そして少女は瞳を閉じる
少年の頬を涙が撫でる。
「緋萌?」
その呼び掛けに答えるものは既にその場には居なかった。
涙を袖で拭い、
静寂の中に呆然と立ち尽くしていた少年は何かを思い出したようにその屋上を後にした。
「院内は走らないでください!!患者さんにぶつかったら危ないでしょう!?」
白しかないその空間に
見慣れた顔の看護師さんが叫ぶ甲高い声がこだまする。
少年の耳にも聞こえていたがそれは敢えて聞こえていないフリをした。
走るスピードを緩めるつもりはない。
一刻も早く行かなくては間に合わなくなってしまう。
息が切れて酸素が取り込めない。
朦朧とした意識の中でたどり着いたそこは、病院の個室。
扉を開けてもまだ白ばかりが続くその部屋の中に、一点の黒を見つける。
艶やかなそれは長く伸ばした黒い髪。
その黒を辿って
愛しい人の寝顔を見つめる。
部屋の中に響き渡る音が、自身のなかにも響いている。
機械が発する酷く一定なその音は
少年の抱く空虚な幻想を叩き割り
それと同時に、彼に無惨な現実を叩き付けていた。
「緋萌」
酷く静かな声で彼は告げる。
「俺、助けられたかな?緋萌のこと・・・。」
少女はピクリとも動かない。
でも、それでも良かった。
ただ
どこかで聞いてくれている事だけを願っていた。
「忘れられるのは寂しいって?・・・忘れたくてももう忘れられないよ。
だから、安心して眠りな?」
走っているときに乾いてしまった頬がまた湿り気を帯びた。
目から落ちた滴が少女を濡らす。
いつか2人で見た映画を思い出した。
あの時は退屈で仕方がなかったが、今ならあの映画がとても魅力的に思えた。
一度死んでしまった人間も、恋人の流した涙で息を吹き返すのだから・・・。
でも、現実でそんな夢物語は起こり得ない。
一度魂を失った体は二度と元には戻らない。
それなら―――――
「緋萌?聞いてるか?
生きてる間に苦しんだ分、ゆっくり眠ってくれ。
もしまた目が覚めちゃった時には俺がいつでも探しに行ってやるから。」
少年はただ、
少女が安らかに眠る事を願い、その肢体をそっと抱き締めた。