モグラの地上遠征
唯一の足を失って、俺はまた自分の足を頼らなければならなかった。
その背には、彼女が乗っていることは言う間でもない。
「よかったのかよ、あそこで足を棄てちまって」
「いいんだ。それに、あのままアレに乗ってたところで、キカクの道路を走り続けるだけだよ。そのフィールドは逃走には向いていないしネ」
あくまで相手の手のひらの上で逃げ回っているにすぎない。
「で? あの急ピッチで書いたメッセージで本当に釣られるのか? 何のことか分からなかったけど」
「たぶん、ネ。あっちが憶えていてくれればっていう条件付きだけど」
「結構ハードル高けぇな」
「うわー、さらっと酷いことを言われている」
俺達がいるのは、キカク地域の地下通路――それも人間用の通路における、職員が通るような専用通路だった。
少なくとも、彼女の顔を見られるのは拙い。なにせ、彼女は本物なのである。多数の人間にその顔を目視されて、それで気づかれないはずがないのだ。しかし今までのように顔を隠すようなことをしてはならない。こちらの正体を知っている者が敵に回ったのである。もしかすると、先ほどの事件の犯人が、顔を隠した女性をおんぶした男、と報道されていてもなんら不思議ではないのだ。
まあ、こんな通路を無理矢理に通っている時点で、ここの職員に見つかりでもしたら言い訳のしようもないのだが。
通路は職員用の裏道であるにもかからず、その幅は広い。周りに人もいないので、とりあえずは安泰だ。
「ところで、おねーさん。きみに訊きたいことがあるんダケド?」
「うん?」
「おねーさん、復元身体くんに対して、何か恩を売ったりしてる?」
は? と、彼女はそんな声を出した。
「心当たりはないカナ?」
「いや、全然。――なんでそんなことを?」
「いやね。ドクターがさ、最期の最期に、俺があの電車事故で助かったのはきみのお陰だって言ったんだな。きみに感謝しておけと。そのことで何か心当たりはあるかなと訊いてるんだ」
こちらの口調が若干の強制を含んでいたからか、彼女は少し黙ったあと、口を開く。
「いや、ない。確かにないよ。誰かに感謝されることなんて、私はそこまでできた覚えはない」
「ふーん。じゃあない、か」
ならば、彼の発言は一体なんだったのか。
まあいい。その事実は、まだ存在するはずの彼に訊けばいいだろう。
「しかしダネ、おねーさん」
「ん? なんだ?」
「始めは抵抗があった癖に、腹を決めた途端に慣れるというのはどうなんだ? いや、俺としては楽だから全然いーんデスガ。おねーさんくらいの女性にはどうなのカト」
殴られた。しかも割とマジに。
「もう一発――いや五発は行くか?」
「いえやめときます。というかおねーさんの拳、割と痛いワ」
上半身が動くからと言って元気が良過ぎるのもどうかと思う。
まあ、それでも元気なのはなによりですが。
「一応訊いておくけど、にーさん、ハリヤマ・ネズに会えなかった場合はどうするノ?」
「私たち二人であいつらに立ち向かうしかねえよ。分かり切ったことだろうが」
あー、やっぱりそうなるのか。
「ヤダネェ。勝率の低い勝負ってのは、昔から降りたほうが利口だって決まってるのに」
「そんな簡易的な勝負じゃねえんだよ。勝ったか負けたかじゃねえんだ」
そう。これは勝負というよりも生き残りに近い。
どちらが先に息絶えるか。これは、すでにそんな話になっている。
そしてそのただ中にいながら、終始安全圏にいる人間が、モモタビ・マイリということだ。彼は自身でフィールドに立ちながら、それでも自身には火の粉がかからないように立ち回っている。
いいポジションである。まったくうらやましい。
「でも、この先に彼らがいるっていう確証があるのは、ナンデ?」
「元統括者の勘だよ。こんなんでも、一応はそういった役職についていたんでね」
「まあ、その点はおねーさんに任せますけど。――お」
そこで発見する。
車という足をなくし、彼女をおぶり、自身の荷物を片手に持ちながら歩くこと三十分。いい加減息が切れてきたころに、そこに到達する。
一つの扉があり、それは重厚な鉄の重さを持ってそこに存在している。
「おねーさん。ごめん」
「ああ、うん」
そこで、彼女を床に座らせる。そうして、自身の手からアタッシュケースを地面に置き、そのまで軽いストレッチをする。腕と足を伸ばし、腰の筋肉をほぐしていく。軽くその場でジャンプを繰り返し、同時に手首を回し、最後に指の関節を鳴らす。
「よっ――こい!」
そして、その鉄製の扉を開けた。
扉は重い構造になっていたが、全力で押すと、わずかに鈍い音を上げて開閉した。
その瞬間、自分の眼に眩しい光源が入って来たことを確認する。
その扉の向こうは、白い階段が続いていた。そこは、外からの日差しが白い壁を焼いている。
つまるところは、外だった。
人工的ではない、外の風がこちらの衣服を吹き付けてくる。それは見ることのできない待機でありながら、確かに人工的ではないものをその身に感じられる。
扉の外にいる彼女に手を伸ばし、彼女がこちらの手を掴んだ時点で彼女にこちらの背を晒し、彼女の両足を持ち、あちらから手を首に回した時点で足を持って立ち上がる。同時に、床に置いたケースも回収した。
扉の向こうの階段を上る。人を一人負ぶっていることと、ケースを持っていること。そして何よりその状態で三十分も歩いてきたことによる疲労が極限までにまで達している。さすがにそう易々とは昇って行けない。
「――大丈夫か?」
彼女から、たぶん初めてとなる労いの言葉がもれる。まあ、これは気のせいということにしておいた方がいいのだろうか。
階段を上り切って、彼女をおろし、その場に倒れこむ。
「あー、しんどい」
「……ごめん」
「いや、いや。おねーさん。そこは怒るところですヨ」
上に見えたのは、真っ青な空だった。ここの空は、いつもその色だ。




