獣人の王太子と人間の王女様の塩対応から始まる結婚物語
エリーゼは、初めて婚約者と顔合わせをしたのは、婚姻の儀の半年前だった。
「初めまして、フェレンツィ王国第二王女、エリーゼでございます。婚約者様。」
エリーゼが堅苦しい挨拶をすると、王座からゆっくり王太子が降りて来た。
「初めまして、我が婚約者殿、婚姻の儀まで、ごゆるりとこの国でお過ごし下さい。半年後には、貴方の国になるのですから。」
王太子は、失礼の無い態度で、エリーゼの手をとった。
名乗りも無く、笑みも無い儀礼通りの態度に、彼女は心の中で溜息を付く。
(政略結婚なんて、この程度のものね。)
エリーゼは、塩対応の婚約者に向かって、最後に飛び切りの笑顔を向けた。
「はい、ありがとうございます。」
エリーゼは元々隣国の王太子と婚姻する予定では無かった。王と正妃との直系の長女であった王女だが、王宮の政略争いで負け正妃は失意の中亡くなり、王宮では冷遇を受け、母親の所有していた遠方の別荘で長年にわたって療養をしていたのだ。
年老いた家令と食事担当の下女との三人暮らしは、王宮暮らしでは考えられない程鄙びた生活であった。10歳の時に別荘に追い払われ、そのまま死ぬまでこの地を出る事は無いと諦めていた。
だが、エリーゼが25歳の誕生日に転機が訪れた。
現正妃の娘、第二王女が結婚を拒否したのだ。この婚姻は、長年に渡って不仲であった獣人の国との和平調停での取り決めであった。第二王女が20歳になった年に嫁入りすると条項にも組み込まれていた。今さら白紙にできるものでは無かった。
「嫌よ!だって、獣人よ!いくら、人に見えるからと言っても、獣が人に化けてるだけじゃない!気持ち悪い!絶対に行きたくない!私、そんな野蛮な所にいったらきっと、恐怖で死んでしまうわ!お母様、可愛い娘をそんな可哀想な目に合わせたいのですか!」
そう泣き付いたそうだ。
和平調停は三年前のもの、何故今さらとは思うが、我が子可愛さに王と正妃は、一計を案じた。そして、田舎で忘れられていた駒を思い出す。いつか、使おうととっておいた駒だ。こういう時に使うべき。
そうして、15年ぶりに王都に戻った私は、獣人国の王太子と結婚する事になった。
25歳を20歳と呼ぶのは無理があるとは思ったが、母と同じ銀髪を栗毛に染められ、母が名付けた名前は捨てられ、私はエリーゼとなった。第一王女は、第二王女となったのだ。
エリーゼが、短期間で身に付けた儀礼的な笑みを婚約者に向けた。その時、婚約者の頭に耳が飛び出た。人間の耳は顔の横に付いたままだ。だが、彼の頭の上には、彼の髪の色と同じ、金色の三角お耳がぴょんと飛び出た。そして、バサバサと音がする。よく見ると、彼の背後でせわしなく動く金色のくるりと立ち上がった尻尾が見えた。
尻尾?
尻尾が音を立ててバサバサと揺れている。風がおきているのか、彼のジャケットが左右に揺れている。思わず、エリーゼはその忙しない尻尾に視線が吸い寄せられる。
「何か?」
「いえ、何も?」
(その尻尾はどうしましたか?)
聞ける程に親しくは無い。獣人は、普段は人の姿で生活をしている。獣人の姿になるのは子供の時と、親しい関係にしか見せないという。この、耳と尻尾が人に生えた姿は、どういう状況なのだろうか?
「貴方が暮らす部屋を案内しましょう。」
彼はそういうとエリーゼの手を腕に導くと、実に紳士的に案内を始めた。
婚約者としては適正な距離、初めて会う男女としては眉を顰める距離だ。彼が、道々王宮について説明しているというのに、エリーゼの興味は、激しく左右に振れる尻尾に集中していた。男らしい低い声で話す言葉が素通りする。いや、尻尾の音でかき消えている。何故、誰も何も言わないのだろう?後ろから続く、護衛騎士も、侍女さへ、音も無く静かに後に付いてくる。
(そこの貴方達、この尻尾は見えていないの!)
できれば、肩をゆすって問いただしたい。エリーゼは、口元に微笑を浮かべながらちらりと彼の頭に視線を向ける。ぴくんぴくんと揺れながら、可愛らしい三角お耳が、エリーゼの方を向いている。
(可愛い)
あまりの可愛さにうっとりと見つめると、婚約者が頬を赤らめて、顔を前に向ける。しかし、耳だけは、斜めになってもエリーゼの方を向いている。尻尾は更に激しくなり、バタバタと上着を叩き、風を起こしている。
「エリーゼ様は、絵姿よりも大人っぽいですね。」
「まあ、何年前の絵かしら?月日がたてば、成長しますもの、私も先日ようやく二十歳になりました。婚約をお待たせしてしまいましたわね。」
(流石に、5歳のサバは読み過ぎだ。)
「私も25歳、お送りした絵姿と変わったとお思いではありませんか?」
(ええ、お耳と尻尾が足りませんわ。)
「とんでもありません。絵姿を見ながら、早くお会いしたいと焦がれておりましたの。」
媚を売るようにさらりと嘘を付くと、尻尾が残像の見える速さでぐるぐる回りだした。耳も何だか嬉しそうに見える。
「でも、絵姿よりも本物が一番素敵ですわ。」
あまりの可愛らしさに本音が零れる。触りたい。獣人の姿を見たい。だが、政略結婚の嫁に、獣の姿を見せる事は無いだろう。惜しいと思いながら、ゆっくりと耳から視線を外した。目の前に部屋がある。随分と立派だが、ここが私の部屋だろうか?部屋の前には騎士が二人。警備に力が入っている。
「ここですか?」
「いえ、ここは私の私室になります。」
「まあ?」
(何故、案内する?)
婚約者は、そのまま反対側の部屋に向かう。
「ここは?」
「王太子妃、貴方の部屋です。」
「まあ、では、婚姻が済みましたら、ここに住む事になるのね。」
「……いえ、今日から、貴方の部屋です。」
冗談を言っている顔では無い。彼は真剣な表情でこちらを見ている。尻尾がピタリと止まっている。緊張しているようで微動だにしない。私は、背後の侍女に視線を向ける。侍女は俯いてこちらを見ない、だが、手が握りこまれている。これは、予定していなかった?
「ふふ、ありがとうございます。ですが、婚姻前の男女が扉一つ隔てただけの部屋では外聞が悪いですわ、ねえ、貴方、申し訳無いのだけど、どこか客室を用意して頂戴。婚姻前に貞淑である事を知らしめねば、皆が納得しませんわ。」
そうだ、今回は、王族同士の、初めての獣人と人との正式な婚姻となる。末永い和平のためにも、うるさい声の芽は封じておかねばならない。
婚約者の耳がペタリと萎れる。背後の尻尾が力無く下を向いている。
「王太子、どうか、ゆっくりと確実に二人の関係を育みましょう。半年後の成婚に向けて、ね?」
そういうと、婚約者がじっとこちらを見る。真意を推しはかるように眼差しに、嘘を重ねたエリーゼは次の台詞が出なかった。
「……、名前を、どうか、名前を呼んで下さい。」
「……尊き、フェンリル獣人国、王太子フェンリル・シェルティ様。」
「シェルティと、」
「シェルティ様……。」
名前を呼んだ瞬間に、婚約者の青い瞳が潤んだ。三角お耳がピンと立って、尻尾が高速回転を再開させる。
「エリーゼ♡」
先程出会ったばかりの塩対応の婚約者が、瞬く間に蕩けてくる。形の良い唇から零れるのは、蜂蜜を垂らしたような妹の名前。
やばい、何か、悪い予感がする。
「貴方と、婚姻できる事を幸せに思います。愛しい私のエリーゼ♡キスをしてもいいですか?」
部屋の前の護衛騎士に視線をやる。俯いている。後方に待機している侍女に視線をやる。衝撃を受けたように目を見開いて王太子を見ている。その横に立っている騎士が、顔を覆っている。
ニコリと笑って聞こえなかった振りをするが、婚約者は蕩けた瞳でじっとこちらを見つめる。ああ、先程から耳と尻尾にばかり目を奪われていたが、婚約者はかなり美しい顔をしている。流石、王族だ。目のやり場に困る。視線をちらと三角お耳に向けるが、耳までこちらを見ている気がする。尻尾もまた緊張したようにゆっくりと左右に揺れている。獲物を狙う獣のようだ。
そうだった、ここは獣人の国だ。
第二王女の声が聞こえる。「人の姿をしているからといっても、獣なのよ!」そうかもしれない。今、私は狩られる兎の気持ちがわかる。
この婚約者を謀って、私は無事に結婚生活を送る事が出来るのだろうか?
もし、バレた時に、反動で食い殺される未来が想像できる。
「まあ、親愛のキスですか?嬉しいわ♡」
「……ええ、まずはそこから始めましょう。」
シェルティ王太子が頬に唇を寄せる。くっつく前に顔を離そうとした瞬間に、ペロリと嘗められた。
「ヒェッ」
淑女にあるまじき、声が飛び出る。婚約者が、口をペロペロしている。
「今、舐めました?」
「ふふ、半年後が楽しみだ。」
会話にならない。
味わうようにペロペロと舌が唇を舐めている。
犬だ。三角お耳に、感情豊かな尻尾、そして所かまわず嘗める舌。
私の婚約者は犬だ。
周囲が、頭を抱えている中、当の本人だけがご機嫌そうに尻尾を左右に振っている。
この結婚、無事に達成できるだろうか。
これにて終了です。
反応が良ければ続編を考えようと思います。




