良くない返答
『はえ?』
向こうの人物の間抜けな声が上がる。
ハツカは、その張り巡らされた数々のワイヤーを、引っかかることなく、むしろ足場として糸の中を這って来たのである。
それこそ、自身のテリトリーを自在に這う蜘蛛のように、最強の人的鎧であるformalは糸を足場として用いながら、糸の群をすり抜けていく。
糸といえど、所詮は直線でしかない。罠として機能させる以上、そして張る以上、その携帯は等しくぴんと張った直線である必要がある。
formalは三百六十度の視覚情報をもつ人的鎧だ。ならば、片方の建物から伸びる糸の位置を把握すれば、それは等しく存在の箇所とその用途で張られたものなのかというのは簡単に把握できる。
例え、足場に用いようとして絡まるように計算して張られたものであったとしても、その邪魔糸を見つけ出し、彼の持つ熱刀で溶解できる。強度を持つ化学鉄も、極度の熱には溶けざるを得ない。
『――て、マジで?』
向こうで余裕をこいていた獅子に向かい、ハツカは鉄線から飛んで熱刀を振るう。
刀の間合いに向こうが逃げたことで、熱刀の一刀は空振りに終わる。
過ぎ去った刀身から熱が残光を残し、大気を焼く。
その様子を安全な位置に移動した彼――アマカワは首を傾げて道の中心に立っていた。
『あー、うん。なんて言うか、おにーさん本当に人間カイ?』
そんなこと、コンピューターにだって出来やしないゾ、と彼は電子音に変換された声でまたふざけたことを言う
『いや驚いた、これがトップランカーってか。嫌だね、できればもう関わりにはなりたくない。こんなん、人的鎧の性能じゃないジャナイ。中に入ってる人の性能じゃないのヨ』
そんな、理不尽な悪態を吐きながら、彼は目の前にいるハツカを凝視した。
『――で、おにーさんは一体、何を迷ってるワケヨ』
その発言に、ハツカは驚愕する。この少年、ハツカの顔を見たこともないくせに、全身を包む鎧から彼の心境を読み取ったのである。それも、十分にも満たない短時間で。
『迷い?』
『有るデショ。どうかな、俺でよければ、相談役くらいにはなってあげられるんだが』
急に神妙な口調になって、その獅子は言う。
『おにーさん、きみはキカク地域の現状に不満を持っているんじゃないか?』
『…………』
その声には確信が含まれている。――何て嫌な声だ。他者から自身のことを明確に言い当てられるほど、嫌なものはない。
『話をする気はないって? さすが、従順なキカクのお役人さんはする態度が違うネ。でもきみの確執は身に余るんじゃないかな。その苦悩、若いヒトによくありがちな、自分の問題を巨大なものに想定する行為だよ。替えようも打開もできない癖に、それを問題として持ち上げて自信を苦しませるマゾ行為。違う? だってきみの身振り、全部が全部迷ってるっポイんだもん。さっきの糸くぐりは除外するけど、上を走っていた時は、なーんかやることが決められなくてキョドってる子供っぽかった』
『だから――』
どうした――と、眼の前の白獅子に急速に接近し、熱刀を振るう。
しかし、その腕は途中で停止した。
『――!』
見れば、振り上げた腕の先に、細い糸のようなものが複数絡まっている。糸から逃れようとするが、その行為は他の糸を余計に身に纏う結果になるだけだった。
『ほら、キョドってる。さっきのきみならそんなもんに引っかからなかったよ。いやよくないな。自分の性能を生かせてない。持ち駒にいいのがあるのに持ち負けするみたいじゃない』
『俺は――』
『ん?』
『俺は、この世界が嫌いだ』
その言葉は、正真正銘、ハツカと呼ばれる少年の吐露だった。
『キカクもスラムも、委員会も、それ以外の人間も。そのフィールドにいるあらゆる人間の動向が、嫌いで仕方がない。キカク地域のトップランカー。それが一体どれだけの意味がある。俺は、人間としてこの仕事に就いているんだ。キカクの体のいい殺人者じゃない。キカクに逆らったら排除しろ。こちらの命令だけをきいていればいい。本当にそんなものか? 進化した技術の中にいる人間というのは、こんなに人間に辛いシステムなのか? だったら』
邪魔に思われていた彼女の方が真っ当じゃないか、と彼は吐露した。
『彼女? 彼女って誰よ。きみの?』
『オリガ――カナエだ』
少年は、言いにくそうにその名前を口にする。死者の名前だからではない。彼自身が、彼女を肯定しているという事実を、彼が認めたくなかったからだ。
『唯一、キカクの態勢に意を唱えた彼女こそが、人間のあるべき姿だったはずだ。人間は人間に対して、啓蒙という、その一点にあるべきなんじゃないのか。それこそ、教育というものは、人間を――他人を理解するために行われるべきなんじゃないのか。それがどうして、他人を排斥する排他的なものになる』
少年の口から唱えたものは『怒り』だった。抑圧されたその自我。彼が、世間というものの無巡査に気が付いたという、その痛みが、彼の言葉となって吐き出される。
『俺は、この組織に入れば、キカクの態勢を変えられるものだと思っていた。だが変えることは敵わなかった。俺が出来たことと言えば、迎合だった。決定には意を唱えず、口を継ぐんで、ただ行うことを行うだけの人間。何が治安委員会だ。何がProcessingだ。何がcleanだ! もっとも処理と正さねばならないのは――他でもない自分達じゃないか』
それはなんの悔恨なのか。彼は自身の立場と、その周りの現状にも失望している。
そして、彼がもっとも後悔しているのは、その中心にいる人物。
『そんな、無意識の保身のために、俺達は彼女を見殺しにしたのか……!』
そう、その一点だ。彼が憤っている理由は。
そしてその言葉を一字一句聞き取った白い獅子の鎧に乗り込んだ人物は、白い建物に寄り掛かって一言。
『ふーん、そうなんだ。つまんね』
『――は?』
ハツカは驚愕する。目の前にいる少年はそういった。
『なんというかね、悩みがちっさい。羨ましいワ。そんなくだらねえ悩みしかないのは、きみが健全で痛い少年な証拠デス。いやよかったワ。途中、なーんかヘンな子なんじゃないかと思っちゃったよ』
こいつ、今なんといった? 小さい? 誰にも理解されず、その努力と能力が人間によって踏みにじられた彼女と、その周囲であるキカクをその程度だと?
『あのさあ、死んだヒトのことをいつまでも考えてどうなるの? 人間はいつか必ず死にますよ? 要は大衆の中の一人が亡くなっただけデショ。それに、キカクのことを嘆いているようだけど、どーなのそれ。なんか問題がありますかね?』
――こいつ。
『おまえには分からないに決まっている。キカクにいない、ただの浮遊者のおまえには』
『そりゃ分かんないデスヨ。あ、あと一つ訂正しておくけど、きみさっき他人を理解するとか言ったよね。アレ無理だから。ニンゲンって定義を持ち出すなら、ニンゲンにニンゲンは理解できないのデス』
ハツカは驚愕する。
こいつ、一体何を言っている?
『他人の考えに口を出す、なんて馬鹿なことしたくないんだけど。ま、これは俺の持論なので、無視するなら無視しなさい。きみの口調を真似るならね、人間? っての? それが変えることが出来るのは、等しく自分自身だけだよ。個人が体制とか他人とかの変革を行うことはできない。だって、人間が操作可能なのは、自分一人なわけだろう? きみも、そのオリガさんもやってることが不毛なの。本当に他人を変えたいなら、その個人が自分自身を極限まで殺す状況にでもしなきゃ、人間は変わらんデスヨ。それを憂うのも、俺とは違うね』
なんだ、なんなのだこの男は。
『――お、まえ』
『変えるって言うなら、まずは自分を変えなきゃね。周りなんてそんな簡単に変わってくれないよ。それを言えば、教育で人間が変わるなんてこともあり得ない。くだらない見識と、それを絶対視するような馬鹿な価値観が引っ付くだけで、本質的には何も変わらないよ。どれだけ正しい教育を作ったとしても悪質な人間は出来上がるし、子供と大人の迫害なんていうのも変わらない。だってそれが、本人の本質なんだ。替えようがないだろうそんなの。個人の本質は遺伝でもなければ影響でもない』
白い獅子は高らかに謳う。
『そう、人間の問題なんて言うのは、等しく原因なんてないんだ。あったとしても、それは既に人間の認識を超えている。だから考えるだけ無駄なんだよ。そんなの、変革を待ってたら自分が寿命で終わっちまう。変えるのは他者ではなく自分で、そして、自分がいつか死ぬそのときまでに何ができるかなんだ。そう考えれば、きみの「悩み」なんていうのは、ひどく悠長で、かなーり余裕のある人間が行うことなんじゃないの?』
それが単なる妄言だということは理解できる。
旧世代の人間の考え方だ。
他者との会合を絶対視された社会であったからこそ、他者からの断絶を目指したその言。他者をかまう必要があるのなら、そんなことよりも、まずは自分からだろう、という至極当たり前な一般論。
――その、一般論が、ハツカにはひどく気に障った。




