リトルピープルとの遭遇
そんなわけで、彼女がレントゲンを撮っている間、俺は病院の内部をぶらぶらすることになった。
病院の内部はレトロなもので、白い壁に白い天井という、いかにもな造形が成されている。地下とは思えないほど明るく、内部には図書施設や遊戯施設などが完備されていた。
まあ、ここの患者ではない俺は、なんだか場違いな気がして、その辺をうろうろとすることになったのだが。
気晴らしくらいにはなるかと期待して、施設内部の図書館に入る。範囲はそこまで広くはない。どこにでもある、市の図書館という感じ。その所蔵されている本の群、その中でも文庫の一つを手に取り、中を開く。
詩集――『悪の華』。確か、『敵』という題だったか。
そこに書かれている文を確認し、自身の記憶力が正しかったことを確認する。やはり、あの人的鎧にペイントされていた文章はここからの引用だ。
ならば、その意図は何なのか。まさかただのカッコツケであれをしたわけではあるまい。あのペイントにだって、結構なお金がかかっているはずなのだ。
そこで、自分の脚に何かが当たっていることに気が付いた。
目を向けると、そこには十歳前後というような、中世的な顔をした子供がそこにいた。
髪は黒い麗しい長髪で、長さは腰の辺りを超えている。ここの患者なのか、その服装は患者が着ているような薄い緑いろの、ストレスを感じない工夫が成されたものだった。
「おにーちゃん、それに興味あるの?」
「ん? まあ」
「私にも見せてほしいな」
「ほいドウゾ」
子供はそれを受け取った後、その全文を読み上げた。声はしかし大きくはなく、適度な音量を持ってその場に拡散する。
「面白いね、これ」
「面白いの? ソレ」
「うん、面白いよ。だって、こんなものはつまらない人間なら書けないし」
見た目の割に嫌なことを言う。
「おにーちゃんは、ここの病院のこと知ってる?」
「さあ。ツレとして来たんで初めてだし。病院どころかその患者についても全然デス」
「なんでも、昔の教訓を生かして作られたところらしいよ、ここ」
「教訓? ナニソレ。何の教訓よ?」
「世界最悪の細菌事件。おにーちゃん、それくらいは知ってるでしょ?」
知っているも何もない。この日本どころか、それは世界中の教育においてまず記される事柄だ。というか、それを知っているかと訊かれている時点で、何か馬鹿にされている。
世界規模の細菌事件。それは数十年前に起こった、一つのコンピューターウィルスによる)テロ行為だった。
病原菌が世界を覆ったのではなく、既に世界を覆っていたネットワークそおものに、巨大なウィルスが蔓延したというだけ。通信の最も上位の部分に感染し、その下位となるプログラムそのものにも寄生し、果ては個々のコンピューター、あらゆる電子機器に感染し、そのシステムをか書き換え破壊する。
これによって、世界中のシステムが、約三か月間に渡って停止した。
その時代は、いわゆる技術革新がなされており、人類のシステムの大半がコンピューターに渡されようという瀬戸際だった。
故に寄り掛かろうとしていたシステムそのものを失い、人類はあらゆる基準を紛失。記録も方針も行動でさえ、今までの様には行かなくなった。モノレールの暴走。飛行機の墜落。教育媒体の崩壊。モラルの欠如などが続けざまに行われた結果、世界は一瞬にして混乱の中へ叩き落された。
まあ、言葉にしてみると地味極まりないクソ事件ではあるのだが。
それでも世の中というか、世間様を真っ青にさせるくらいの威力があったことは確かだ。
「――で、その教訓を生かす? ドユコト?」
「その病気でネットに行けなくなっちゃって、パソコンは故障しちゃったから、それじゃないのを作ったんだって」
子供の言い方は分かり憎いことこの上ないが、要するに、世界最悪の細菌を受けた機材は通信を行う限りその危機にも乗り移り、感染することができた。この医院の機材はどの外部の危機ともつながっていない。ネットワーク的に完全な閉鎖空間では、外部からの侵入は、現実からではなくては不可能だ、ということだろう。
当時、最悪の細菌事件の医療機関のコンピューターは外部からの通信から入り込んだコンピューターウィルスに感染し、患者を生かしている装置すべてが停止、多くの犠牲者を出したと聞いたことがある。つまりこの病院は、それを生かして作られたものなのだろう。
「で、何の用なのヨ、きみ」
「おにーちゃんがここの人っぽくなかったから」
つまりは、ただ話しかけたダケデスカ。
「あときみ、女の子っぽく喋ってるけど、男の子でしょ」
「あ、なんで分かったの? 大抵の人は騙されるのに」
「声の質。まあ、俺にしか分からないかもしれないケド。なんとなく分かっちまうのデス」
「声かぁ。そっか」
少年はけらけらと笑って、詩集を差し出してくる。受け取って、口を開く。
「――で、きみは誰ヨ」
「ここの患者だよ。私――と、もういいんだ。僕はここで、ちょっとした治療中」
「ふーん。早く治るといいワネ」
興味もない声を出す。その様子を見て、綺麗な顔をした少年はまた笑った。
「おにーちゃんの連れ人は、そう簡単には治らないと思うけどね」
「なんだ、知ってたのか」
「ここに来る患者のことは大体かな。あの人、車椅子に乗ってたから、下半身不随かなって」
このガキ難しい言葉をお知りで。
「カモネェ。そのたっかい治療費を払わされるのは俺なんだけどね」
「おにーちゃん、あの人の恋人か何か?」
「いんや、他人ダヨ。まったく、一切、なんの関わりもない赤の他人なのデス。だからまあ、あのヒトからどうやって逃げようカシラって、考えてるところなんだけど」
「で、思いつかないから、ここに現実逃避に来た?」
「――はあん」
そこで、俺は足元に立っている少年へ、初めてまじまじと目を向けた。
「きみ、子供じゃないでしょう」
言われた瞬間、少年は破顔する。
「オーガニックヒューマノイド? あ、でも脳がそんなに小さいわけがないか。見た目十歳だし。んー、何、脳を十歳に戻す技術でも確立したの?」
「違う違う。いくら医療が進歩しても、そこまで意味の分からないことはしないよ。僕のことは訊かないでくれるとありがたいけど、どうかな。おにーちゃん」
「…………。オッケイ。ワカリマシタ。きみのことは詮索しないよ知りたくもないし」
キシシ、と少年はそんな意地の悪そうな笑い方をした。




