ヒコボシ
その報告を、オリガ・カナエが受けっとったのは、事態発覚から数時間が経過した時だった。
すでに暴動は鎮圧され、もぬけの空になった人的鎧は厳重に保管されたと。
彼女はその報告を受けとった時には、今回の事件はすでに終わっていたということになる。
あっさりと、馬鹿馬鹿しいくらいに突然に。
「おまえ、どうやって」
当然、そんな言葉が飛んでくる。しかし俺は、彼女にそれを伝えるのは疑問が残る。
「だから言ったでしょ? 復元身体くんへの対抗策は始めからあったんだよ。ただ俺がこいつの使用を渋っていただけだ。乗り越えれば、まあ、こんなもんかねえ」
その場所は、ダムの壁の真上。
真っ白い、柵のない橋のようなその広大な場所に、俺達はいた。
理由は単純、ここである人物を待つためである。
「おまえ、誰なんだ」
彼女からそんな言葉が飛んでくる。
さて、誰かと言われれば、答えられないこともないのだが。
「それは今、おねーさんに言うべきじゃないかな。これからここにくる人物にいうべきだ」
「でも、本当に来るのかよ」
「それは分からないかな。でも来なければならない。彼の目論見は完全な失敗に終わった。だから負け惜しみで、ここに来て敗因を知らなければならないんだ、彼は」
彼女はその発言に理解を示してはいないようだったが、深く考えることを辞めたのか、それ以上を追及してくることはなかった。
そこで、目の前に人影を発見する。
それは子供のような体躯に、白衣をその上に来た、小柄な女性だった。
「――あ」
オリガ・カナエが声を上げる。
その人物は、数時間前にモモタビ・マイリと行動を共にしていた、ノウスイ・ソウフだ。
彼女はこちらを睨みながら歩いて来る。
「やあ、来ると思っていたよ」
こちらから声を出す。まあ、立場上、その責任者から声をかけるのは大人の義務だろう。
「どれだけ優秀なコンピューターウィルスでも、人間の脳の中に潜むプログラムは破壊できない。人間の中に入り込んだきみを殺すことは、いくらかつてのウィルスでも不可能だった。だからきみはここにきた。ノウスイ・ソウフさん。いや、復元身体」
「…………」
「よお、息子」
その発言には、復元身体は過敏な反応を見せた。やはり、彼にとっては無視できないのだ。
「きみは――じゃあ。やっぱり」
ああ、いいだろう。彼になら訊く権利くらいはある。後ろの少女に関しては、まあ、巻き込んでくれやがったお礼くらいはしておかなければ。
「復元くん、きみはリビングヒューマノイド、という言葉を聞いたことはあるかな」
ノウスイ・ソウフの脳に入り込んだ復元身体はこちらの発言をただ訊いている。
「自身の体を無機物で代用し、結果的に脳と神経のみになるオーガニックヒューマノイドとは違う。こちらは自身の体の代用を作る物だが、前者は自身の体の代用となる人間を作る。ああ、でもクローンじゃない。細胞から派生した単細胞なんて、生物としての限界がたかがしれているからね。自身の存命を希望する人間が、その希望した肉体の性能が劣悪であることは許せない。そこで、自身の肉体とはまったく別に肉体を用意し、それを利用することを考えた」
要は、データが媒体を移動することと同義である。人間のという入れ物をその媒体にみたてた行為だ。
「自身の記憶、脳の本質、性格、思考力、一人の人間が生きて来た、その結果すべてをデータ化し他の脳に移し替える。結果として、本人と数文違わない人格と記憶をもった、別の入れ物ができあがる。それがリビングヒューマノイドだよ。むろん、公にはしていないけどね。それは人間という人生に対する冒涜だとか、そんなつまらない話が浮上しても困るだろう? それに残ってほしくない人間が残るのが最も最悪だ」
ノウスイの顔をした復元身体は。ゆっくりとこちらを見る。
「じゃあ、あなたは」
「きみを作ったヤツだね。以前は、ヒコボシとか名乗ってたと思う」
ヒコボシ。
最悪の細菌事件の主犯。
数十年前に世界情勢を変えた集団の、唯一分かっている人物。
「それが現在、生きている?」
「きみが私の死亡を聞いたのも、別に間違いじゃないけどね。ただ、この体を作った際に廃棄した。すでにコピー元のオリジナル。消耗しきった入れ物はいらない。私はそう考えていたからね。自分の言葉通りに、こちらを作った後、本物の自分は廃棄した」
「……狂ってる」
「いいや、別におかしな話じゃないはずだ。すでに同一の人物がこの時点で二人。どちらか片方を排斥するのは、とても自然なことだよ」
言って、復元身体の方へを歩いて行く。
「私は時間の超越を目指していた」
かつかつと、下の科学的な床は音を鳴らす。
「人間には、個人に与えられた時間がある。数十年から百年。百年から数十年。それだけの時間しか与えられていない。そして、自分として思考力を獲得した時点で五割。まともな思考ができるようになった時点で、すでにその時間の六割を失ってしまっている。そして半分から先は、すでに全盛期の思考力は失われている。それが人間の限界だ。時間というものへの敗北だ。人生に二度目はない。個人が浪費した時間は永久に補充されない。膨大な予備があるだけだ。しかしそれも、老人になった時点で、先の見えなかった予備が見えてくる。自身で行いたいことがあるのに、時間がなければなにもできない」
「――でも」
そこで、後ろの少女から声が上がる。
「それでも誰かに託す、ということはできるでしょう? 子供、とか」
「他者に継がせよう、なんていうのはありえない。人間に人間は理解できない。自身の目的はあくまで自身でしか叶えられない。そして、仮に誰かが私の意思を継いだとしても、それを観測する『私』という存在がいなければ意味がない。あと、自身のDNAを過信するのは最悪の幻想主義者だよ。そんなものに絶対性はない。だから私は、自身の意思を持った、時間の超越者を作ろうと考えた」
その過程で作られたのが、復元身体だ。
電子の中での存在。自身の存在を複製、増大化させることで、その存在を永久的に留める。




