見えないもの真っ黒いもの
部屋を後にし、建設物から地上に出ると、未だに晴天が続いている空が見えた。すでに夕方どころか夜になっていても不思議ではないが、これはキカク地域の上空を飛んでいる無人飛行物体が作り出している風景と見ていいのだろう。
何か身体が重い。人的鎧を纏っているからとかそういった理由ではない。
思えばスラムを出てから満足な休息を取れたのは先ほどの部屋の中では始めてか。適度なお休みを経て急に体を動かしたもんだから、そりゃあ身体が重くって当然である。
ついでに、この肉体の重みは、これだけの労力を支払ったにもかかわらず、こちらへの報酬は一切発生しない、という現状についての影響でもある。
さっさと終わらせよう、と意気込み、目の前にある白い壁を自身の跳躍のために蹴りつける。そのまま聴覚にもう一方の白い建築物へ。
このような運動はしたことがなかったため不慣れだが、しかしやりかたは分かった。
先ほどのおにーさんとにーさんの動きを見て大方学習した。壁を口語に蹴りながら上に向かうためには、その態勢を蹴る壁に対して整えなければならない。着地を足の裏にし、山なりに飛んで若干を落下し、自身の足が自身より下にくるように配置する。
『――ん、よし』
ぴょんぴょん移動し、ようやくキカクの建設物の上部に昇ることが出来た。
初心者丸出しだが、まあそうなのだから仕方がない。
建設物の上から見える景色は。等しく白い丘だった。人工物の塊である地面は、その地平線までその建物と道で作られている。
果てしない、というよりかはどうしようもない、といった方が近い。常人が見れば、それはどうしようもないほどつまらない景色であったことだろう。
何しろ何もないのだ。人の目を肥やすために、これほど貧相な景色もない。変わらない海の写真を延々と見せられているようなものだ。
そして、その向こう、一直線にこちらへ移動してくる、黒い犬貌をした人型が走ってくる光景を視野に入れる。
『あー、くそ。ここ、あのにーさんの真正面じゃねえかよ』
正直あんまり来てほしくはなかったのだが。だってあんなの、真正面からやりあえば話にならないどころか追いかけっこにもならないなんいてことは少し考えれば分かる。
向こうとの距離はあっという間に二百m。マジのロードランナーだアレ。人間大のものがアレだけのスピードを持つという時点で十分異常である。しかも走り方は清々しいほどきれいな持久走フォーム。というか、あれはもう走るというよりは飛んでいるに近い。器用に建物から建物の溝を飛んだり跨いだりしながら接近してくる。
『はい、ストーップ』
そんなことを言って、両腕を上げてみる。馬鹿丸出しである。そも、あれだけのスピードで走っているものに、空気との摩擦で周りの音なんて聞こえないに決まっているのだ。
衝突とかやめてほしいなぁなどという保身全開の思考を持ちつつ、顔が明確に見えた時点でさっさと避けようと決める。
だってほら、ただしい安全運転は、足を使うヒトなら心得ておかないといけないものでしょ? 人間との正面衝突で賠償金やら処罰になるかどうかは疑問だが。
まあ、どう考えても二百kは超えている物量スピードが交通法に引っかからない訳がない。
人間に轢かれて死亡って、なんだそのスター状態。
向こうの黒い人型が、こちらに気が付いたことを確認する。
そうするな否や、白い建物から足を離す。行ってしまえば跳躍である。足の裏にスラスターでもあるではないというくらいの、巨大な二十mほどの跳躍。晴天に晒された黒い人型は。空中で一回転しながら自身の背中に就いていた一本の剣を取り外す。
そのまま回転しながら落ちてくる。片手には人的鎧すら切断できる熱刀持ち。もの凄い回転である。ぐるぐると回転、熱刀はその熱を待機で撒き散らし、残光は輪を描く。
そして案の定、その状態で俺の真上に落ちてきやがった。
『あっぶねー!』
白い地面に数十m上から叩き付けられる灼熱の刃。
当然、俺はそれが到達する時には二十mほど後ろに下がっている。といってもぎりぎりだが。この場合、ひと飛びで二十mを移動した、と言った方が適切である。
白い建築物の頭に剣を撮り下ろした黒い人物は、振り下ろした先に対象がいないことを確かめると、刀身まで突き刺さったその剣を建物から引き抜いた。あれだけの距離から落下して、なぜ折れていないのかが不思議なところ。
ゆっくりと、二十m先からこちらを見てくる黒い人型。それは、近くで見れば見るほど異様な外装だった。黒い外見が、という意味ではない。その人間から離れたカタチそのものが、である。
『や。どもども』
とりあえずで手を挙げてみる。
対して向こうは、しばらく首をひねった後、
『あ。あー……もしかしてあれか。あのお嬢さんと一緒にいた方?』
と言ってくれた。
テンション低!
とても空中アクロバティックを披露した人物とは思えないくらいの反応である。
『ふーん。ここに出て来たってことは、あのお嬢さんも近くにいるってことでおけ?』
『かもね。にーさんは、あの時テーザー銃使われて失神した方でおけ?』
『ダル。この状態でこの地域の中から探せってか』
『別にできなくはないデショ。そもそも熱源センサー、なんてものを搭載している時点で、男女の見分けができるわけダシ?』
『そーいうおまえは? わざわざここに来て何しにきたんだよ』
何しに、と言われると言葉がない。
一体何しに出て来たのか?
『――まあ、理由が色々ありまして。保身のような、囮のような、嫌われる目的のような、借金の踏み倒しのような、疫病神からの逃走なような?』
『色々大変だね』
『マジで大変デスヨ。しかも、こんなに頑張ってるのにびた一文でやしないんだからヤんなっちゃう。誰かタスケテくれませんかねぇ?』
『悪いけど俺は助ける人間じゃないんで、その点は善良な市民サマにでも頼めば?』
『へえ、じゃあにーさんは一体なんのヒトなの?』
『知るかよそんなもん』
言って、彼は自身の手に持った熱刀のスイッチを切った。
『少なくとも正義の味方とか、義理のために動くとか、仲間が大事とかそんなじゃない。それにそんな仕事のやり方疲れるし。あ、それとだが』
彼は、自身の腕をぶらんと下げ、視界はこちらに、態勢は異常なほど脱力したものに変わる。
『異物の悔恨をいちいち訊くような人種でもないから、その点はご愛嬌』
瞬間、白い視界は黒に包まれた。
『――は?』
不可思議から声を出す。視界が消えた。目の前の純白の丘も、その一点に立つ黒い人型も存在しない。
ただ、目の前には黒い視界が存在するのみ。聞き間違いか、近くでなにか大量の虫の羽音のようなものが聞こえる。
考えられることは幾つかある。
①視界情報をハックされた。
これならば人的鎧の視界を暗黒に変えられる。もっとも何の感傷もなく、視覚情報のみをシャットさせる機能だとしても、身体の自由が訊いてしまうのならば、センサーは動いているのでまったく意味はない。なのでこれは除外。
②既に死んでいる。故にこれは死後の世界である。
面白くもない馬鹿みたいな冗談であるためこれも除外。
③現在、視界の前を何か異常に巨大なモノが存在するため、それによって視覚情報を紛失している。
うん。これなら少しは現実的だ。問題はそれだけの質量をこの平野やからどうやって持ってきたか、ということだけなのだが、
しばらくすると、視界の隅に白い隙間のようなものが見えた。
そこでようやく認識する。この黒い視界は、モニタの不具合でも俺が死んでいるわけでもない。ましてや巨大な何かでもない。逆だ。俺がその中に入っている。
そうして、視界の暗黒がせわしなく動いていることを確認する。起動は右から左へ。左から右へ。上から下へ。下から上へ。すべての方向を高速で何かが動き回っている。




