犬と獅子
その様子を見て、黒い竜巻の中にいる人型は、呆れたように肩を竦める。
『おまえ、それでオレが焦ると思ってんの? 知らねえよそんなもん。トチ狂った野郎のやることで出た犠牲者なんざ知ったことか。やりたければやれば? オレの動作に変更はねえぞ』
迷わず、一歩を踏み出す。本当に彼には迷いというものがないようだ。考えなしとは違う。ちっぽけな言い方だが、これが、彼の正義ということだ。
『きみの正義は、どういう種類かな』
『現れた公害を早急に排斥することだよ。それ以外に必要か? 正義なんざ』
無論、必要ではない。正義とは個人の正当の在り方である。他者から与えられたものでも、迎合するようなものでもない。
『程度も申し分ない。いいだろう。この問答は私の負けだな。――しかし』
グレネードのピンを抜き、真上に投げる。人的鎧の腕力で飛んだ重さ十五㎏の爆弾は、その重力を感じさせないような速度で上に向かって飛んでいく。
その爆弾を、あちらが眼で追う。
『こちらの勝ちは取らせていただく』
『Starry sky backfire field Ⅲ、Ⅳ』
加速する。
背中と腰が爆発する。
その加速は瞭然、二十mの距離なら瞬時に移動できる。
幾千の磁気を越えて黒い身体へ。
突き出すのは拳。現在こちらの武装は肉弾戦闘のみ。
『――――っ!』
突出した拳は向こうの手の平に掴まれる。速度によって強化した拳でもあちらには届かない。
一瞬の減速。そのすきを見逃さずに、あちらの磁石は主人を護ろうとこちらに接近してくる。
まるで磁気を落とした砂場のように。こちらの一点にそれは集まってくる。
通常ならば、この時点で終了。
しかし、この人物には興味が湧いた。
あと二分でいい。この人物のふざけた正義を試したくなった。
『Starry sky backfire field Ⅲ、Ⅳ』
再度、背中と腰が爆発する。爆風によって規則正しい渦を巻いていたマグネットが吹き飛ばされる。
数十m先まで飛ぶ肉体。ブレーキなどない。止まるのなら、地面との接触しかありえない。
白く平らな建設物の頭部へ着地する。肉体にはまだ数個の磁気が纏廻りついているが。それもあと一回の加速で振り切れる。
黒い人型の周りを飛んでいる黒い渦がこちらに群を作って向かってくる。
思考の余地はない。周りにはこちらが張り巡らせた糸の群。その足場が限られている。糸と糸を紡いて作ったそのフィールドは、一度踏み外せばこちらが絡み取られる。
目的の地点を目視。目標はあの黒い人型の背後。そこに到達する道のりは――。
ルートを決める。人的鎧に搭載されている自動検索システムなどという女々しいものは使えない。
運動性能を自動で決めてくれるというものだが。そんな物に頼っているようでは目の前のアレには通じない。そも、いちいち考えてから行動するようでは、あの性能にはどれだけの速度を持って走行したとしても対応される。
故にルートを決めたのは理に適った行為ではない。
反射的に、人体の恐怖心に従って、自身が通る上でもっとも安全な場所を瞬時に導き出しただけにすぎない。
動作の先を考えることは可能だが、運動そのものを思考することは不可能である。すべては、肉体と経験則に従った、その場の判断に委ねられる。
『Starry sky backfire field Ⅲ、Ⅳ』
爆破箇所は先ほどと同じ。目的の地点に向かって走行する。事実上、黒い嵐の中に飛び込む形になるが、人的鎧の防御面と科側面に終点を当てれば、そんなものは攻めにもならない。
第一、あれは攻撃を目的として操作しているものではない。敵の動作そのものを阻害し、停滞させるための磁気だ。電子機器ならその内部の金属に影響を与え、動く物体にまとわりつくことで、その速度を減衰させる。最終的には、まとわりついたものはその重力によって相手の動作を止める。
黒い霧を突き抜ける。攻撃はいい。センサーに認識されないのなら、相手の攪乱を目的として飛来する。
身体が悲鳴を上げる。当然だろう。人体に負担のかかる機能を、既に限界を超えて使用しているのだ。
本来であれば一度使っただけでも骨折を起こすものを連発すれば、人的鎧そのものを破壊されなくても、先にその中にある人体そのものが破損する。諸刃の剣、とは言うが。これは諸刃ではあるものの剣ではない。相手を傷つけられないものは、武器とはいえない。
既に肉体は限界だ。立っていられるのが不思議なほど。
それでも、人的鎧の補助によって辛うじて体を動かしている。
攪乱は二回。爆発の推進で加速したその動作は、連続で二回が限度だろう。それ以上は着地すらおぼつかなくなってしまう。向こうがあのような装備である以上、こちらは一度でも停止すれば勝負が決してしまう。
――なので、止まらないことにした。
『っ――、っぎ、――』
速度は速度のまま、一瞬で最高速度に達するのであれば、時間が経つと同時に停止するのは物理によって当然である。ならば、加速し続ければいい。そのスピードを、加速を栗枷して維持する。断続的に爆発を起こし、最速の一手を撃ち続ける。
そして、相手がこちらを見失った瞬間、その脳天に、加速したこちらの攻撃を加える。
『そこ、だな』
相手の位置を確認する。黒いそれらはこちらのセンサーをも阻害する。しかし条件は同じだ。こちらも、スラムから持って来た断熱液で外装の熱を絶っている。爆発によって外装の熱を抑えることは難しいが、しかし、条件としては同じなはずだ。
センサーに映らない身体と、センサーが捕らえられない速度。それにどれだけの違いがあるだろう?
黒い磁気を突き抜けて、再度拳を振るう。こちらの体重は人的鎧の重さと相まって約百㎏ほどの重力をもっている。その重心を八割ほど拳に乗せて振り下ろす。
『――っ、――チ』
だが通じない。向こうの黒いものは容易にこちらの拳を受け止める。すべての衝撃が黒い躰を突き抜け、足元の白い建設物に伝道する。ばぎり、という無機物が壊れる音を聞いた。場所はいわずもがな、黒い人的鎧の足元から。
受け止められた拳が掴まれる。その一瞬で、こちらの肉体は宙に投げ出された。
『悪いんだが』宙に浮いた瞬間、声がする。『見えてるよ』
向こうの拳が振り下ろされる。衝撃は右の頬。空中にあるこちらの身体を、正確に撃ち抜いてくる。痛みはないが、脳が揺らされる。そこまで大きなインパクトではない。正確に衝撃を伝えるための、そしてこちらが態勢を整えるのを防ぐための一撃だろう。
地面に肉体が接触する。その瞬間、上部に赤い熱をもったものが見えた。
『――ジ、く』
体を回す。そうして赤熱化した刀身を躱すと、地面に足をついて身を立て直す。
そこには、近づいたこちらを切断するための、高出力で熱を帯びた剣を持った黒い人物がそこにいた。
『間合いに入ったな。サムライなら断頭の距離だ』
私と向こうの距離は想定三メートル。……確かに、この距離では少し上体と腕を工夫すれば、最適の角度で首を刎ねられるだろう。
人的鎧ならば、それこそ瞬く間に。




