時間は早々しく
マンホールから脱出すると、日差しの眩しさから目を細めた。そこはまだ破壊されていない建物で満ちていて、あの人物はまだここには来ていないと見える。
偽の蓋から左右上下を見渡して、俺は外に出る。先ほどの煙の上がっている方向は、ここから五百は離れた位置だった。
――たん。
と、背後で音がした。
そこへ、ゆっくりと振り向く。肉体の全筋肉が硬直する。
そこにいたのは、先ほど建物の上から俺を銃撃した、人的アーマーだった。
「…………」
『――――』
俺には言葉を発することはできない。向こうは向こうで、その息遣いがノイズのようになってマイクから外に出力されていた。
その人物の、有機的な指と手のひらに掴まれている部分を見る。
そこに握られていたものは、対人用に作成された、鎮圧用に扱われる小さなテーザー銃だった。引き金と連動して飛び出る電気を纏った針によって、相手を鎮圧する非殺傷兵器。
それを見た時に俺がとった行動は、まあ当然ながら両手をあげて降伏の仕草をすることにすぎなかった。
『――きみ』
向こうから声が上がる。頭の一部分だけが斜面のようになったその部分が顔だということは分かっている。それが、こちらの顔をじっと凝視していた。
『子供じゃないか』
「やー、はは」誤魔化しで笑う。
『十五歳くらいか? それで本当に、あいつを鎮圧したのかい』
「鎮圧――とはちょっと違うカナ。正確には、きみ達のアーマーを少し壊したってだけ」
黒い、全範囲を見渡せるセンサを持った頭は、そこで黙り込む。
その中にいる人物は何を考えているのか、俺には理解できない。
ただこの場で確実だと分かるのは、この状況では、俺と言う人間は確実にロクな目に遭わないということだけだった。
下手な行動はできない。あくまで諦めたというような態度をみせなければならない。いくらインチキのような人的鎧でも、他者の思考そのものまで読む能力はない――はずだ。
目線はその人物の頭部に張り付けながら、その身の装備を確認する。
先ほどの巨大なグレネードは持っていないようだ。おそらく移動の邪魔になると判断して、放棄したのだろう。元々あの武器は人的アーマーを纏っている者にしか扱えない。生身の人間では扱えないからこそ、放置してきたのか。
手に持っているテーザー銃に、他には対人鎮圧用の催涙弾が三つ。建物を倒壊させる為に扱うプラスチック爆弾が五つ。――その他に装備はないようだ。
そうして、周囲とその位置を脳内で確認する。自分で選択して出た道だ。その場所が分からない訳じゃない。地の利とやらは存分にこちらに分がある。
ルート確定。およそ逃走ルートは十四つ。どれをとっても構わないが、この人的鎧の速度はいかなるものかという情報はない。考え得るかぎりでは、先ほどと同じ「早いタイプ」だろう。あの距離をこちらより早く移動するために、重いグレネードを捨ててくるということは。
これは、ほとんど賭けのようなことになっちゃったなぁ。
「あなた、その自分の身体の文字の意味は知ってるのン?」
行うことを決めて口に出す。その人物は、約二秒間の間を置いて、口を開いた。
『自分たちの社が勝手につけたものだが、それが?』
「あ、やっぱり知らないんだ」
反応するかと思ったが、何の反応も得られなかった。まあ、当然か。
そんなことで動くのは、短気な子供くらいなものだろう。大人というものは、等しく興味のない対象に対しては非常に無関心であるからだ。
「俺もちょっと見た限りだから、正しく憶えているかは疑問だけど、それね」
言って、足元にそれを落とす。
落としたのは一つの缶。飲料の容器ほどの大きさのそれは、栓が抜け、そして地面に落下した時点で、その効力を発揮した。
『――っ』
鎧の内部から息を飲む音が聞こえる。
行われたのは網膜を焼切るほどの強烈な閃光。
人体はもとより、それはカメラのセンサーの視界をも潰すことが出来るほどの出力。
当然、それを落とした時点で俺は目を庇いながら目的の場所へと走り出している。
数十mを全力で走り抜き、ヤツとの位置が数十mを抜けた時点で、最低限の保身として、廃墟の陰に隠れる。
「全力疾走とか、したくなかったなあ」
疲れるし。
人的鎧の熱源センサーは半径五十m。しかし光源は多少の熱を持つ。そんな小さなものでセンサーを誤魔化すなどということはできないかもしれないが、それでもまあ、効果を期待することはしていいんじゃないか?
向こうの状況は分からない。気配を見ること数十秒。人的鎧なら、これだけの時間があれば一人の人間を確保することなど容易いはずだ。
さっきみたいに上から襲撃すればいい。
そうでなくてもいくらでも手はある。
まあ、とにかく。
「離れマスカ」
そう宣言し、廃墟の外を見たときに、それを確認した。
人的鎧。その白い人体を確認する。ヤツは俺から五十m、そこから真上に二十mの位置にある廃墟の頂上の壁に張り付いていた。
下界を見下ろす監察のように。
いわば、そこにいる異形を摂る蜘蛛のように。
およそ二十mの建物の側面に張り付いて、辺り全体を見回していた。
「――――っ」
そのあり方はすでに、人間のそれを超えている。
技術は生き物あり方を、それまでの常識からは逸脱させるが、これはあり得ない。
ヤツはセンサーに頼ることを放棄して、自らの視界によって俺発見する道を選んだのだ。
その時。
奴の頭ば、ぐるん、とこちらに向き直った。
行う動作はただ一つ、自らの足をもって全力で駆けるということでしかない。
路地から路地へ。建物を隔てて不規則な走行を繰り返す。
それを――、ヤツは。
「――うへ」
建物から建物へ、その側面を蹴りつけて移動し、高速で宙を舞ってきた。
地の利だとか、道順だとか、作戦だとか、そんなものなど、それの前には通じない。結局のところ、絶対的な速度には、人間の生身一つでは、どのような方法を取ろうと対抗できない。
銃弾がそうであるように。時の流れがそうであるように。
地上を走る俺と、空間そのものを駆けてくるアレとでは話にならない。
なので俺は、一つの工場に転がり込んだ。
門を潜り、その広大な敷地に入って行く。姿は恐らくアレには感知されていない。そういった、目視では見失う場所を選んで走ったのだ。
人的鎧が発する、巨大な起動音はすぐそこにまであるが、こちらの位置を特定することはできないだろう。