第17話 熱
「……お見苦しいところをお見せしました」
「いえいえ、どーぞお気になさらず?」
時間にしてみれば、おそらく十数分かそこら。
しかし、会って間もない二人の前で醜態をさらしてしまった私は、ベッドの上に正座をして頭を下げた。
聖騎士を相手にして、私は何をやっているのか。穴があったら入りたいとは正にこのことだ。
(私彼らの前では恥をかいてばかりね……)
これでも信頼の厚い賞金稼ぎだったはずなのに、彼らの前ではただの小娘の顔ばかりを見せてしまっている。
泣くのも久々だったせいか、涙の上手な拭い方もわからない。きっと今酷い顔をしているだろう。乾いた跡が気持ち悪い。
「……ルキア、擦ると傷がつく」
自己嫌悪にぐったり落ち込んでいると、すぐ近くにレンフェルドさんの顔がせまっていた。
形だけ鋭い赤眼は、なんだかとても優しく笑っている。
「……す、すみません」
きれいな人はそのまま私の目元を拭ってくれた。
顔全部を覆えそうな大きな手なのに、壊れ物に触れるように気遣ってくれる。
(昨日から思っていたけど、本当に優しい人……)
彼の前では失敗ばかりしているのに。
こうして甘やかされると、勘違いしてしまいそうだ。
(昨日だって、三階から落ちて迷惑をかけてしまったのに……)
まだはっきりと落ちる感覚を覚えている。もう駄目だと思った私を、彼は受け止めてくれて――
「――――ッ!」
途端に、忘れていた熱が込み上げて、頬が染まっていくのがわかった。
そうだ、私は昨日彼の上に落ちた挙句に……キスを、してしまったのだった。
「…………ルキア?」
至近距離で心地よく響く声が、耳を通り越して体に染み込んでいく。
「な、なんでもありません。有難う御座います!」
熱くて恥ずかしくて、何とか距離をとろうとするものの、未だベッドに座ったままの身では多少後退することしかできない。
こてん、と首をかしげる彼に、曖昧に笑いかけて誤魔化す。触れられたところが、火傷しそうなほど熱い。
「……こらレン、女の子に気安く触ったらびっくりするだろ?」
はっと気付けば、ベッドの隣でこちらを見ているカイさんの姿。何故か拗ねたように頬を膨らませている。
「それを貴方が言うのはどうかと……」
「そうだけどさ。オレに対してはすっごい警戒してたのに、レンに対しては恋する乙女みたいな反応するから。こういう男のが好きなのか?」
「か、彼は命の恩人です! 私をからかったカイさんとは、そりゃ違いますよ」
「恩人……ああ、昨日の賊か。聞いていいのなら、君とあれらの関係を確認したいんだが」
「それは……」
ふざけていた空気は、その一言でスッと真面目なものに切り替わった。
甘い雰囲気が消えたことに内心感謝しながら、私は現在の境遇について軽く説明を始める。
本来間引かれていたはずの私が、監視下で生かされていること。生活のために賞金稼ぎとして動いていること。あの書簡を受け取った以上、嘘はないように答える。
「……賞金稼ぎって、またずいぶん過激な生き方を選んだな、ルキア。まあでも、それなら納得だ。昨日のあいつらはメシのタネで、仲間とかではないんだな」
「いくら私でも、人様に迷惑をかけて生活をしようとは思いませんよ」
「そりゃ良かった。対立する立場のオレたちとしては、もし君が賊なら拘束しなくちゃならなかったからな」
軽い口調ながらも、話を聞くカイさんの雰囲気は、騎士らしい張り詰めたものだ。
いつの間にか椅子を持ってきていたレンフェルドさんも、真面目な顔で頷いている。端から見たら、尋問されているようだ。
「しかしこうなると、ちょっと戻って相談しないとだな。はじめに言ったけど、オレ達は定期視察の護衛を兼任してる。あちらをないがしろにはできないし、かと言って君を放っておくこともできない。悪いんだが、少し待っていてもらえるか?」
「はい、わかりました」
「ごめんな。とりあえず身辺整理を始めておいてくれると助かる」
「身辺整理……」
告げられた言葉に、少しだけ肩が震えた。
今までの私にとって、その言葉は「どうにもならなくなった時の逃げる準備」であったから、今日のような前向きな理由で口にできるとは思わなかった。
もっとも、元々私物はほとんど持っていない身だ。あの家の片付けも一日もあれば終わってしまうのだけどね。
それから少し話しをして、今日は家に帰ることになった。
宿を出れば、もう昼を過ぎた頃の高い太陽と青空が出迎えてくれる。昼間は仕事以外に外出しない私にとっては、少し目が痛い景色だ。
見慣れない美形二人にも周囲からの視線が集まってきているので、なるべく早く解散するべきたろう。
フードを深くかぶり直し改めて頭を下げる私に、カイさんはにこやかに笑いながら「またな」と手を振ってくれる。
「レンフェルドさんも、昨日から本当に有難う御座います。その、お礼は……何か私にできることがありましたら何でも言って下さい」
「守るのは騎士の仕事だ、礼はいい。それより、渡し忘れた」
「はい? 何ですか、これ」
昨日からの恩人にも改めて頭を下げるけれど、彼は無表情で首をふった後に、また私に何かを差し出してきた。
よく見る大きさの事務用封筒だ。魔術がかかってない所を見ると、神官長様からの書簡とは違うみたいだけど。
「……え? お金が入ってる!?」
中に入っていたのは、ライハルトの国定紙幣だ。決して少なくない数に、思わず声が裏返ってしまう。
「昨日の賊の報奨金だ。ルキアの獲物だろう?」
「受け取れません! あの賊を倒してくれたのは、貴方じゃないですか!」
「金には困ってない」
慌てて返そうとする私の手を、大きな手が握ってさらに押し返す。当然力では勝てない私では、すぐにまた封筒が押し付けられてしまう。
「駄目です、受け取れません。貴方に命を救って頂いて、その上でお金まで……何も返していないのに」
「そうか…………なら、条件を」
「条件?」
何か私にできることがあるのだろうか。
勇んで赤眼を見つめれば、ふわりと柔らかく彼が笑った。
「俺の呼び方は『レン』だ。敬語もやめろ」
「は、はい?」
何を言い出すのかと思えば、むしろ不敬にあたるべき提案に、頭がくらくらする。
しかも彼は私より年上だろう。丁寧な言葉を使ってしかるべき相手なのに。
「他人っぽい喋り方は、好きじゃない」
「で、ですが、そんな失礼なことを……」
「ルキア」
責めるようにスッと赤眼が細められる。まとう空気に少しだけ好戦的な色がちらついて、お世話になった私としては断り辛い雰囲気だ。
「………………わかりました。では、レンと呼びま……呼ぶわ。これでいい?」
「ああ」
途端にまた彼は嬉しそうに笑った。顔立ちはきついのに、笑った時は花がほころぶように優しく、愛らしさすら感じる。
「おいレンー? 置いて行くぞー?」
少し離れた場所から、呆れたような声でカイさんが呼んでいる。
頷く彼に今度こそ別れだと思い、距離をはなそうとして……
「――――えっ!?」
私の右手がまたレンに引っ張られて、足を止めてしまう。
驚き見上げるより早く、手のひらに触れた柔らかい感触。
「……ッッ!?」
――それが彼の唇だと、気付くのに間があいてしまった。
振り払うこともできず見つめていれば、口付けを終えた彼は反対の手を己の唇にあてた。
人差し指を立てて『しー』と、まるで子どもが内緒話をするように。
「カイには、秘密だ。じゃあな」
「……はっ!? えっあ、あの!?」
自覚して、爆発するように赤くなった私に、レンは悪戯っぽく笑ってから外套を翻し駆けて行った。
――あの人は、まるで嵐だ。
(あつい。あついあついあつい……)
口付けられた手のひらが、掴まれていた手首が、声を聞いた耳が。何もかも全部熱い。
沸騰しそうな熱を押し込めて、私も反対方向へ向かって駆け出す。
王都から来た騎士。届けられた神官へのお誘い。
赤い瞳と緑の瞳。
「色々ありすぎて、どうにかなりそう」
小さく呟いて、フードをより深くひっぱる。
気を抜いたら叫んでしまいそうだ。
胸の高鳴りは、喜びか、期待か――――それとも、恋とでも呼ぶ病か。
答えの出ない私には、とにかく全速力で明るい街の中を駆けることしかできなかった。