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ぱん ぱん ぱん
音のする方を見ると、レノールさんが呆れた顔で手を叩いている。
「ほれほれ、ここには妾がいるというに、二人でいちゃいちゃしおってからに。まだ今後の事を話さねばなるまい?」
い、いちゃいちゃ!?
「いいいいい、いちゃいちゃなんてしなっ」
顔を真っ赤にしながら否定する。
しかし、そんな私をお構いなしにヴィスラヌさんはレノールさんに答える。
「そうだな。しかし、だいぶ夜も更けてきた。ルアも疲れているだろうし、詳しいことは明日にするか」
「そうじゃのぉ。まあ、色々あって混乱しとると思うが、あまり考え過ぎんようにの。ゆっくりおやすみ」
そういって微笑みながら私の頭をぽんぽんとたたく。
うう、その気持ちは嬉しいけど、考えすぎるなと言われても……
頭にはぐるぐると回る今日の出来事。
無事に卒業して次は夢のキャンパスライフ! って思ってたらそれは本当に夢になって……
実は婚約者がいてその人の元に永久就職! で、そしたらその人は魔界に住んでてなおかつ魔王で……
しかも私は人間じゃなくって魔族で――
あー! だめだ。今日は寝れそうにないっ。
ぐだぐたと考えていた頭の上に、そっと手のひらが載せられる。
するとさっきまでぐちゃぐちゃしていた頭の中がスーッとクリアになる。
そして次に襲ってくるのは睡魔。
ふと見上げると、ヴィスラヌさんがさっきの凶悪な笑顔とは真逆の優しい笑顔で私を見つめている。
「お休み、俺のお姫さま。よい夢を――」
ああ……
胸にこみ上げる懐かしい想い。
前にもあったきがする。懐かしさで不意に込み上げてくる涙。この感情は何?
私はそれをぐっと堪えると、一言「おやすみなさい」と言って瞳を閉じた。頬に一筋流れる冷たいものを感じながら――
「…………んっ」
眩しい……。瞼の裏に光を感じ、眩しさから身を捩り、布団をかぶる。
「もう、流亜ってば。いつまで寝ているの?もうとっくに朝ごはんの時間よ」
「うぅ~ん、あと5分……」
「だ~め、そう言っていつも起きないんだからっ! さっ、さっさと起きて魔王様に挨拶にいくわよ」
……うん?
魔王様?
挨拶?
「まったく、魔界生活1日目でお寝坊さんだなんてっ! 未来の旦那様を待たせるんじゃないの」
魔界?
未来の旦那様!?
そしてこの声は……
「お母さん!!??」
「ようやく起きたわね。おはよう流亜、今日も良い天気よ」
がばっと布団から起きあがり窓の方を見ると、お母さんがいつもと変わらぬ笑顔でカーテンを開けている所だった。
ただ、いつもと決定的に違うことがあった。それは……
「お、お、お母さん!? な、なんでそんなドレスみたいなの着てるの!? あとなんでここにいるの!!?」
「まぁまぁ、流亜ったら朝からそんなに大きな声をだして……血圧あがっちゃうわよ。あと『ドレスみたい』じゃなくてこれは立派なドレスよ。どう? 素敵でしょ」
そう言ってクルンと回るとシフォンドレスの裾もフワリと舞う。たしかに薄いパープルの色合いのドレスは母によく似合っていった。だが、しかし、質問には答えてもらっていない。
「確かに素敵……って、そうじゃなくって! な・ん・でここにいるの!?」
「もう、流亜ってば怒りっぽいんだから……ここにいるのは魔王様に呼ばれたからよぉ~」
「魔王様に……?」
魔王様というとヴィスラヌさんのことだ。そこでふと昨日の会話を思い出す。
「そうだ! ねえ、お母さんとお父さんも魔族って本当なの? あと私も……」
「ええ、そうよ。もちろん流亜も魔族よ。当たり前じゃない~」
あっさりと何事もないように肯定された。しかも当たり前ときたもんだ。
私は脱力して布団に突っ伏す。
「あらあら、どうしたの?」
「私、知らなかった。ずっと普通の人間だと思ってた」
布団に顔を埋めたまま力無く呟く。
「あらら、そうだったの~。でも魔族でも人間でもあまり変わらないわよ~。まぁ、ちょっと魔法が使えてー、ちょっと人よりも長生きできるけど」
問題ナシっとお母さんは言う。魔法が使えるってだけでも人間とかなりかけ離れてる気がする……
「さぁさっ、隣の部屋には魔王様がお待ちかねよ。ささっと着替えましょーね♪」
そういってパンパンと手を鳴らすとどこからともなく二人組のメイド服を来た若い女の子たちがやってきた。
二人とも私と同じくらいの年で可愛い顔立ちをしている。
が、耳が尖っており、肌に至っては水色だ。これもまた魔族という特色なのだろうか……深くは考えまい。
「リーシャ、ラナーシャ、後はお願いね。ルア、私は先に隣の部屋にいって待ってるから」
にこやかにそう言うと、手を振りながら隣の部屋へと入って行った。
部屋に残されたのは、私と、二人組のメイドさんたち。二人とも顔はそっくりだが、髪型が違う。
「ルア様ですね~。あたしたち、ルア様のお世話を任されたメイドのリーシャです~。よろしくおねがいします~」
「あたしはリーシャの双子の妹のラナーシャです~。これから張り切ってルア様のお世話させていただきますね~」
わ、私付きのメイド!?
様なんてつけられてるしっ!!
「い、いえいえいえいえ。私自分のことは自分でできますからっ! あと様もやめてください。柄じゃないですっ」
そう言うと二人は顔を見合わせ困ったような表情になる。
「そういう訳にはいきません~。あたしたちは魔王様とレノール様直々に言い渡されていますので~。ここで仕事ができないとお二方からきつ~いお仕置きをされてしまいます~」
そう言ったのは初めに自己紹介をした髪をポーニーテールにしたリーシャさんだ。ちなみにラナーシャさんは髪がツインテールだ。
「そうそう~。ここはあたしたちを助けると思ってなすがまま、なされるがままになってください~」
両手をわきわきしながらラナーシャさんが私ににじりよる。その雰囲気に圧倒され思わず布団を持ったまま後ろに下がるが、すぐベットの端へとたどり着く。
そしてわずかな抵抗むなしく、あれよあれよと言う間に着替えさせられるのだった――
――支度が整い、双子のメイドさんに促され、隣室へ入る。
そこにはソファーに座るヴィスラヌさんを始めとし、レノールさん、そしてテーブルをはさんで両親姿があった。テーブルにはティーセットが置かれている。
「おはようルア」
ヴィスラヌさんを筆頭にみんなが口々におはようと挨拶する。
「おはよう……ございます」
みんなの注目を浴び、なんとなく居心地の悪さを感じてしまう。
とりあえず、私も座ろう。そう思って、どこに座ろうか思案しているとヴィスラヌさんが視線で私を横に座るようにと促す。
若干、恥ずかしさもあるが、断る理由もないので、ちょこんと隣に座る。
それを見てヴィスラヌさんは満足そうに頷くと私の耳元で「良く似合ってる」と囁いた。
私は恥ずかしさで顔を伏せ、小さく「ありがとうございます」とだけ言った。きっと私の顔は真っ赤だろう。
メイドさんたちが支度をしてくれると言われたときは、まさか自分もお母さんと同じ、ドレスを着させられるのか!? と思ったが、いたって普通の、淡い桃色をしたフリルのワンピースだった。
そんな私たちの様子を見てお父さんが大きく「んっ、んーっ!」とわざとらしい咳をつく。
「はっはっはっは! さっそく仲良くなられたようでなによりです。それにしても少し近づきすぎなのでは? もう少し離れた方がいいと思うのですが魔王様?」
そういいつつ、お父さんの口元はひくひくと引き攣っている。
「はっはっはっは! 父親の嫉妬は見苦しいぞ。安心しろ、お前たちに代わって今度は私がルアを幸せにしてやる」
ヴィスラヌさんはそう言ってにこやかに応戦する。二人の間には見えないはずの火花がバチバチと散っている。
「いやいやいや、ルアを幸せにしてやるのは父親である私の務め。やはり、まだ魔界に来るのは早いのでは? 結婚するまでまだ時間がある事ですし」
「いやいやいや、何を言う。どちらにせよ娘というのはいずれ嫁にいき、家を出るものだ。いい加減子離れしたほうがいいのではないか? ルークよ」
お互いそう言い合うと睨みあったまま二人して笑いあう。
「「はっはっはっはっ…………は」」
笑い声がやむと二人は無言でスッと立つと、
「ルーク、調子に乗るのはそれくらいにしておけ。俺にたて付くとどうなるか教えてやろうか」
そう言うとヴィスラヌさんの手のひらには、こぶし大くらいの発光した黒い玉が浮かぶ。
「ふっ、是非教えて頂きたいものですなあ」
お父さんの手には両端の尖った30センチくらいの土色の太い杭のようなものが浮かんでいる。
二人が動くっ! そう思った瞬間――
スッパーーーーンッ!!!
バチコーーーーンッ!!!
二つの音が鳴り響いた。
ヴィスラヌさんとお父さんを見ると二人は頭を押さえ蹲っている。
二人の傍をみると、どこからだしたのかハリセンを持ったレノールさんと、これまたどこからだしたのかスリッパを持ったお母さんがいた。
「まったく、見苦しいぞっ、二人とも!! ルアが見ている前でいい加減にせぬかっ」
「まったくです。パパも、もう諦めなさい。まったく会えなくなるわけではないのだし、それに成長したルアにとってもこのまま人間界にいるよりも魔界にいた方がいいのよ」
「うう……でも……」
お父さんは叩かれた頭をさすりながらのろのろと身体を起こす。スリッパで叩いてるはずなのに頭にはこぶができている。どれだけの強さで叩いたんだ、お母さん!
「昨日、自分で幸せになるんだぞーー! っていってたじゃないの」
お母さんはそんなお父さんの様子をみて呆れたように溜息をつく。
「そうはいっても、いざ、いちゃいちゃしている姿をみると……こう、なあ?」
昨日のレノールさんに引き続き、お父さんまでそんなことをいう!
「いちゃいちゃなんてしてませんっ!」
そんな私の叫びも置き去りに二人は話を続ける。ちなみにヴィスラヌさんはもうすでに復活しており、レノールさんと何事もなかったかのようにソファに座っている。
「どちらにせよ、ルアはもう人間界に戻ることはできないのだし、私たちと一緒に暮らすことはできないのよ」
「だからじゃないか……だからなおさら悔しいんだー!」
お父さんがお母さんの言葉に反論するが、私にはまったく耳に入らなかった。
どういうこと?
元の世界に戻れない?
その言葉にボーゼンとする。
そりゃ、卒業したら魔界へいかないといけない約束だったらしいけど、落ち着いたら帰らせてもらおうと思っていた。で、こちらと行き来すればいいかな~くらいにしか考えてなかったけど……
「どうした? ルア」
私が固まっていると、ヴィスラヌさんが心配そうに顔を覗き込む。
「ルアは、きっと帰れると思っていたのじゃろうな」
レノールさんがポツリと私の想いを口にする。
ヴィスラヌさんがその言葉にピクリと反応するが、昨日のように空気が重くなることはなかった。
「かえり……たいのか?」
喉から声を絞り出すように私に尋ねる。
混乱しながらも、私はなんとか思っていることを口にする。
「すぐに……っていうつもりはなかったけど、少なくとも落ち着いたら、一旦帰らせてもらおうかなって。こちらとは行き来すればいいと思っていたし。お父さんたちも行き来してるみたいだったからてっきりできるものかと……」
「なるほど、な」
そういってヴィスラヌさんは溜息を吐く。
「まったく、お前達がきちんと説明しなかったせいだぞ」
「そうは言いますが、きちんと説明するまえに移転の魔方陣を発動させたのは魔王様です」
お父さんがすかさずジト目で言い返す。
ヴィスラヌさんは思うところがあったのだろう、お父さんから視線を外し明後日の方向を向く。
それを見てレノールさんが二人を取り成す。
「まあ、まあ、二人とも。過ぎた事をいうてもどうにもならん。ならば、ここできちんとルアに説明すればいいではないか。のう、アリーナ?」
そう言ってお母さんの方をちらりと見る。お母さんはその視線に微笑みながら頷くと、ぽつりぽつりと話し始めた。
「そうね、どこから話したらいいかしら……。まずはさっきの話、『人間界を行き来』について話しましょうか」
それが今、一番知りたいことだ。私は固唾を飲んでジッとお母さんの話を聞く。
「まず、人間界である、地球、アース。呼び方は様々だけど、私たちは『ガイア』と呼んでいるわ。ガイアと、ここ魔界ヴィスラヌは時空の壁をはさんで存在しているのだけど、『誰もその壁を越えてはならない』と、定められているの」
「だが、それにも例外がある」
先ほどまで黙っていたお父さんが口を開く。
「それは門番と呼ばれる者たちだ」
「門番?」
初めて出た言葉にオウム返しをする。
「『門番』それは魔界と人間界にそれぞれ存在する時空の歪み、『門』を守る者たちのことだ。私たちはその職についてるんだよ」
「人間界では人間が間違って魔界に来てしまわないように、魔界からは人間界に魔族や魔物たちが入りこまない様にしているの」
なるほど、だから両親は行き来できても私はできないわけだ。
ん?待てよ?だとすると……
「私、もともと魔界に住んでたってことは行き来したってことになるよね?」
「それは特例、だな」
それまで静かに見守っていたヴィスラヌさんが話に加わる。
「何事にも特例はある。それが認められれば、行き来することはできる。そう何度も、というわけにはいかないがな」
ということは私はその特例だったと。
でも何故?
「それは……のう?」
疑問が顔にでていたのだろう、答えにくそうにレノールさんがヴィスラヌさんをちらりと見る。
両親も困った顔をしている。
レノールさんの問いかけに促され、ヴィスラヌさんはゆっくりと口を開く。
「……それは、お前が私を守って死にかけたからだ――」