支度は諸々しく
「や、おはようさんデス」
外に出ると、スラムの顔見知りである精神科医に出会った。彼はいそいそと何か自身の店の周りを数々の危機や箱を持ちより、それを地下の中に投げ入れている。
「どったんです?」
彼は俺のことを一秒ほど視野に収めた後、すぐに自身の作業に取り掛かってしまった。
これは、明確な無視という奴だろう。
「無視は傷つくナー」
「アマカワ」
彼は、俺の名前を呼ぶ。
「おまえ、ここに今から何が来るのか知らないのかよ」
「ああ、キカクのお客さんでショ?」
俺の返答を聞いてから、彼は何か嫌なものを見るような目で俺を見た。
「つーことは、だろうが」
「今から検問が始まるんで、その前に拙いものはみんな地下に隠しちゃおう。イッツ証拠隠滅?」
それ以上、彼は俺に対してその話題については何も言ってはこなかった。
「人的鎧が二体導入されるらしいっすヨ」
「……おまえ、自分が信じてないことを口にするなよ」
そう、報道では二つ、となっていたが、本来はもっと大がかりな作業成ることだろう。
キカクの上層部の人間の真の目的は、スラム街などと言う不確定な人間の抹殺にあるのである。大昔の秘密裁判みたいに、大した検問もなしにさっさと刑を執行。そしてその情報は外部には絶対に漏らさない、ということに他ならない。
「おれは地下のモジュールに非難する。おまえはついてくんなよ」
「行かないっすよ。ていうか、そんなところに行ったら生き埋めにされかねないし」
「…………」
彼は黙ったまま、その作業を続けた。もはや俺に構っている暇はないらしい。
彼がせっせと自身の身の錆を隠している間。俺はじっとその様子を観察しながら、上に見える空を凝視していた。
「なあ」
作業に区切りがついたところで、彼は俺に口を開いた。
「ここって、いつもこんなんなのかよ」
その質問は、少なからず「おれ、このままここから逃げるぞ」という台詞が含まれているように感じられた。
彼はこの廃墟の街に住んでいる人間としては新入りに当たる。こういったごたごたには初めて出会うのだろうし、そういった状況に慣れていたわけでもない。
なにせ今まではキカクの中で儲からない前時代的なカウンセラーなどを生業にしていた男だ。その年齢には見合わず、こういった暴力行為には経験がないに違いはない。
「たまぁーに、デスヨ。いっつもいっつもこんなことが起こってちゃ、どうしようもないでショ」
そうかよ、といって彼はマンホールの中に最後の荷物を投げ入れた。
「でもまあ、大丈夫なのデス」
「あ?」
「このスラムには、こういったことをなんとかしてくれる人がいくらかいるんで、大丈夫なのデス。Hero的な? そういうモノ好きがいますんでね。心配はないっス」
「馬鹿いってんな」
そう言って、彼自身がマンホールの中へ入って行く。
瞬間――。
どごん、と爆弾でも起爆したかのような轟音と震動が、廃墟の街を駆け巡った。
見れば、近くの方から巨大な煙が上がっている。
「こりゃ、穏健にことを運ぶのは嘘みたいダネ」
マンホールに入った彼はその状況をみて絶句したようだ。その顔は信じられないものを直視たように引きつっている。
「ありゃ対物グレネードだ。人間に使う奴の威力を三倍から四倍くらいに挙げたヤツ。建物も人も、全部潰すつもりカナ。はやく逃げ方がいいカモネ」
「おまえは?」
「ぼちぼち。ドクター、俺達はね、自分に被害が降りかからない以上は、こんなことで慌てたりしないんだよ」
彼は俺になにか侮蔑的な視線を送った後、そのマンホールの中に隠れて行った。
手際がいい。以前にもこういった避難経路を確保するような状況にあったのかもしれない。主に公的な機関ではなく、おそらくは個人の恨みなんかを買っちゃって。
――余計な詮索かな。
煙と爆音の響く方に向き直る。そこにはすでに幾多の瓦礫と粉塵が、その場を支配している。幾つか建物を隔ててはいるが、向こうにいるモノにしてみれば俺を見つけるなどということは容易だろう。
「まあ、こんな時のために、準備もしているわけですし」
言って、システムを起動する。
脳内に肉体の視点から、廃墟に設置された数多の監視カメラの視点へ。
衛星システムから対象の位置情報を出力。現在自身が存在する場所からの演算を開始。
無線可。システムからシステムへ飛び移る。無数の視点は、やがて真っ白い、幾何学的な人型の形をしたそれらを映し出した。
人的鎧。
人体が身に纏う、新しい武装の形。
「み―つけた。距離三百。で、もう一体が五百。――近すぎるな。このままじゃ三十秒も経たずに見つかる」
衛星通信から向こうとこちらの距離はつかめている。そして人的鎧の速度は、百mをわずか三秒ほどで走破できるだけの最高速度を持つ。
生身の人間では、到底逃げることができない数値だが。
中でも『観える』のはその二体だけだ。ネットの情報が的確とも思えないが、しかし、現状はその二名の人的鎧を纏った人間をどうにかするべきだろう。
「そんじゃま、行きマスカ」




