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スミレの草地の誓い

 レナートとミリーの目に宿った小さな希望の光を確かめ、アンネリーゼはそっと胸をなで下ろした。ふたりはまだ、諦め切れてはいないのだ。


(あとはふたりの気持ちを、わたしが後押しさせていただくだけ)


 ウェディングプランナーの己がそばについているから大丈夫、必ず上手くいくと確信を持ってもらうのだ。

 隣でシグルドが、こちらに向けてかすかにうなずく。その視線が、〝後は任せた〟と言いたげに細められている。


(……そうね、まずはふたりの気持ちをしっかりと聞かせてもらわないと)


 アンネリーゼは改めてふたりを見渡し、柔らかく微笑んだ。


「レナート様、ミリーさん。もしよろしければ、今日はおふたりのことを、もう少し詳しくお聞かせいただけませんか。式を作るのに大切なのは、なにより、おふたりのことをわたしが深く知ることですから」


 ふたりは顔を見合わせると、静かにうなずいた。



***



 それから一刻ばかり、アンネリーゼはレナートとミリーの話に耳を傾けた。

 レナートは下級貴族の次男として生まれ、父の代からの不作によって家が困窮しており、長男である兄が家督を継ぐにあたっても先行きは暗い。自分の結婚などとても考えられる状況ではない、というのが彼の言い分だった。

 ミリーは王都の商家の娘で、幼い頃から市場で働きながら育ってきた。愛らしい顔立ちだが、飾らない実直さがにじんでいる。彼女は「レナート様がご自分を卑下されるのが、なによりも辛くて」と、目を赤くしながら言った。


(なんて、まっすぐなふたりなのかしら)


 アンネリーゼは、胸の奥がじんと温かくなるのを感じた。お金がない、身分が違う、周りに反対されている――そういった壁を「自分たちには無理だ」と諦める方向にばかり使ってしまっている。それはふたりが誠実で責任感が強い証拠だ。

 でも本当は、その壁の向こう側に、誰よりも真剣に愛し合っているふたりがいる。


(それを見せてあげることが、わたしの仕事のひとつね)


 ――奥手なふたりだから、多少強引にでも、互いを想う気持ちを引き出さなければ。

 アンネリーゼは前のめりになって、ふたりに向き合った。


「ひとつ、聞かせてください。ミリーさんは、どんなお花が好きですか?」

「え……? お花、ですか」

「はい。これは大切な質問なんです。お式全体のイメージを決めますから」


 突然の問いに戸惑いながらも、ミリーは少し考えてから答える。


「……お花はどれも好きですが、特に気に入っているのはスミレ、です。小さくて、目立たないけれど、健気に咲いている花が好きで、子供の頃から、石畳の隙間にひっそり咲いているスミレを見つけるたびに、元気をもらっていたんです」

(スミレ……。なるほど、優しそうな彼女にピッタリだわ)


 アンネリーゼの胸に、たちまちひとつのイメージが広がっていく。白いシルクのドレス、スミレのヘッドドレス、ミリーが自分の手で摘んだ野の花を束ねたブーケ――豪華でなくていい、作り物じみていなくていい。彼女そのものが輝ける式を作ればいいのだ。


(うんうん。ふたりに合ったお式のイメージができあがってきたわ!)


 内心ワクワクしながら、次はレナートに向き直る。


「レナート様、ご実家の周辺にスミレが咲く場所はありますか?」

「ええと、確かございます。屋敷の裏の草地に、毎年春になると紫のスミレが咲き乱れます。子供の頃からよく知っている場所なので、よく覚えています」

「素晴らしいですわ! ありがとうございます!」


 アンネリーゼは思わずガッツポーズを決める。


「もしおふたりがよろしければ、その場所を式場にいたしましょう。贅沢な装飾も、高価なドレスや豪華な宴会場も必要ありません。おふたりに縁のある、スミレの草地で式を挙げるのです」


 レナートが目を見開く。


「あの、草地で、ですか……? そのような場所で、式が挙げられるものですか」

「もちろんです。場所の格より、場所に込められた意味の方がずっと大切ですもの。あの草地は、レナート様が幼いころから知っている場所で、毎年春に花を咲かせてくれる。そこで、ミリーさんの好きなスミレに囲まれて誓いを立てる――それこそが、おふたりだけにしかできない、世界でひとつの式ではありませんか」


 しん、と室内に沈黙が落ちた。それは、拒絶の沈黙ではなかった。ふたりの心に、アンネリーゼの言葉がゆっくりと沁み込んでいくような、あの静かな間だった。


「……アンネ様」


 ミリーが、ぽつりと口を開く。その目には、もう迷いではなく、澄んだ光があった。


「わたし……やっぱり、レナート様と一緒にいたいです。この人の隣で、笑っていたい」


 レナートが、苦しそうに、けれど確かな決意を込めてミリーの手を握り返した。


「……ミリー。俺は、君を幸せにする力が今の自分にあるのか、ずっと自信がなかった。でも、もう自分の心に嘘をつくことはしたくない。俺には、君以外に考えられないんだ。君を幸せにしたい。だから――」


 彼は顔を上げ、アンネリーゼを、そしてシグルドを真剣な眼差しで見つめた。


「シグルド様、アンネ様。……どうか、俺たちにお力をお貸しください」



***



 裏路地の小さな部屋を後にして、アンネリーゼはシグルドと並んで夕暮れの石畳を歩いていた。西に傾いた陽射しが、王都の建物の影を長く伸ばしている。下町の空気はまだ重いけれど、どこかの軒先に吊られた洗濯物が、夕風にゆっくりと揺れている。

 いつもの日常を思わせる景色に、ほんの少しの勇気が湧いてくる。


(さあ、仕事を始めましょう。やることは、たくさんあるわ)


 頭の中では、既にプランの組み立てが始まっていた。ドレスのリメイク。スミレのブーケとヘッドドレスの手配。式場となるレナートの実家の草地の整備。ふたりの誓約の言葉。参列者への案内。

 これから忙しくなるそうだけれど、いつもの仕事のフローに沿って、ひとつひとつこなしていけば大丈夫だろうと思う。


「アンネ」


 シグルドが隣で呼びかける。


「もうふたりの挙式の計画が頭の中でできあがっていそうな顔だな」

「……ふふ、ばれていましたか」


 くすりと笑うと、彼も口もとをゆるめた。


「仕事の顔の時は目が違うからな。でも、今日のところは少し休むといい。君は少し根を詰めすぎるところがあるように思う」

「そう……ですね、ありがとうございます」


 わたしのことをよく見てくださっているのだな、とアンネリーゼは気持ちがこそばゆくなりながらも、その言葉に肩から力が抜けていくのを感じた。ひとりで先走らなくていい。この人が、隣にいてくれるから。

 ふたりは夕暮れの王都を、肩を並べてゆっくりと歩いた。王宮に戻るまでのその短い時間が、アンネリーゼにはこの上なく贅沢に感じられた。


(スミレの咲く草地で。あのふたりの門出を、必ずや最高のものにしてみせる)


 そう胸に誓いながら、アンネリーゼは隣を歩くシグルドの横顔を、そっと盗み見た。夕陽に照らされた金茶色の瞳が、遠くの空を静かに見つめている。


(……この人のためにも、頑張れる気がする)


 胸もとのブローチに指先でそっと触れると、そこから勇気がじんわりと広がっていくようだった。

 王都でのブライダル事業、その第一歩はいま、確かに踏み出されたのだった。

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