、布ごしでも容赦なく体温を奪っていく。
それすらも、今は心地よく感じた。
「――――お姉様」
吐き捨てるように、ロザリア・リーズリットは呟く。
鈍色の空を見上げる瞳には、憎しみの色だけが濃く映っていた。