婚約破棄された公爵令嬢は時を操り、ときに操られる
「クラウディア、申し訳ないが、君との婚約を破棄させてほしい」
王太子ユリウスが唐突にそう告げた。
公爵令嬢クラウディア・レーヴェンハイトにとって、それは想定外の出来事であった。
王家と公爵家の間の、政略的な婚約ではあった。聡明、とは少し言い難かったが、それでも心優しい王太子ユリウスを、クラウディアは嫌いではなかった。
クラウディアには婚約破棄をされるような失態を演じたつもりはなかったので、まったく予期もしていないことだった。
「理由をお伺いしても?」
「すまない。僕もよく事情がわかっていないんだ。ただ、父上が急にそうしろと」
「フリードリヒ陛下が……?」
国王の指示ということであれば、政治的な思惑があるのは間違いなかった。これ以上、ユリウスを責めても仕方ない。
「本当にすまない……」
ユリウスは本当に申し訳ないという顔をするので、クラウディアも何か申し訳ない気持ちになってしまった。
「家同士のことですから、ユリウス殿下がお気になさることではありません」
クラウディアはぎこちない笑顔を作った。
ユリウスと別れたクラウディアは、複雑な気持ちを抱えながら聖教会に向かった。
施療院での聖女の治癒をサポートするのが、ここのところの日課になっていた。現聖女のリュシアはあまり治癒能力が高くなかったので、特に重篤な患者を扱う際に、クラウディアの「ある能力」でのサポートが不可欠だったのだ。
「リュシア、遅れてごめんなさい。ちょっといろいろあって……」
リュシアは笑顔でクラウディアを迎えたが、その直後に彼女が発した言葉に、クラウディアは耳を疑った。
「クラウディア、悪いけど、もうここには来なくていいわ」
遅刻したのは確かだが、クラウディアにも事情があったのだ。
「……遅れたのはごめんなさい。王太子様がお見えになっていて……」
「遅刻のことはどうでもいいの。あなたが単に要らないっていうだけだから」
「そんな……あなただけの力では救えない患者もいるわ」
そうクラウディアが言うと、リュシアの表情はみるみる歪んでいく。
「あなた、まだ私を平民上がりだからって見下しているの? 私は聖女なのよ? ただの貴族令嬢のくせに偉そうにしないでもらえるかしら?」
「そんなつもりで言っているんじゃないわ。事実としてあなたの……」
クラウディアの言葉をリュシアが遮った。
「私は王家の一員にもなるのよ。もう偉そうにするのはやめて。出て行って」
——王家の一員……。リュシアが王太子の新しい婚約者になるってこと……?
たびたび「奇跡」を成功させたことで、「聖女」リュシアの名声は日に日に高まっていた。その名声を王家が利用しようとしている、ということは大いにありそうだった。そして、そのためには口うるさい公爵令嬢クラウディアが邪魔だとでも思ったのかもしれない。
善意でのサポートと助言をしてきたにもかかわらず。
クラウディアはそれ以上は何も言わず、聖教会を後にした。
※
公爵家の屋敷に戻ると、クラウディアに来客があった。
宰相ジークフリートの子息で宰相補佐官を務めるエリアスだった。
この来客もクラウディアには想定外だった。何度か施療院に来たことがあったので、顔は知っていたが、挨拶程度しかしたことはないはずで、とても親しい間柄と言えるような仲ではなかった。
——今日は本当に予期しないことばかりだわ。まだこれ以上悪い知らせが続くのかしら。
「これはエリアス様、ごきげんよう。本日はどういったご用件でしょうか?」
エリアスは冷たい目をした男だった。まるで機械仕掛けの人形のようだとクラウディアは思った。
「こんにちは、クラウディア様。僕は貴族らしい回りくどいことが苦手なので、単刀直入に言います。宰相府で政府の仕事をお手伝いいただきたい」
「はい?」
エリアスがあまりに突拍子もないことを言うので、クラウディアは面食らった。
「宰相府ですか? 私は政治のことはよくわかりませんし、お手伝いできることなどありませんが……。それに……」
「施療院での仕事はもうないですよね?」
「なぜそれを……?」
「宰相府は王都での重要な出来事はすべて把握していますよ。来ていただけますね?」
クラウディアは何をするのかも聞かされないまま、半ば強引にエリアスに王城へと連れて行かれた。
宰相府の執務室に通されると、宰相ジークフリートがそこにいた。
エリアスと同じ目をしている、というのがクラウディアがジークフリートに抱いた印象だった。
「クラウディア様、よくいらしてくださいました」
クラウディアはジークフリートに頭を下げた。
「突然のお招きで失礼いたしました。ですが、あまりよくない噂を耳にしたもので、急遽お呼びさせていただきました」
「よくない噂、ですか……?」
「おや、自覚されていないようですな。世間では『聖女様の腰巾着』などと呼ばれているようですが?」
クラウディアは心の中でムッとしたが、何を言い返せばよいのかわからなかった。
リュシアのため、いや、リュシアの治癒を受ける患者のためと思ってサポートしていたつもりだったが、確かに人々から見たら、聖女と懇意になろうとする貴族令嬢にしか見えなかったのかもしれなかった。
「『腰巾着』だけならまだ良いのですが、どうもあなたが聖女様を利用して、公爵家で利権を独占しようと企んでいるということまで囁かれているので、私も無視ができなくなりました」
「そんな……!」
クラウディアは愕然とした。人々のことを思ってやっていたことが、私欲のためと思われたことがあまりに辛かった。
「お気を悪くされたのなら申し訳ございませんが、それが、世間があなたを見る目だということです」
「……政府のお手伝いとお伺いしていたのですが……なぜそんなお話をされるのですか?」
ジークフリートは薄く笑みを浮かべた。
「そうです。そこが本題です。
私としては、その噂が真実だとは思っておりません。そこで、政府のお仕事についていただくことで、あなたの不名誉を回復したいと考えまして……。政府として監視させていただく意図があることも隠すつもりはありませんが」
「そうでしたか……。お気遣いありがとうございます。ですが、私は政務のことには疎くて……」
「ご心配なさらないでください。私の言う通りにしていただくだけで、何も難しいことはございません。
もう一度言いますが、これはあなたの不名誉を回復するためのお仕事ですので。ただ……」
「何でしょう?」
「あなたの魔力を確認させていただけますか? 私の想定している仕事に本当に使えそうか、見ておきたいので」
「私の扱う魔法のことをご存じなのですか?」
クラウディアは少なからず驚いた。自分の魔法のことは家族にしか明かしたことはないのだ。
「私の愚息……エリアスには特殊な能力がありまして、施療院で聖女様の治癒のサポートをされているあなたの魔力を鑑定させていただきました」
「えっ……」
魔力鑑定……魔力を目にするだけで、それが何の魔力かわかるという能力……。そんなことができる人が施療院に来ていたなんて……。
「とても希少な魔力のようですな。まさか時魔法などというものが実在するとは……。私は耳を疑いました……。が、愚息の鑑定は間違ったことがありません」
クラウディアは何も答えなかったが、それは認めているとジークフリートには取られた。
「私はあなたの味方です。もちろんこのことは口外しておりませんし、今後も口外しません。その特異な魔力が誤解を生んでいるのでしょうから。
ですから、今後はそのお力を政府のためにお使いいただいて、あなたが私欲のために動く者ではないと証明するのです」
クラウディアはすぐに返答はできなかった。けれど、自分に選択肢が与えられていないこともすぐに理解していた。
結局、クラウディアはジークフリートに向かってぎこちなく頷いた。
※
翌朝、額に落ちた温かい水滴によってクラウディアは目を覚ました。
これは彼女の自作の目覚ましだ。
寝る前に枕の上から水滴を垂らし、「遅延」の魔法で、水が落ちる速度を遅らせ、8時間後に顔に落ちるように調整する。落とすときは冷たい水なのだが、落ちるときには熱を持つ。クラウディアにはなぜそうなるのかよくわかっていない。
こんな魔法で政府の何の仕事ができると言うのだろうか、とクラウディアは思う。
クラウディアの時魔法は時間を止めることはおろか、時間を戻すこともできない。時間は前にしか進まず、彼女ができるのは対象の個体の時間の進み方を変えることだけなのだ。
自分以外の世界全体に「遅延」をかけられたら、もっとゆっくり眠れるのに、としょうもないことを考えながら、クラウディアはベッドから起き上がった。
宰相府に登庁すると、早速ジークフリートから仕事の指示をされた。
「とても簡単な仕事です」
「はあ……」
「今日から、毎日、数名の人間に『遅延』をかけるだけです。施療院でやっていたのと同じように」
「治癒をされるのですか?」
ジークフリートの表情がわずかにこわばった。
が、次の瞬間には小さく笑みを浮かべた。
「はい、そんなところです」
ジークフリートが手配した文官と衛兵に連れられ、宰相府内の小部屋に行くと、そこには確かに傷を負った男がいた。
どこか見慣れない顔だったが、宰相府内では見知った顔のほうが少ないので、それは問題ではなかった。
「何だ、この女は?」
訛りの強い言葉だった。初対面の貴族令嬢に敬語も使わないところを見ると、少なくとも王都の人間ではないのかもしれなかった。
「魔法をお願いします。100倍くらい遅くできますか。3時間程度の持続でお願いします」
文官が言った。
「何をするつもりだ」
男が狼狽えたように言う。
「お怪我の治癒です」
クラウディアは慌てて言った。
「嘘をつくな!」
そう怒鳴って男が睨みつけてくるので、怖くなって焦りながら、クラウディアは「遅延」を発動した。
男の動きが止まった。
実際には動いているのだが、通常の100分の1の速度になっているのだ。
「ありがとうございました。もう結構です」
「えっ?」
「ご退出ください」
「あの……どなたが治癒を……?」
そう尋ねると文官が少し言葉を詰まらせたが、小さく微笑を浮かべて言う。
「私が行いますので大丈夫です。お疲れ様でした」
文官の微笑には有無を言わさぬ何かがあった。
クラウディアはそれ以上何も言えず、小部屋を出ていった。
その後もクラウディアは指示されるまま、見知らぬ人々に「遅延」をかける日々が続いた。
※
クラウディアが宰相府で「仕事」をするようになってしばらくすると、聖教会の施療院で騒ぎが起きていた。
——聖女リュシアの治癒が失敗続きだ。
そんな声ばかりが聞こえていた。
リュシアはもともと重病や重症を抱えた病人しか扱っていなかった。治癒は長時間にわたることが多く、リュシアが消費する魔力も体力も大きかったため、患者は聖教会から法外な寄進を求められていた。
それなのに、突如として、その治癒が失敗し、聖教会は患者に金を返さなかった。
なぜなら、治癒が失敗した重病人や重傷者は命を落としていたから。
返す相手がいない、というのが聖教会の言い分であった。
もっと言えば寄進とは信仰のために行われるものであって、そもそも返済などありえないと聖教会は主張した。
しかし、遺族は当然そんなことは納得がいかなかった。
奇跡により必ず治癒を起こすと言われた聖女が治癒を失敗した上に、多額の金は返済されないのだ。
遺族たちは聖女と聖教会を非難するだけでなく、それを悪行として、王都に流布した。
次第に王都民たちから、大きな批判の的になっていった。
その批判を受けきれなくなった聖教会は、すべての責任をリュシアに負わせる決断をした。
——奇跡を起こせない聖女は聖女ではない。
聖教会の大司教がリュシアに告げたのはそれだけだった。
クラウディアは、リュシアの一連のことの顛末を、ふらっと公爵家を訪れた元婚約者のユリウスから聞くことになった。
「君のことをえらく恨んでいる様子だったよ」
「施療院を追い出された私が、リュシアの治癒の邪魔をしたとでも?」
ユリウスが苦笑いする。
「まあ、そうだね。君が腹いせに彼女に呪いをかけたと……」
「ひどい言いがかりですわね」
「ああ、念のため、呪い鑑定も行ったが、そんなものは微塵もなかった。彼女は実力で、治癒に失敗したんだ」
「エリアス様ですか? 鑑定を行ったのは」
「エリアスを知っているのか。ああ、そうだ」
クラウディアには何か引っかかるものがあったが、それが何かはよくわからなかった。
「エリアスが言うには、リュシアは魔力量は多いが、魔力出力は弱いみたいでね。むしろ君がいた間、なぜ彼女の治癒魔法がうまくいっていたのかのほうが疑問だよ。よほど君のサポートがよかったのか……」
「大したことはしておりませんでしたわ。それでも全力でサポートはしておりましたが」
「そうか……。いずれにしても、君への非難は言いがかりだとははっきりしているから心配しなくていい」
「リュシアはどうなるのでしょう?」
追い出されたとはいえ、ともに民のために働いてきたのだ。クラウディアは彼女の今後が心配だった。
「それが、聖女の称号を剥奪されたのに、まだ僕との婚約に執着していてね」
「やはりリュシアはユリウス殿下と婚約されていたのですね……」
「言っていなかったか。それは悪かったね」
「いえ、それはもういいのですが……」
「ああ……リュシアは聖女でなくとも、婚約は有効で、王太子妃になれると思っていたようでね……」
リュシアは平民の出身だ。聖女でなくなればただの平民。王太子妃になどなれるはずもない。貴族であればそんな常識的なことは誰にでもわかる。
「僕が婚約破棄を告げたら、僕や、王家や政府にも散々な恨み言を言ってきたよ」
クラウディアも婚約破棄のショックはよく知っている。
「まさかこの短い間に二度も婚約破棄することになるとは思わなかった」
「ユリウス殿下も王家に振り回されていらっしゃるのね」
「王家なのか、政府なのか……。結局のところ、僕も利用されるだけの無力な王太子なのさ」
そう言うと、ユリウスがクラウディアをまっすぐ見つめた。
「もう一度、婚約しないか?」
ユリウスが真剣な目で言うので、クラウディアは戸惑った。
「ご冗談を……」
「冗談などではない」
「また国王陛下からのご指示ですか?」
「まあ、それもあるけれど……」
「お断りします」
ユリウスは少し驚いた顔をする。
「理由を聞いても?」
「この短い間に二度も婚約破棄する方を……いえ、そんなことをよしとする王家を信用できるとお思いですか?」
「……まあ、そうだよね」
ユリウスはまた苦笑いする。
「僕のすることは何もうまくいかないな」
クラウディアは、王家にはうんざりしていたが、ユリウスのことはやはり嫌いになれないな、と思った。
「一方で、クラウディア。君のほうはずいぶん活躍しているみたいではないか」
「えっ……?」
「宰相府からいろいろ報告を受けているぞ。隣国の間諜から情報を引き出したり、政府の内通者や謀反を起こそうとしている者を自白させたりと。すべて君の力のおかげのようだな」
クラウディアには、ユリウスが言っていることが理解できなかった。
ただ、妙に胸が騒いだ。
※
クラウディアが宰相府に行くと、宰相ジークフリートは不在だった。
代わりに宰相補佐官のエリアスがクラウディアの応対をした。
「どうかされましたか、クラウディア様?」
「はい、エリアス様。ジークフリート様にお伺いしたいことがあるのですが」
「……あなたの『仕事』についてのことですか?」
「えっ? あ、はい。そうです」
「何を聞きたいのですか?」
「私が隣国の間諜から情報を得たりだとか、政府内の裏切り者を自白させただとか、心当たりのないことが報告されているようでしたので……。私は、自分が何をさせられているのか知りたいのです」
それを聞いたエリアスが小さくため息をついた。
「僕が今ここであなたにお会いしたのは運命かもしれません」
「は?」
エリアスが意味不明な発言をするので、クラウディアは思わず変な声を出してしまう。
「ご存知のとおり、僕は回りくどいことや嘘やごまかしがとても苦手なのです。つまり、僕はあなたに何が起きているか、あなたに話してしまう。そして、ひょっとしたらそれがこの後、大きなことを引き起こすかもしれません」
「……何を仰っているのかよくわからないのですが。私は、ただ私が誰に何をしていたのか知りたいだけなのですが」
エリアスは今度は大きく息を吐き、そしてクラウディアに告げた。
「端的に言いましょう。あなたは僕の父……宰相ジークフリートの政敵への拷問を行い、強制的な自白をさせ、彼らを破滅させました」
「は?」
再びクラウディアは変な声を上げてしまう。
「私はただ『遅延』の魔法をかけただけですよ。なぜそれが拷問になるのです?」
「あなたはご自分の魔法のことを、「鑑定」が使える僕よりも理解していないようだ。その上、今までその魔法を悪事に使おうなどと思ったこともないのでしょう」
クラウディアが戸惑うのにも構わず、エリアスは続ける。
「あなたは元聖女リュシアの治癒魔法の効きが遅いことを知っていて、患者の傷や病の進行を魔法で遅らせていましたね? あなたは聖女の治癒に不可欠な人であったのに、それを誇示することもなかった。あなたはそういう方なのでしょう。リュシアもそのことを知らずに、自分の治癒によって、患者の死を遅らせられていたと勘違いしていたのです」
「なぜ今そんな話を?」
「あなたの魔法は、物の運動の時間に作用し、遅らせますが、一方で精神の動きは引き延ばされるのです。まるで精神の動きを速めるために、肉体の速度を奪っているようです。つまり、あなたの時魔法の本質は、時間の等価交換による操作なのです。おそらくあなたはその点に無自覚だ」
それを聞いて、クラウディアはふと目覚ましの水が熱を持つことを思い出す。水滴の運動を遅らせることで、水滴の内部の運動が速く活発になって熱を帯びるということなのだろうか。
そんなことを思う一方で、クラウディアは要領を得ないエリアスの話に少し苛立ちを覚え始めていた。
「治癒される患者であれば、苦しみから少しずつ治癒される心地よさが感じられるかもしれませんが、もしそれが健康な人間に与えられ、しかも痛みを与えられるとしたらどうでしょう? しかも100倍などという大きな単位で」
そのとき、クラウディアは背中に冷たいものを感じた。
「肉体が動く時間を遅らせられ、外部から傷つけられても避けようがない。しかも1秒の痛みが100秒続くとしたら? そしてその拷問の時間が300時間も続くとしたら?」
「まさか……」
「あなたの時魔法は拷問に最適なものでした。そして十分な成果を上げました。おかげで宰相ジークフリートは邪魔な政敵を退け、王国を守る忠臣として王家に認められた」
「……私は、ジークフリート様の政治に利用されたということですか?」
「はい、拷問された人たちは、皆、おそらく無実でした。自白以外何の証拠もありませんでしたので。
ただ、宰相に敵対していただけです」
「そんな……」
「あなたも今や宰相府の要人です。ご立派な功績を上げられた。けれど、実際は、聖女の治癒を失敗させ、重症患者を死なせ、無実の人々の拷問に加担した悪人だ」
「エリアス様……。もとはと言えば、あなたが私を引き込んだのではないですか? こんなことをして何とも思わないのですか?」
「僕は宰相の指示に従っただけではあるのですが……。言い訳はやめましょう。
はい、僕にはあなたを引き込んだ責任がありますし、そのことに関して、罪悪感を覚えています。もっと言うと、宰相のやり方は間違っていると考えています」
「えっ……?」
素直に非を認めるエリアスに意表をつかれ、クラウディアは戸惑ってしまった。
「だから、僕は宰相の横暴を止めたいし、何なら断罪すべきだと思っています」
「宰相って……お父様ですよね?」
「それが何か?」
「お父様を断罪されるのですか?」
「父だろうが何だろうが、間違ったことをする者は断罪しなければ王国の秩序は守れません」
「はあ……」
クラウディアはエリアスを信用していいものかどうか訝しんだ。場合によっては、宰相に言われて自分のことを探っているのではないかという疑いも生じてくる。
「ただ、宰相を断罪するのはとても難しい。そもそも無実の者たちは自白してしまっているのだから、宰相の追及は正しかったことになっている。断罪された者たちは、拷問を経て宰相を必要以上に恐れているので、証言を覆すことはないでしょう」
「……私が拷問の証言をすればよいのでは?」
「あなた自身も罪に問われますよ。いや、むしろあなただけが罪に問われるように仕組まれかねない。無理に宰相を断罪すると、何も知らなかった善人のあなたに害が及びかねないのです。それだけは避けたい」
「……なぜそこまで私をかばおうとされるのですか?」
不信感が拭えず、クラウディアは尋ねてしまう。
ところが、エリアスは不思議そうにクラウディアを見る。
「なぜって、あなたは間違ったことをしていなくて、宰相は間違ったことをしているからです。とても単純なことではないですか?」
「そういうことではなくて、実のお父様より、なぜ私を守ろうとするのかが理解できないのです」
「僕もクラウディア様の仰っていることがよくわからないのですが……。例えば、クラウディア様のお父様、レーヴェンハイト公爵が不正をしていて、僕が意図せず利用されて、不正に加担させられていたとしたら、それでも僕を追い詰めようとするのですか?」
「私は……そんなことはしません」
そこでエリアスは勝ち誇った顔をした。
「そうでしょう?」
「ですが、そうしない方も多いと思います」
「なるほど。解は明快になりました。クラウディア様と僕は、そうする側の人間だということです。とても単純なことではないですか」
クラウディアは納得がいかないながらも、なぜかエリアスが自分を騙そうとしているようには思えなかった。
「わかりました。では、どうしたらよいのですか?」
「はい、王国法で宰相を裁くのは難しいでしょう。宰相は実質立法の責任者ですし。ですから、これは個人的な断罪になります」
「個人的な断罪……」
「そして、嘘のつけない僕は今後、宰相に会うことを避けなくてはなりません。会えば企みを話してしまいそうな気がしますので」
「は? そんなことも話してしまうのですか?」
「そして僕が姿をくらませば、きっと宰相は警戒するでしょう。過去にも何度か反抗したことがありますからね」
「は? それでよく今までご無事でしたね……」
「まあ、まだ利用価値があると思われていたのでしょう」
そう言ってエリアスは笑みを浮かべる。
「今回ばかりは、父上は僕を生かしていたことを後悔するでしょう」
「ずいぶん自信がおありなんですね」
「あなたのおかげです。クラウディア様。あなたと出会い、今日ここにあなたがいらしたことはやはり運命としか思えません」
「何か策をお持ちなのですね?」
「はい、何しろ、僕は『鑑定』の能力で、あなたの魔法をあなた以上に理解していますからね」
※
翌朝、クラウディアはいつものように温かい水滴の目覚ましによって目を覚まし、ベッドから起き上がった。
しかし、宰相府に登庁するつもりはなかった。
身支度をして、朝食を済ませると、母とその友人たちの茶会に参加し、午後は午後で親しい友人を訪れ、またお茶を嗜んだ。
ここのところ、施療院や宰相府で働き詰めで、久しぶりに自分が貴族の令嬢であることを思い出している気分だった。
今日一日はとにかく誰かと一緒にいて、疑われるような行動を避けなければならなかった。
そして、公爵令嬢という身分は思った以上に、誰かと一緒にいるということが容易だった。
すべてうまくいくはずだった。
エリアスの計画を聞いて、クラウディアは、その成功を疑わなかった。
しかし、その日の夕方に届けられた急報は、クラウディアが想定していた結果とは異なっていた。
——宰相ジークフリートが、全身から突然血を流し、変死した。
※
「どういうことです? 何があったのです?」
宰相府に行くと、身を潜めていたはずのエリアスがいた。
「人殺しをするなんて聞いていないですよ」
クラウディアはエリアスを問い詰めた。
エリアスが周りを気にして声を潜めるように言った。
「僕も父上の死は想定外でした。ただ……父上は……宰相は僕が思っていた以上に多くの恨みを買っていたようです」
「何があったのか、きちんと教えてください」
「僕たちの計画はほとんど成功していたのです。クラウディア様の時限式の『遅延』は見事に宰相にかけられました」
時限式の「遅延」——エリアスは、「遅延」の発動時間を制御できると言った。「遅延」に「遅延」をかけることで、発動までの時間を遅らせることができる、ということだった。
クラウディアが試すと、実際に思った通りに『遅延』の発動時間を遅らせることができた。
そしてクラウディアは宰相の執務室の椅子に座ったエリアスに向けて、時限式の「遅延」をかけた。
魔法はすぐに発動せず、エリアスは席を立つ。
その魔法は24時間後に、その席に座る者——宰相ジークフリートにかけられる。それは1,000倍の遅延が3時間ほど続くというものだった。つまり、ジークフリートの精神は125日間を「遅延」の時間の中で過ごすことになるのだ。
その苦痛を味わわせ、拷問の非人道性を知らしめる、というのが二人が宰相にできる精一杯の断罪だと考えたのだ。
その頃、クラウディアは誰かと必ず一緒にいて、その犯行の疑いがクラウディアにかかることはない。その被害を受け、体験するのはジークフリートのみで、実際に被害を受けたかどうかを他人に証明することも難しい。
しかし、彼らの断罪の結果、宰相ジークフリートは死に至った。
「想定外だったのは、来客があったことです」
「来客? どなたが来たのですか?」
「元聖女リュシアです」
「リュシア……」
「すでにお気づきかもしれませんが、宰相が、国王陛下にかけあって王太子と元聖女の婚約を斡旋し、元聖女リュシアにクラウディア様を施療院から追い出させたのです。もちろん、あなたを自分の手中にするためにです。
その結果、リュシアは転落の一途を辿ったのですから、恨みは人一倍だったはずです。ですが、僕は彼女のことなど気にもとめていなかった。聖女でなくなれば、治癒魔法しか使えない非力な平民の女ですから」
「そうでしょう……ジークフリート様は武官ではないとはいえ、リュシアに腕力で負けることはないでしょう……。あっ」
「そうなのです。宰相は『遅延』のせいで身動きが取れないも同然だったのです」
「嘘……」
「僕の見立てではこうです。
おそらくリュシアは自らの復権のための交渉に来たはずです。宰相に責任をとらせて何とかさせようとした。ところが、宰相は表情も変えずに無視を決め込んだわけです。しゃべりたくてもしゃべれないのですから。そもそもリュシアの言うことを聞き取れてもいなかったと思いますが……」
クラウディアはエリアスの次の言葉を聞きたくなかった。
「交渉すら応じてもらえず、激昂したリュシアは忍ばせていた短剣で宰相を刺しました。けれど、刺したのに、ジークフリートは何の反応もせず、血が出ません。平静さを欠いたリュシアは再び刺します。何度も何度も刺します。
やがてリュシアは宰相の異様さに気づいたはずです。それで急いでその場を離れた。しかし、返り血も浴びず、宰相も変わらない様子でいたので、誰もそんなことが行われていたとは思わなかったでしょう。
そして『遅延』が解けた瞬間、一気に血が噴き出て宰相は死んだのです」
クラウディアは言葉を失っていた。
「宰相はただ動けない時間の長さを耐えるだけでなく、少しずつ広がっていった激痛を何日も受けることになったでしょう。3時間を待たずに精神が崩壊していたことでしょう」
「私のせいで……」
クラウディアが愕然とすると、エリアスが慌てる。
「申し訳ありません。そんな意図はなかったのです。どうも嘘や婉曲的な言い方ができないもので……。
ですが、それを言うならむしろ僕の責任のほうが大きいです。僕が計画を立てて、あなたを巻き込んだのですから。あなたが心を痛めるのであれば、僕が加害者で、あなたは被害者です」
「けれど、『遅延』でジークフリート様を直接的に死の危機に晒したのは私です」
「いや、ですから……」
「あなたのお父様を死なせてしまう原因になった私をお恨みにならないのですか?」
「ありえないですね」
エリアスは即答し、それから俯いてぽつりと言った。
「僕はいつかこんなことになるんじゃないかと、どこかでずっと思っていました……。今回のことだけじゃないのです。あの人は宰相の座を守るために、ずっと悪事を繰り返してきました。その罪の分の苦しみを今回受けたのでしょう」
「でも……」
エリアスがクラウディアの言葉を遮る。
「もう起きてしまったことはどうにもなりません。あなたの時魔法でも、時間を巻き戻すことはできないでしょう。
それよりも、これからのことを考えましょう」
※
ジークフリートが変死を遂げた日、外部からの訪問者がリュシアだけだったことから、変死の原因はリュシアの「呪い」とされた。
リュシアは行方をくらましたが、王国からも聖教会からも「魔女」と認定され、今後まともな人生を歩むことは望むべくもなかった。
一方、宰相府での功績を認められたクラウディアは名声を高め、気づくと「聖女」と呼ばれるようになるのだが、これは暫定宰相となったエリアスの計らいによるものだった。
エリアスはリュシアの治癒の奇跡がクラウディアの力によるものであることを明かしたのだ。
それを証明するかのように、施療院に戻ったクラウディアは重症患者を次々と治癒していった。
とはいえ、クラウディア自身が治癒魔法を使えるわけではない。
クラウディアは、治癒魔法が扱える神官や修道女をサポートするだけであった。それも、ただ重症患者が死に向かう速度を遅らせるというだけではあったのだが、それが世間には、「死を斥ける奇跡」として目に映ったのであった。
その日の治癒を終えたクラウディアのもとに、来客があった。
「クラウディア、いや、聖女様と呼ぶべきか……」
「殿下……。やめてください。『聖女』なんて呼ばれることには、まったく慣れておりませんわ」
王太子ユリウスだった。
「何だか、いつのまにか君が遠い存在になってしまったように思うよ」
「王太子殿下が何を仰るのです」
「僕は名前だけのお飾りの王太子さ。周りに振り回されるだけのね」
そう言ってユリウスは寂しそうに笑みを浮かべた。
「そんなことは……」
「あの若い宰相にもそう言われたんだ」
「エリアス様が……?」
「ああ、王太子だろうが国王だろうが構わず正直に思ったことを言う宰相でね。意外と僕は好きなんだけど。
……君もずいぶん宰相に気に入られているみたいだね」
「気に入られている……というのは少し違うと思います。あの方は勝手に私に負い目のようなものを感じているのです」
「ああ、そんなことも言っていたな。何か君を傷つけた借りがあるのだ、とか」
「そうですか……」
「傷つけた、ということなら僕も同じだね。君に借りがある」
「もう過ぎたことです」
「借りを返させてくれないか?」
「……どうやってですか?」
「君を幸せにする」
「また国王陛下のご指示ですか?」
「他の誰の意思でもない。僕がそうしたいのだ」
クラウディアは困惑した。
「……借りを返したい、というのは方便だな。僕は君と一緒にいたいんだ。王太子としてではなく、一人の男としてね」
クラウディアは、ユリウスが本気で言っているのだとわかった。
「少し考えさせてください」
そのとき、クラウディアの脳裏にはなぜかエリアスのことが浮かんでいた。
——私が王太子妃になったら、あの方はどう思うのかしら。
「もちろん。時間をかけてゆっくり考えてくれ」
ユリウスが微笑んで言う。
「ゆっくり……ですね」
やっぱり自分以外の世界全体に「遅延」をかけられたら、誰も待たせずにゆっくり考えられるのに、とクラウディアはまた仕方のないことを考えていた。
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