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魔俠伝  作者: 自嘲亭
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終章・魔俠ここに誕生す(その3)

 雪華は今宵も黒髪を赤い紐で結わえたポニーテールにしている。黒装束は、例によって申し訳程度に胸と腰を覆ったものだ。その雪華が、まばゆい光の中で、右手を高々と掲げてみせる。その右手には、浜尾代議士の生首がつかまれている。浜尾の首の斬り口からは、まだ鮮血が滴り落ちている。

「ああああああッ! 先生、先生ッ!」竜宮寺大助が半狂乱で絶叫する。「そんなバカな。何てことを。何てことだ。これは夢だ…。ギャッ」

 雪華が浜尾の首を放り投げたのだ。首はクルクル回転し、グチャッと落ちて、そのまま無様にゴロゴロと、大階段を転げ落ちていった。

「死にたくなけりゃ、失せな」雪華は口辺にうっすら酷薄な笑みを浮かべて啖呵を切る。「残った奴は、覚悟しな!」

「クソッ、あの女を殺せ!」

 わらわらと四方八方から現れた手下どもにそう命ずると、すでに悲鳴を上げて逃げ惑う来賓客に紛れて、竜宮寺大助はまたもや姿を隠そうとした。その前に、立ちはだかった人影があった。

「だ、誰だ」竜宮寺大助はギョッとして叫ぶ。「あ、あんたは誰だ」

「初めまして」相手はニヤリと笑う。「私は東部第七憲兵隊隊長、橘藤伊周中佐」

「だ、第七…」竜宮寺大助は絶句した。「今、あいにく取り込み中でね。あ、後にしてくれ」

「そういう訳にはいかん」橘藤は細巻煙草とライターを取り出し、火を点ける。「君に重要な連絡をしに来た。竜宮寺大助君。…内務省特命第69号に基づき、君を処理する」

「な、内務省? 処理? 何のことだ」

 さすがの竜宮寺大助も困惑して訊いたが、次の瞬間、その表情にわずかな変化が現れたのを橘藤は見逃さず、とっさに頭を下げた。その橘藤の頭のわずか上を、ブーンとうなりを上げて、煌めくものが通過した。中国の青龍刀だった。それを持っているのは、ヒヒのような面にX字状の傷のある男だった。橘藤は持っていたライターの着火ドラムを押した。弾はヒヒ蔵の眉間に当たったが、ビクともしない。

「クソッ。こいつも蘇った奴か」

 橘藤はライターを投げ捨てた。改造ライターには弾は一発しか入っていない。あくまで護身用の武器だ。懐中から拳銃を抜き、一発、二発と撃ったが、それが当たってもやはりヒヒ蔵はビクともしない。

「アッ、隊長殿ッ」

 そう叫んで、足を引きずりつつ駆けて来たのは島田だった。島田はヒヒ蔵に向けて拳銃をパンパン撃つ。

「島田、危ないッ」

 橘藤は叫んだが、すでに遅かった。ヒヒ蔵は島田の頭上に青龍刀を振り下ろした。たちまち島田は縦に真っ二つになった。悼んでいるヒマはない。橘藤は気配を感じた。竜宮寺大助がこっそり舞台裏へ逃げ込もうとしていた。しかし頭上には再びヒヒ蔵の青龍刀が煌めいていて、そちらに構う間がない。

 と、射撃音が続けて二発。「きゃっ」という悲鳴と共に、竜宮寺大助が倒れた。同時に、別の方から「お兄ちゃん」と云う声もした。橘藤は急いで双方を見た。射撃音の方は、丹波だった。丹波が拳銃を撃って、竜宮寺大助の両方の太腿を撃ち抜いたのだ。声の主は、ヒヒ蔵に駆け寄って行く派手な着物姿の女だった。女…ヘビ吉はそれまでの無表情がウソのような満面の笑顔で、ヒヒ蔵に駆け寄って行く。だがヘビ吉がヒヒ蔵に抱きつこうとした瞬間、青龍刀は橘藤から向きを変えて煌めき、ヘビ吉の首は宙高く舞い上がっていた。やがてグシャッと地に落ちたその首からは女物のカツラが取れ、嬉しそうな表情のまま、口からは二股に分かれた舌がダランと出ていた。

「すまん。助かった」

 橘藤が丹波に云うと、

「別に貴様を助けた訳じゃない。それより、伏せていろ」

 そう云って丹波は地に伏せた。橘藤は怪訝な顔をしながらも、その言に従う。丹波は向こうに平之助の姿を認めると、「平之助さん、伏せるんだ」と大声で呼ばわった。

 平之助は長脇差を握って、無表情ながら憑かれたようなまなざしで、警察署長の船村と、城東会の工藤、そして新村長の村岡に、詰め寄っていた。船村は拳銃を手にし、両腕のない工藤と村岡は丸腰で、その後ろでガタガタ震えている。しかし船村の拳銃を持つ手も震えていて、ちっとも狙いが定まらない。平之助は、長脇差を右に振りかぶった。と、突然その刀が折れ、破片が平之助の左頬を傷つけた。

「平之助さん、あなたは人を殺しては駄目!」

 平之助はハッとして、その親愛なる声のした方…大階段の上を見た。雪華は右腕を構え、平之助の長脇差に目掛けて投げて戻って来た「飛ばし斬り」を受けたところだった。雪華は続けざまに別の方に左右の腕を振り出しつつ、平之助に向かって、叫んだ。

「あなたにはバリツがあるじゃないの」

 正気を取り戻した平之助は力強くうなずくと、船村に向かい、「やあっ」と気合の一声と共に、バリツ最高の技、「気合投げ」を披露した。すると、船村の身体はフワリと宙に舞い上がった。これは魔力などではなく、合気道同様「気」によって人を投げるものだ。その舞い上がった船村の身体に、雪華が今飛ばした左右からの「飛ばし斬り」がまともに炸裂した。船村の身体はたちまち空中で縦横に切断された。

「平之助さん、伏せろ」

 再びの丹波の声に平之助はハッとして慌てて伏せる。船村を斬った「飛ばし斬り」は今度はそこに呆然と突っ立ったままの工藤と村岡の首を次々に切断した。そしてそのまま、それは雪華の両腕へと、戻ってゆく。

 雪華はすかさず身構えると、大階段の最上段で、下から駆け上がって来る敵を、次々斬り倒してゆく。左右の腕を縦横に振るって、そこに屍の山を次々と築き上げていた。しかし敵は次から次から、下から駆け上がって来る。

 雪華は、右腕を左耳の後ろまで引くと、一気に前へと投げ出した。たちまち、下から駆け上がって来た連中の胴体が次々真っ二つに切断されてゆき、大階段が血潮に染まった。飛ばした念の刃を右腕に受けると、すかさず左腕を繰り出す。なおも懲りずに駆け上がって来る連中の首が、次々に飛んでゆく。

 さらに雪華は身を屈める。そこから、両腕を大きく開いて振ると、大階段の下で右往左往していた着飾った有閑階級の俗物どもが、次々と首やら胴体やらを切断されてなぎ倒されてゆく。雪華は全身で、己の放ったものを受け止める。その衝撃が強過ぎて、雪華の身体はクルリと半回転し、その身体を覆っていたものすべてが吹っ飛んで全裸となった。だが雪華はそれを恥じる風など微塵もなく、むしろその顔には、凄艶な微笑みさえ浮かんでいるのだった。

 地に伏せてこの凄絶な呆然と見やっていた平之助と橘藤は、しかしさらに凄絶無比の光景を目にして絶句した。すなわち、半回転して全裸となった雪華の背に、極彩色の悲母観音を見たのだ。

 雪華の全身は汗まみれであり、肩で息をしている。しかしまだ見たところ、倒した敵はその場の半分ほど。まだ半分残っている。雪華は顎に滴る浴びた血とも、汗ともつかぬ紅いものを手の甲で拭うとニヤリと不敵な笑みを浮かべる。雪華は再び前屈みになり、そこから大きく両腕を広げ、全身を使って、渾身の力をもって、溜めた念を前へと投げ出す。その姿は、まるでこの殺戮という名の巨大交響楽(シンフォニー)を指揮する美しくも恐ろしい、全裸の指揮者の如きであった…。

 雪華は戻ってきた力を受け、再び力を溜めてそれを送り出す。すると今度は、ダヴィデ像の首とペニスが切断され、さらにはミロのヴィーナスの胴体も切断した。そしてその向こうのヴェルサイユ宮殿風の建物を横に切断して行った。転げ落ちたダヴィデ像の首の下にいた不幸な人々がその下敷きになって死んだ。

 青龍刀を振るうヒヒ蔵も胴体を切断された。しかしその身体はすぐまた元に戻り、何事もなかったかのように、敵も味方も関係なく、再び青龍刀を振るって斬り倒し始める。

 大江医師は、「雪緒、雪仁…」とうわごとのように呟き続けながら、虚ろなまなざしで、手にした拳銃を当たり構わず乱射し続けていた。が、やがて弾が切れ、怪訝な顔をして大江はなおも銃爪ひきがねを引く。

 雪華がハッとして、平之助が驚愕した時には遅かった。大江の首が綺麗にスッパリと切断されてしまった。だが次の瞬間、平之助はさらに驚愕した。一旦地に落ちた大江の首が、まるで映画フィルムの逆回しのように、また元の胴体に戻ったからだ。

「魔だ。魔物だ…」地に伏せたままの橘藤は、雪華の方を見やりつつニヤリと笑う。「…魔俠、だな。まさに…」

 雪華はなおも、その動作を止めようとはしない。丹波が立ち上がって雪華の方に向かって駆け出した。それを見て、平之助も立ち上がって頭を低く伏せながら、同じ方へと駆け出していた。死屍累々の山となり、血脂でべったりと紅く染まった階段を、二人は口々に「雪坊、もうやめろ」「雪ちゃん、もうやめるんだ」と叫びながら、駆け上がった。

 だが、もはや何かに憑かれたような血走ったまなざしの雪華は、両腕を振る仕草を止めない。眼下に見下ろすその場には、もはや動いている者の数の方が圧倒的に少ない。その雪華の腕のもう一振りで、その連中も全滅するは必至だ。

「平之助さん、水だ。水を持って来てくれ」

 丹波に云われて平之助はうなずき、踵を返す。丹波も取って返して、やがて二人ともバケツに一杯の水を抱えて戻って来た。

「いっせいのせ!」

 二人は掛け声を掛け合って、雪華の全身に向けて、バケツの水を思い切りぶちまけた。全身ずぶ濡れになった雪華の動きがハタと止まった。雪華はたった今目覚めたかのように目をパチクリしている。

「はっくしょん!」

 雪華は一つくしゃみをした。平之助はそこでハタと雪華が全裸であることを思い出し、顔を赤らめ、目を伏せた。そして慌てて、何か雪華の身体に掛けるものはないか目で探したが、その時にはもう、雪華はある方向に向かって、歩き出していた。その背中を見て、平之助は目を見張った。雪華の背中には、すでに悲母観音の姿はなく、紅蓮の炎に包まれ、ざっくりとその面を斬られた、般若に変じていた。炎般若を背負った雪華は、全裸のまま素足で、血まみれの大階段を、一歩一歩、下りて行く。 



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