第10話 翌朝の風景-ルキア
「……あんまり眠れなかった」
東向きの窓から差し込む光に背を向けて、ベッドの中で溜め息をこぼす。
光を遮ってみた所で、眠気が来るはずもない。
何せ、頭が冴えきっているのだから。
「眠れる訳、ないか」
諦めてかけ布団をどかして、床に足を下ろす。
ひんやりと冷えたそれが裸足にしみて、今は少しだけ心地よい。
昨夜はあの後まっすぐ家へ帰り、すぐ布団に入ったのだけど……眠れる訳がなかった。
あんなに沢山の出来事を、そう簡単に忘れられるはずもない。
荒事でお金をもらっているのだから、ある程度のことには耐性があるつもりだ。
単独犯でなく集団を一人で相手にするのも、初めてではない。昨日は油断して失敗してしまったけれど、その後についても覚悟はあったのだ。
(……あんなに素敵な男の人が、助けてくれるようなことがなければね)
私を助けてくれた、きれいな顔のお兄さん。
恐らく二十代ぐらいで、顔だけでなく背も高くて――何より、とても強かった。
何故彼は、あの場所に居たのか。何故、あんな時間に居たのか。
『ここは引き受ける。逃げろ――ルキア』
「……何故あの人は、私の名前を知っていたのかしら」
昨夜は急いで逃げてしまったので、気付いたのは自分の家についてからだった。
彼は私を『ルキア』と呼んだのだ。その名を知っている人間は、二種類に分かれる。
一つは、ギルドに登録してある『賞金稼ぎのルキア』としての名前を知っている同業者。
しかし彼らは、私の顔を知らないはずだ。マスターすらも『顔をフードで隠した小娘』としか知らない。
昨夜彼と出会った時の私は、落下の衝撃でほとんどフードが外れている状態だったと思う。
暗闇ではあったけど、それでもあれだけ至近距離にいたのだ。顔の判別ぐらいはできただろう。
この場合だと、私の声を覚えていて名を呼んだということになるけど、彼をギルドで見たことは一度もないし、あんな素敵な人が居たら絶対に覚えている。
……なので、こちらの可能性は低い。
もう一つは――リーズリット家の人間。
それもただの使用人でなく、ヘレナのように『直接私に関わる人間』しか、私のことは知らないはずだ。
彼の装いは何かの制服のようにしっかりしたものだったし、あの強さだ。仮にあの家に雇われた人間だとしても、普通の雇用契約ではなさそうだ。私に関わるものだと言われても頷ける。
(……助けてくれたもの。敵では、ないはず)
どうしてもあの家に良い感情は浮かばなくて、寝間着のすそを握りしめる。
……本来私は、間引かれていた子どもなのだから。
禁忌といわれる通り、リーズリット家に双子が産まれた場合、ご先祖にならって私は処分されるはずだった。
それを両親が止めたから生きていられるものの、今の私は飼い殺し同然の状態だ。
……状況が変わって私が邪魔になった、という線もなくはない。
「……嫌な想像しちゃったわ。命の恩人を疑うなんて」
とりあえず、彼は「賊に紛れて殺す」という一番楽な方法をとらなかったのだ。
立場は何であれ、彼自身は敵ではない……と思いたい。
『また、すぐ逢える』
耳に残る、低く優しい響き。
唇にも手の甲にも何も残っていないけど、どちらも触れた感触ははっきりと覚えている。
「根拠のない言葉を、信じるしかないのかな」
それを望む私自身に驚いてしまう。
まあ、お礼をすると言ってしまったし、正体がわからないのも気分が悪いしね。
穏やかな一日の始まり。わずかな期待を胸に秘めて、重ねた手をきゅっと握り締めた。