第14話 甘味につられて
軽くなった財布の中身は、これでゼロ。
でも、いいんだ。ああしなかったら、多分後悔しただろうし、これで良い。
(……兄弟、か)
さっきよりもゆっくり歩いて行く小さな二人に手を振って、深く息を吐く。
もし私たちが普通の家の生まれだったのなら、妹とああして歩けることがあったのだろうか。
二人で手を繋いで、おつかいに行ったりして。そんなどこにでもいる姉妹のような――。
(――今更ね)
小さく頭を振って、屋台を後にする。
用途はどうであれ、財布の中身がなくなったことには変わりないのだ。さっさとギルドへ行って仕事をもらって来ないと、明日の生活もままならない。
気持ちを切り替えて歩き出そうとした私の前に――突然、“見覚えのあるもの”が立ちはだかった。
空気を含んで翻るそれは、純白の外套。
(これ、まさか昨日の――ッ!?)
「お嬢さん、食べないのかクレープ?」
「――……へ?」
――違う。昨日の人じゃ、ない。
装いはそっくりなのに、耳に落ちる声は昨夜聞いたものより少しだけ高い。
慌てて顔を見上げれば、長い薄青色の髪と、優しげに微笑む翠玉のような瞳が視界に飛び込んでくる。
(昨日の人じゃないけど……この人も)
優しく甘い顔立ちに柔らかい声。昨日の人と種類は違えど、この男性も文句無しに美形だ。
この辺境の街で、こんなにきれいな人に続けて会えるなんて、一体何が起こっているのか。
「おーい、もう注文するぞ? 苺のでいいのか?」
「……え? 注文? な、何の話ですか?」
「クレープ屋で他の注文はないと思うよ。とりあえず、苺の二つ頼む。片方はオススメでたっぷり追加入れてくれるか?」
「え、ええっ!? 待って下さい、私、あのお金が……!!」
状況が読めずに惚けていたら、青髪の男性がささっと注文を済ませてしまった。
慌てて止めようにも店主はもう制作に入っており、今更ナシはできないだろう。
「ど、どうしよう……お金」
数分と待たずして、普通の苺クレープに溢れんばかりに果物とクリームが追加された、大変豪華なそれが私に差し出されたのだった。
「あの、これ……」
屋台から離れ、広場のベンチへ移動してきた私たち。
隣には、さも当たり前のように青髪の男性が座っている。
「食べないのかい? それとも、何か嫌いなものでも入ってた?」
「いえ、とても美味しそうですけど……お金を」
この豪華クレープ、当然だが私はお金を払っていない。
急に現れたこのきれいな男性が、断る間もなく会計を済ませていたのだ。
「やだな、奢りだよ」
「……困ります。見ず知らずの方に奢って頂く理由がありません」
クレープを頬張る彼は、ずっとにこにこと楽しそうに笑っている。
優しい人のように見えるけど、見知らぬ小娘に食べ物を奢る人なんて聞いたこともない。慈善事業でもなさそうだし。
「オレが奢りたいから奢っただけだよ。これが理由じゃ不服?」
「奢りたいからって、理由になってませんよ」
「そうかな? お嬢さんもさっき、見ず知らずの子どもにあげてた気がするんだけど?」
「あれは……私の自己満足ですから。あの子のためでなく、私のためだからいいんです」
「じゃ、オレもそういうことで。オレの自己満足を押し付けさせてもらうよ。実際、君がああしなければ、オレがやっていただろうしな」
「…………」
……どうやら、何を言っても聞いてもらえなさそうだ。
笑顔の割に強引な彼に押し負けて、端の方から一口かじってみる。
「……美味しい」
「それは良かった」
まだ温かく、しっとりとした薄皮の中に、よく冷えた果物とクリームがふんだんに詰め込まれている。
甘酸っぱく後味もさっぱりしているので、これなら沢山食べても胃がもたれることもなさそうだ。
ちらりと隣を伺えば、やはり彼は優しく笑っている。
……どうにも、悪い人には見えない。作り物の笑顔がこんなに優しいなんて、思えないもの。
(昨日の人にしても、この人にしても、親切がすぎるのではないかしら)
それとも、見ず知らずの私に何かを期待しているんだろうか。
見てくれは不審としか言いようのない小娘に、一体何を?
「……貴方たちは」
「……“たち”?」
「貴方たちは、一体何者なんですか?」
浮かされたように呟いた私の問いかけに――けれど彼は、目を見開き肩を震わせた。
「え?」
私、何か変なこと聞いてしまっただろうか?
先ほどまでの笑みを消して、彼はとても真剣な表情で私を見つめている。
(な、何だろう。やっぱり図々しかったかしら。でも、口をつけたものを返すのも失礼だし……)
追求もできず、待つことしばし――ふいに、彼の端正な顔に、不敵な笑みが浮かぶ。
「騎士だよ。オレ達は、王都から来たライハルト聖騎士団の騎士だ」
「騎士?」
ああ、なるほど。それであの剣の腕前か。
ライハルト聖騎士団といえば、このライハルトで唯一“国が認める”武力組織だ。
身分や生い立ちは一切問わず、ものを言うのは実力のみだという。非常にわかりやすく、且つ苛烈な仕組み。このきれいな正装も、国立機関のそれなら納得だわ。
「……そっか、君がそうだったんだな」
「はい?」
彼が首をかしげる動きに合わせて、長い髪がさらさらとこぼれ落ちる。
ああ、やっぱりきれいな人だと、ほんの一瞬見惚れてしまった――
「逢えて嬉しいよ、ルキア嬢」
「――ッ!?」
その一秒にも満たない隙に、彼の顔はすぐ目の前まで近付いていて。
頬に添えられた手が、私のフードを外していた。
「何を……ッ!?」
「ああ、よく似てる。でも、君のが優しい顔立ちだな」
「離して!!」
慌てて腕を振り払い、距離をとる。
この人、なんて迅さで動くんだ。いくら隣にいたとはいえ、あんなにすぐ不意をつかれるなんて思わなかった。
(最悪だ。昨日の今日でまた油断してたなんて!)
昨日の人が助けてくれたから、つい安全だと思ってしまっていた。
そんな保障は何もないのに、私は本当に大馬鹿だ。
ベンチから立ち上がり、身を守る呪文を小さく唱える。
あの迅さで動けるのなら、座った状態からでも即座に剣を引き抜けるだろう。
幸いここは街のど真ん中、いざとなれば自警団に助けを求めることもできる。しかし、私が斬られるのとどちらが早いか。
「あー怖がらせてごめん。悪気はなかった。顔を確かめたかっただけなんだよ。ここで事を構えるつもりはないから、警戒しないでくれ」
臨戦態勢をとる私に、彼が返す言葉はずいぶん軽い。
ひょいと両手を頭の上で組み、「何もしないよ」とまた柔らかい笑みを作っている。
「……私を、知っているの?」
「名前だけな。詳しい事はこれから知り合っていけると、オレとしては嬉しいんだが」
「茶化さないで! 私に何の用? ついに消えろとでも言うつもり?」
「消えろ? なんだ、それは?」
いつでも魔術を発動出来るように、利き手を前にかざして問いかける。
向かい合う彼はきょとんと驚いた顔で、私の質問を繰り返している。手は頭上のままだけど、王国の騎士と聞いて警戒するなというほうが難しい。
――しかし、質問の意図はわからなかったみたいだ。
(リーズリット家の関係者じゃないの?)
この辺境で彼らに関わりがありそうな者といえば、領主たるあの家だけだ。
国からの武力介入がいるような事件も起きていないし、調査を要するような場所もアウリール地方では見つかっていないはずだ。
(それなら、なんで聖騎士がこんなところへ?)
色々と考えていたら、顔に出ていたのかもしれない。
彼はまた穏やかに微笑むと、頭上にあった手を誘うように差し出した。
「オレたちは、君を守る為の騎士だ。敵じゃないよ」
「私を守る……?」
「正確には『護送』だな。とりあえず、場所を移したいんだが、どうかな? こんな人目につくところで話すことではないと思うんだが」
「…………」
確かにここは街のど真ん中。救援を呼ぶには便利だけど、反面私の顔を隠すには不利だ。
長い時間話すことになれば、顔見知りに見つかってしまう可能性も高い。
「……わかったわ」
構えていた手を下ろすと、彼は嬉しそうに微笑み――そのまま、私の前に跪いた。
「は!? ちょ、ちょっと貴方!?」
「オレはカイ・ウィスバーデンと申します。以後お見知りおきを、ルキア嬢」
「……私は、令嬢じゃないですよ」
流れるような動作と、歌うように紡がれる言葉。
それらは確かに、幼い頃に読んだ童話の騎士そのもので、思わず頬に熱が集まってくる。
(昨日といい今日といい、一体何が起こってるのよ……)
閉鎖的な世界は、私の知らぬ間に終わりへ向かって動きだしていた。