第15話 ハニートラップ?
「お、お帰り。早かったな」
「…………」
だいぶ高くなった日が照らし出す、メルキュールの中央市場の片隅。
肩で息をする私を迎えるきれいな男性は、気遣うように手を差し伸べてきた。
「大丈夫かい? 何も走って来なくても良かったのに」
薄青色の長い髪が、逞しい背で踊る。
ずいぶん慣れた手つきに頬を撫でられ、思わず身を逸らしてしまえば、「残念」と呟いた彼はまた微笑んだ。
昨日の恩人と同じ制服の男性……この国の聖騎士と名乗った彼、カイさんに会ってから一時間弱。
朝市で買った食材が悪くなるということで、一度家に帰りたいと提案してみれば、彼はあっさりと承諾してくれた。またここに戻ってくるとを約束して、今に至る。
……止められると思っていたし、尾けられるのも嫌だから急いだのだけど。どうやら彼は、ずっとここで待っていてくれたようだ。
「……お待たせしたのは、私の都合です。急ぐのは当然かと」
「真面目だなぁ。でも、来てくれて嬉しいよ」
彼は別れる前と変わらず、きれいな顔に笑みを浮かべたままだ。何がそんなに楽しいのか、まだ不安の方が大きい私にはわからない。
「私が逃げるとは、思わなかったんですか?」
「ん? 別に逃げてくれても構わなかったよ。オレたちは君を捜していたけど、追っていた訳じゃないから」
「……私が来なかったら、どうしたんですか?」
「許される限りはここで待つよ? 女性との約束を破るようなことはしないさ」
(自分が破られるのはいいんだ……)
困った。そんな風に言われてしまったら、罪悪感で裏切れないじゃないか。
ちょっとだけ逃げようとも考えていたから、なおのこと申し訳ない。騎士って、皆こんな感じなのかしら。
「さ、お手をどうぞ、お嬢さん。ご案内致しますよ」
「け、結構です。連行されなくても、ちゃんとついて行きますから」
「いや、オレが繋ぎたかっただけなんだけどね。やっぱり手強いなあ」
……まったく、調子の狂う人だ。
軽い口調で笑っているのに、それと並行してさりげなく周囲へ視線を回している。お茶らけと警戒を同時進行できるなんて、騎士ってどんな過酷な職場なのだろう。
(ボロを出す前に、なるべく早く話を終わらせよう)
私も一応周囲を確認してから、先行する彼の二歩後ろへそっと続いた。
さて、彼に案内された場所は、大通りから歩いて数分ほどの場所。規模はそう大きくないけれど、割と評判の良い宿屋の一室だった。
同じ街に住んでいながらまず縁のなかった所に来て、改めて自分は偏った世界で生きていたのだと実感する。
「個室っていうと、どうしてもこういう所しかなくてさ。まあ、さすが中心地だけあって、造りはしっかりしてるみたいだけど」
「そうですね。初めて来ましたが、きれいな部屋ですね」
温かい色合いで統一された室内には、品の良い木製のテーブルと椅子、大人が二人は寝られそうなベッドが鎮座している。汚れや傷などもなく、清潔感のある良い部屋だ。
壁も厚いようで、扉を閉めてしまえば外の音はほとんど聞えない。
(まあ、建物がしっかりしてるのは、賊が多いからだろうけどね)
外の人間にはあまり知られていないであろう苦労を思って、そっと溜め息をつく。
カイさんは外套を壁にかけ、寛いだ様子でベッドに腰を下ろしているようだが……
(……うわ)
なんとなく彼の動きを目で追って、思わず見惚れてしまった。
髪を掻きあげたり脚を組んだり、そんな日常的な仕草にすら、なんとも言えない色香が漂っている。
それに、さすが騎士と言うべきか。
外套の下、意外と肌に近い赤色の制服からは、男性らしい逞しい体が伺える。優男風の顔立ちとは裏腹に、肩幅は広いし胸板も厚そうだ。
ギルドで筋肉自慢の男なんて見飽きているはずなのに。むさ苦しさを感じさせない無駄のない輪郭に、ついつい目が奪われる。
(――きれいな体)
不躾とは思いつつも見惚れていると、優しかった彼の瞳が、ふと意地悪な色に変わる。
「――そんなにオレの体が気になる?」
「へ? ……う、うわっ!?」
突然引っ張られた腕に重心をとられ、気付いた時にはベッドの隣に引き倒されていた。
慌てて体を起こそうとするも、押し留める彼の力の方が強い。
「……ッ! じろじろ見てしまったことは謝ります。手を離して下さい」
「ああ、それ。オレに敬語はいらないよ。普通に話して欲しいな」
「は? 何を言って……」
外では優しさしか感じなかった瞳は、いつの間にか獰猛な獣のように煌いている。
掴まれた手はシーツを滑るばかりで、力が上手く入らない。
「カイさん、離して下さい!!」
「『さん』はいらないってば。あと、そのフード。せっかく二人きりなのに、隠す必要はないよな?」
「や、やだ……触らないで」
ぱさり、と軽い音を立ててフードが落ちる。その外した流れのまま、大きな手がゆっくりと髪を梳いていく。
「うん、やっぱり可愛いね、ルキア嬢。隠すなんて勿体ない」
吐息の多い声が、甘やかに耳をかすめる。
一言話す度に距離がつめられて、灯りが彼の影に隠れていく。
(私本っ当に大馬鹿だわ! 一体何度同じ手に引っかかれば気が済むのよ!!)
話をするなんて、やっぱり嘘だったのか。耐性がないとは言え、彼らに振り回されすぎな自分にうんざりする。
“色仕掛け”が女だけの特権だなんて、誰も決めていないのに。
(魔術、何か彼から逃げる術、何か……!)
「……ねえルキア。オレの名前、『カイ』って呼んで?」
「……っ!?」
思考総動員で呪文を探していれば、お前の考えなどお見通しだとでも言うように、白手袋越しの指先が唇に触れる。口が動かせないと、当然呪文は唱えられない。
(力じゃ勝てないのに、これじゃ魔術も使えない! だ、誰か……誰か!)
唯一の手段まで封じられて、いよいよ視界がにじんでくる。
いやだ、どうしてこんなことになってしまったのだろう。騎士に狙われるようなことなんて、何もしていないのに。
(怖い。男の人が、こんなに怖いなんて。誰か……誰でもいい、助けて!!)
バン!!
「――――っ……!?」
懇願が天に届いたのだろうか。
突然響いたのは、扉を乱暴に開く音。
そして、迫ってきていたカイさんの口からこぼれた、かすかな舌打ち。
「あーあ、残念。早かったじゃないか、レン」
「…………れん?」
カイさんの上半身が横にずれて、再び室内の様子が見えるようになる。
視界に飛び込んできたのは
「……無事か」
かなり高い身長の、白い外套を翻す男性。短い髪は黒く、私を見つめる瞳は血のような赤。
「貴方、昨日の……」
『また、すぐ逢える』と、低く響いた声が蘇る。
まさか、本当にまた逢えるなんて、思わなかった……。
「やっぱりそうか。よりにもよって、レンに先を越されるとは思わなかったぜ」
「……カイ、近い」
「はいはい、離れますよ。そう凄むなって。王都に戻って殺されるのも御免だしな。……怖がらせてごめんな、ルキア嬢」
ずいぶん親しい様子で話す彼らに、かける言葉が浮かんで来ない。
カイさんは冗談めかして肩をすくめると、優しい手付きで私の頭を撫でた。
「あいつ遅刻常習犯でさ。こうでもしないと、すぐには来なかったんだ。ほんとごめん。最初から何もするつもりはないよ」
「……護衛任務の途中だ」
「わかってるけど、最初は二人揃うべきだと思ったんだよ。お前も彼女に会ってるっぽかったし。ちゃんと後で埋め合わせはする」
「…………とりあえず、私はからかわれたってことかしら?」
呆然と眺めていれば、レンと呼ばれた男性は眉をひそめ、カイさんは困ったように私に手を差し伸べる。
「……ごめん。でも、可愛いと思ったのは本当。レンが見初めたのが君か確かめたかったんだ。許してくれるなら、ちゃんと口説くつもりはあるよ?」
「く、口説かなくていいです!」
いつの間にか、緑眼は外に居た時と同じように優しい色に戻っている。
そこに先ほどの妙な色香はなく、命の危機からはひとまず脱したようだ。……力が抜けてしまった。
「まあ、『早く来ないと襲うぞ?』と言う伝言一つで、遅刻常習犯が予定より早く動けたんだ。君で正解なんだろうな」
「カイ」
「だから襲わないっての! とにかく、改めて自己紹介するよ。オレはカイ・ウィスバーデン。こっちは相方のレンフェルド・マインツ。どちらも聖騎士団の騎士だ。今回は定期視察の護衛でこの街に来たんだが、もう一つ特別な任務を受けている」
未だぽかんと成り行きを見つめる私に、黒髪の男性――改め、レンフェルドさんもカイさんのすぐ横に並んで、姿勢を正す。
きりりと引き締めた表情は、やはり騎士らしい高潔さを感じさせるものだ。
「魔術師のルキア。リーズリット家の“禁忌の双子”の君を、迎えに来たんだ」