第18話 雨の朝
「……さて、どうなるだろうな」
そろそろ夜が明けて、いくらか経った頃だろうか。
降り続く雨のせいで朝らしい明るさは微塵もなく、湿気で重くなった髪をいじりながら、カイは深い溜め息をついた。
ルキアと対面を済ませた後、屋敷に戻った騎士たちは、視察官とリーズリット夫妻に全てを話すことにした。
自分たちがルキアの存在を知っていること。ルキアに接触したこと。
王都の神官長から直々に勧誘があり、彼女を神官として望んでいること。
そして、彼女がこれを受諾し、神官になると決めたこと。
夫妻は最初は驚いたものの、ルキアが神官になることについては、多いに喜んでいた。
元々このリーズリット家は神官が始まりだった魔術師の家系らしい。だが貴族になってからは、機関とはついぞ縁がなくなってしまったようだ。
除名されたルキアがその地位を得るというのも皮肉な話だが、それでも夫妻は泣きながら『娘を頼む』と騎士たちに頭を下げた。
(……拍子抜けだな)
ルキアは「間引かれるはずだった」と言っていた。殺されるはずだったと。
しかし、夫妻の様子は芝居にはとても見えなかった。ルキアのことをちゃんと『娘』と呼んでいたのだ。
親族に逆らいルキアを生かした彼らは、カイが思っていたよりもちゃんと『親』だったようだ。それこそ、ルキア本人が思うよりもずっと。
「……上手くいけばいいけどな」
ぽつりと呟いて、また息を吐く。
夫妻を誤解していたとわかったカイは、賭けに出てみた。すなわち、『視察が終わるまでの間、ルキアをこの屋敷においてくれないか』と提案してみたのだ。
カイとレンの任務は、今現在も進行中である視察官の護衛。
しかし、受諾した以上、ルキアもまた守らなければならない存在になったのだ。
賞金稼ぎと名乗っていた彼女なら、視察が終わるまでの数日ぐらいは守らなくても平気かもしれない。
だがもし、もし何事かが起こって彼女の身に何かあれば、この屋敷から駆けつけるのは遠すぎる。
ルキアを生かしている時点で、不満のある親族もいるだろう。その目を掻い潜って、たった数日とはいえ屋敷におけというのは、護衛役の身勝手な願いに違いない。
(けど、このまま終わるのもな……)
カイがそう思っていたように、ルキアもまた己が両親に想われていることを知らない。
神官になれば、彼女が住むのは王都ヴァインベルグだ。神官長を見ているカイだからこそ、その仕事が決して楽ではないことぐらいはわかる。
片道八日以上もかかる実家へ帰れる機会など、もうなくなってしまう。
……このまま連れて行けば、あの親子は一生すれ違ったままだ。
「ただのお節介かな」
変わらず重苦しい髪を背に流して、カイは苦笑をこぼす。
立場を超えた願いとわかっていても、放っておきたくはなかった。
『君は愛されている』のだと知って欲しかった。
王都にはまずいない、汚れを知らない真っ白なルキア。
純粋に、ただひたむきに前を向くしか知らない、愚直でだまされやすい少女。
過ごした時はごくわずかでも、カイもレンもその真っ直ぐさはよくわかっていた。
――痛々しい。
小さな子猫が必死に毛を逆立てて『私は強いんだから!』と主張しているようにしか見えなかった。
殺気には敏感なくせにカイがすぐ距離を縮められたのも、カイ自身の腕というより、ルキアが『信用できそうな人間に、傍にいて欲しい』と無意識に望んでいるからだ。
まだたった十七歳の少女。カイとレンに叶えられるなら、少しでも和らげてやりたいと思ってしまう。
「まあ、レンがご執心みたいだし、オレは見守っていればいいのかもな」
命の恩人と言っていたが、まあ他にも何かあったのだろう。
レンとは長い付き合いであるし、彼の良いところも知っている。ルキアもレンを選ぶのであれば、カイは喜んで応援に徹するつもりだ。
「あとどれぐらいかかるのだったかな。万事上手くいけばいいんだが」
視界に映る窓の外は、激しさを増した土砂降りの雨。割れんばかりに叩きつけるそれは、まるで空が号泣しているようにも見えた。
「――オレの代わりに泣いてくれるのか? ……なんてな。一目惚れなんて柄でもないことしねえよ」
* * *
――雨音が響く。
夜が明けてなお、真っ暗な部屋の中に。
お父様が泣いていた。お母様も泣いていた。
嬉しくて、泣いていた。
“自分達の娘が、認めてもらえた”と。
きつく握り締めたシーツが、ぎしぎしと音を立てる。
リーズリット家の双子の禁忌。
除名されるのは、『魔力の高い方』の娘。“優れた方”の娘。
残されるのは、一族が“扱う”のに適した――
「お姉様……貴女は知らないのでしょうね。本当に愛されていたのが誰で、本当に必要ないのが誰なのか」
雨音が響く。暗く、冷たく。