表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/48

第9話 闇に交わる糸

「嘘でしょ!? あいつら何人がかりで小娘を追いかけてるのよ!!」


 上手く撒けたと思えたのは、ほんの数秒。

 気付いた時には、私の周囲を何人もの男たちが追ってきていた。

 

 人数を確認している暇はないけれど、少なくともさっき目くらましをかけた五人とは違うようだ。

 つまり、他にも待機してたらしい。規模が大きいことは知っていたのに、完全な慢心だ。


「ああもう、最悪だわ!!」


 本当はあまり騒ぎたくはないけど、今はそんな余裕もない。

 地上へ降りたら取り囲まれるのは明白。家の持ち主には悪いけど、このまま屋根伝いに走り逃げるしかない。

 もちろんこのまま家に帰るなんて論外。こんな民家の多い場所でことを構えるのも却下だ。


(何とか撒ければいいんだけど……)


 少しだけ振り返って、首を横に振る。

 駄目だ、人数が多過ぎる。こんな集団を野放しにはできない。


(なんとか街の外れまで誘導して、そこで私が対処しないと)


 ――しかし、ぱっと見ただけでも人数はもう十を越えていた。私一人でどうにかするには、なかなか苦しい状況だ。

 眼下で(わめ)く男たちの声は、今なおも数を増している。


(これ以上増えられたらさすがにきつい! 公安の施設に直接行くべきか……でも、多分顔を見せないと……)


 どうするのが最善手か。

 行き先を決められないままに、とにかく足を前へと突き出して駆けて――



 ――――それは、ほんの一瞬。

 焦った心が起こした油断。ちょっとした失敗。

 しかし、場所が悪かった。


「え……?」



 次の屋根へ飛び移ろうとした私の足が――空を切った。



「しまった……!?」


 気付いた時にはもう遅い。

 がくんと体勢を崩した体は、重力に逆らうことなく下へ落ちて行く。


(嘘でしょ……ここ三階建てじゃない!!)


 何か唱えなきゃと思う心とは裏腹に、頭には何の呪文も浮かんでこない。

 伸ばした手は何も掴めず、唇からこぼれるのは乾いた吐息だけ。


(駄目だ、もう間に合わない……落ちる!!)


 妙にゆっくりと流れる景色を見て――私はきつく目を閉じる。

 せめて少しでも痛くないよう、肩を両手で抱き寄せて――――







ぼすっ







「――――ッ!?」


 鈍い音とともに、時間の流れが元に戻った。


(あ、あれ? 痛く……ない? なんで?)


 ゆっくりと手を動かしてみる。

 指先に触れたものは、思ったよりも柔らかい。


(これは……布? どこかの店の天幕?)


 この時間で干しっぱなしの布団はないだろうけど。何にしても助かった。

 あの高さからでは骨折はまぬがれなかっただろうし。おかげで体のどこも痛くない。


(早く起きて動かないと――ああでも、何かしら。温かい……)



「ん……」


 次第に脳も覚醒して、開いた視界もハッキリとしてくる。

 体を包み込むのは柔らかい生地で、でもなんとなく硬さもある……不思議な、


「…………?」


 声を発した唇に、確かに“吐息が触れた”

 何だったのかと、確認するために顔を上げて――



「……うそ」



 ――後悔した。

 私の下敷きになっていた温かいもの。



 それは、間違いなく、『人間』だった。




「…………」


 体躯から見て成人の男性。鋭い赤の瞳が、真っ直ぐ私の間抜け顔を見つめている。

 それもそのはず。だって彼の顔はとんでもなく近く……それこそ、髪が重なり、吐息が触れるような至近距離にあるのだから。



「あ……あ、の」


 頭の中で、色んな情報が交差する。

 動揺、混乱、謝罪と――“現実逃避”。

 心臓から昇る熱が、みるみる内に私の頬を染めていくのがわかる。



 ――――どうやら私は、彼の上に落ちてきた挙句、

 唇を、触れさせていたようだ。



「あ、の……ご、ごめんなさ…………」


 妙に乾いた声がこぼれる。

 謝らなきゃいけない。ひどい迷惑をかけてしまった。


 この人は怪我(けが)をしていないだろうか。私のせいで、大変な思いをしていないだろうか。

 ああ、そうだ。私は追われていたんだった。だから早く、彼にも逃げてもらわなきゃいけない。


 頭ではやるべきことがわかっているのに、私の体は動かない。

 彼の瞳に捕らわれたように、動いてくれないのだ。


 触れ合う手が熱い。

 耳に響く鼓動がうるさくて――これは、どちらの心臓だろう?


 事故と呼ぶには柔らか過ぎた感触が、唇に残っている。




「……きゃっ!?」


 どれぐらいそうしていたのか。

 ふいに体が浮いたと思ったら、次の瞬間には地面に下されていた。

 私を抱きとめていた彼が、立たせてくれたらしい。


「あ、あの……」


「……無事か?」


 低く、背筋に響くような心地よい声が問いかけてくる。

 怪我はないかということなら、彼のおかげでどこも痛くない。


「だ、大丈夫です」


「ならいい」


 なんとか頷いて返せば、彼はほっと軽く息を吐いた。

 たったそれだけの短い会話。

 けれど、この人は怒鳴るでも責めるでもなく、真っ先に私を心配してくれたらしい。


(……なんて、親切な人)


 建物の三階から人間が落ちて来るなんて、下手をすれば大惨事だ。

 私はもちろん、彼が大怪我をしてしまった可能性もあるのに、怒っている様子もない。

 なんて優しい、命の恩人だろう。


「あの、助けてくれて有難う御座います。貴方のお怪我は――」


「動くな」


「えっ!?」


 お礼を言おうと話しかけた瞬間、彼の腕が制止するようにかざされる。


「おい、居たぞ! こっちだ!!」


「っ!! まずい、あいつら……!?」


 落下の衝撃にすっかり気を取られていた。そうだ、私は追われていたんだ。

 ちゃんと撒けてもいなかったし、落ちたからといって解決しているわけがない。


 暗闇の中には続々と人影が浮かんでくる。

 右にも左にも増え続け……最悪だ、囲まれてるじゃないか。


(これぐらいの距離なら、まだ間に合うか)


 幸いにも民家の密集区域からは抜けられていたみたいだ。建物同士の間にもいくらか余裕がある。

 これなら少しぐらい戦っても、周りに被害は出さなくて済むかもしれない。


「……巻き込んでごめんなさい。すぐ片付けるから、下がっ……あ、あれ!?」


 親切な恩人へ向けてかけたはずの言葉が、空しく夜風に飲まれる。

 隣にいたはずの姿はそこになく、慌てて捜せば後ろ姿が奴らの目前まで駆けている。


「ま、待って!? 危ないわ!!」


 止めようと伸ばした手も当然届かず、私が言い終わるよりも先に、澄んだ剣戟(けんげき)の音が聞えてくる。


「なんだテメ……ぐああっ!!」


 続けて聞えてくるのは、男たちの品の無い(うめ)き声。

 一音響くごとに増えるそれは、淡々と作業のように男たちを片付け――


「う、嘘でしょ……」


 ……時間にして、わずか数分。

 私が加勢する間もなく、剣を鞘にしまう硬質な音が終結を告げる。

 闇の中から現れたのは、白い外套(マント)(ひるがえ)す彼一人だけだ。


「なんて、強さ……」


 呆然と立ち尽くす私に、何事もなかったかのように彼が歩み寄ってくる。


「終わった」


「は、はい、そうですね」


 彼の背後はすっかり静まり返っている。

 大所帯で騒いでいた賊の全てが、動ける状態ではないみたいだ。

 対して、二十を越える数の男たちを相手にしていた彼は、息も上がっていない。


(……何者なの、この人)


 はっきりとは見えなかったけれど、この動き、身のこなし。無駄も隙も全然なかった。

 それに、あの高さから落ちた私を、彼はしっかりと受け止めていたのだ。

 只者でないのは確かだけれど、この存在を指す言葉を、私は知らない。


「……なんだ?」


 私の不審な視線に答えるように、彼が見つめ返してくる。


「……あ」


 視線が絡んで、ようやく気付いた。

 よく見たらこの人、凄い美形じゃないか。

 目付きはちょっと鋭いけれど、赤色は宝石のようにきれい。

 筋の通った鼻と、引き結ぶ唇の配置は完璧だし、男性らしい輪郭すらも理想的な形だ。


(――私、こんなきれいな人に、キスしちゃったのか……)


 急に恥ずかしくなって、つい視線を逸らしてしまう。

 顔が熱い。いや、体が全部、燃えるように熱い。


「……どうした?」


「い、いえっ……何でもありません!」


 かけられた声がくすぐったくて、顔だけでなく体も逸らしてしまう。


「怪我か?」


「ち、違います。本当になんでもないですからっ!」


 ……ああ、意識したら本当にまずい。この声も耳に心地よくて、背筋がぞくぞくするのだ。


(私の知っている男と、全然違う)


 (かたよ)っている自覚があるとは言え、こんなにきれいな人は見たこともない。

 筋肉隆々(りゅうりゅう)ないかつい男たちしか知らないのに、急にこんな素敵な人とどうやって話せというのか。




「おーい、レン-? そこに居るのかー?」


「……ッ!?」


 私を現実に引き戻したのは、遠くから響いて来る足音と、誰かの呼ぶ声。

 やはりさっきの騒ぎで人を集めてしまったみたいだ。

 公安機関が来てくれるのは助かるけど、事情聴取に捕まえられるのは困る。顔を隠さないといけないのはもちろん、身元を調べられては厄介だ。


(何のためにギルドを通してると思ってるのよ! と、とにかく何とかして逃げないと!)


 慌てて逃げ道を捜せば、それを引き止めるように目の前の彼が腕を掴んできた。

 白手袋に包まれた掌は大きく、振り解くのをためらうほど力強い。


「ごめんなさい! 助けて頂いたお礼は必ずしますから! 私は今、公安に捕まるわけにはいかな……」


「逃げろ」


「……え?」


 この人、今なんと言った? 逃げろと聞えたのは、空耳か?


「ここは引き受ける。逃げろ――ルキア」


 反応する間もなく、低い声が静かに囁く。

 そしてそのまま、私の手の甲に優しく口付けを落とした。


「え、なっ何を……っ!?」


「また、すぐ逢える」


 最後に彼が見せたのは、とても穏やかな微笑み。

 赤眼を優しく細め、そっと私の手を離すと、彼は闇の中へ駆けて行ってしまった。


「……な、何、今の……?」


 残されたのは、半分放心している私のみ。

 しかし、近付いて来る足音に慌てて距離を取り、家までの道を走り出す。


 “また逢える”と囁いた彼の声が、いつまでも耳に残っていた。







   *  *  *


「おー居た居た。レン、大丈夫か?」

 

 背後に数人の警備員を連れて、薄青髪の騎士が手を振りながら呼び掛ける。

 その腕にはぐったりとした男たちの姿。いずれも先程レンが相手をした賊だ。


「随分遅かったな。ちょっと心配したぞ?」


「すまない」


「無事なら構わんさ。それで、こいつらお前がやったんだろ? 指名手配中の賊みたいだぞ」


「…………ああ」


 カイの説明を受け、ようやく合点いったように頷く。

 彼女を追いかけていたから倒したのであって、相手の素性は気にしていなかったらしい。


「殺気の正体を突き止めたのは良かったが、もう少し大人しく動いて欲しかったな。この辺の持ち主から、多分明日にでも苦情が来るぜ?」


 相変わらず、とでも言うようにカイが溜め息をつく。

 視線の先には、暗闇でもわかる程すっぱりと斬り落とされた、看板の残骸が転がっていた。


「……善処しよう」


「そうしてくれると有難い。悪者を倒したのに苦情なんて、オレも受け取りたくないしな」


 苦笑を浮かべながら、ポンポンと慰めるようにレンの背中が叩かれる。

 レン自身は特に気にしていないのだが、それでも己を気遣ってくれる友人の言葉はどこか温かい。


「――カイ」


「ん?」


 だからこそ、カイには早く伝えなければと思ったのだろう。

 カイもまた、レンの声色がいつもと違うことに気付き、首をかしげて返す。


「何かあったのか? ご機嫌じゃないか、レン」


 赤い瞳に浮かぶのは、とても柔らかな笑み。

 らしくない穏やかな表情で、レンははっきりと口にする。


「見つけたぞ。ルキアを」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ