第17.5話 独白-レン
……それは、衝動と呼ぶにふさわしい感覚だった。
灯りの消えた街の一角。
殺気を辿って見つけたそれは、昼間は平和そうに見えた街とは別物のような慌しさ。
――にも関わらず、誰一人家から出てこようとしない様子に、少々戸惑ったのを覚えている。
(非力な者が出てきても困るのは確かだが)
決して早くはない時間だ。外が騒がしければ、状況を窺う者が一人はいると思ったが、予想に反して外へ出て来る者はいなかった。
野次馬はもちろんのこと、近隣の家の戸や窓も閉め切られたままだ。
――この状況に慣れているのではないか。そんなおかしな考えが浮かぶほどに、そこは異様な場だった。
「…………ん?」
仕方なく騒動の原因を迎え撃つ準備をしていれば、頭の上から何かが落ちて来る気配。
慌てて見上げた先にあったのは――身を小さく丸める『人間』だった。
(人間が落ちて来る? 何故だ?)
時間が止まったように流れていく。真上に落ちて来られては負傷は免れない高さだった。
しかし、ただ避けてしまえばあちらが怪我をしてしまう。
どうしたものかと見上げた相手は――細い女のようだった。
(あれぐらいなら、受け止められるか)
一瞬の逡巡の後、俺はそれに真っ直ぐ手を伸ばす。
触れた体は温かく、血の匂いもしない。
「…………ッ!」
少しの間をおいて、勢いで増した重さが腕に圧し掛かる。
――しかし、その衝撃よりも、心を動かすものがあった。
(…………なんて、きれいな)
女のまとう“空気”は、人間のものにしては驚くほどきれいだった。
王都にはまずいない。俺が親しむ騎士団の人間にすらいない。
ただただ、愚直なまでにまっすぐに生きる、純粋な人間にしか持てない空気だ。
胸がざわめく。触れた温かさに、全身が喜んでいる。
「こいつを知りたい」気が付けば、そんな珍しい思いで頭がいっぱいになっていた。
「……ん」
ゆっくりと景色が形を整えていく。
目覚めたばかりの視界に広がるのは、見知った騎士団の部屋でなく高給な客間。
ああ、そうか。ここは出張先の屋敷か。
目覚めたばかりの頭を起こし、クセのついた髪をかき上げる。
重く湿った空気に外を見やれば、薄暗い世界に雨音が響いている。昨夜から降り続くそれは、激しさを増しているようだ。
(こんな天気では、外に出てもあれには逢えないだろう)
「……?」
よぎった考えに、自分で困惑する。
手の中に、掴んだあの細腕の感触が残っているような気がしたのだ。
(――どうかしている)
手触りの良いベッドから体を起こし、冷えた上着に腕を通す。
その、視界の片隅に映った赤色のテーブルクロスにすら、あいつの姿が重なる。
さらさらと指を滑った、柔らかな髪の感触が。
「……重症だな」
苦笑に近い呟きは、雨音に混じって消えていく。
俺が誰かに執着することがあるなんて、思ってもいなかった。
カイは友人として大切だし、世話になっている騎士団の人間や養父、心に留める人間は多くはないが確かにいる。
しかし、ルキアは違う。あの騙されやすそうな汚れを知らない女に、俺は触れたいと思っている。
――こんなことは、多分初めてだ。
「……ルキア」
雨が晴れたら会いに行こう。あいつに、俺のことを知ってもらおう。
さあ、まずは何から話そうか。あの生真面目な女は、何が好きだろうか。
喋ることが苦手な俺の話でも、ちゃんと聞いてくれるだろうか。
――楽しみだ。早く、雨が上がるといいな。