八話◆怒ると怖い兄様
ごめんなさい
「あ、あの……聞いてください、ダリルさんっ」
「どうしたの?アシェルくん」
週末の午後。
いつものように、僕、ダリルさん、そしてカーティス兄様の三人はガルブレイス家の書庫に集まっていた。
僕は窓から差し込む光で一際輝いて見えるダリルさんに胸を高鳴らせつつ、どうにか緊張を押し殺して声をかける。
この数日、ブレインくんの「大胆にアピール」というアドバイスや自覚したばかりの恋情について大いに悩み、どうにも寝付きが悪い日が続いていた。
少し離れた壁際に立ちながら書物を読んでいたカーティス兄様は、いつもとは違う僕の様子に気付かない訳もなく……。
僕が声を発したと同時に、そのガーネットの瞳は手元の書物から視線を外しこちらへ向けられていた。
兄様に見られていることに少しの気まずさを感じながらも、ダリルさんへと向き合い口を開いた僕だったけど。
「多分なんですけど、僕の回路奇け」
「わっ!まっ、まってアシェルくんっ……」
僕の回路奇形はもう治ったと思います。
そう告げようとした言葉は途中で慌てた様子のダリルさんに遮られてしまった……。
いつも穏やかにゆっくりと会話をしてくれるダリルさんに言葉を遮られるなんて初めてのことで、驚いた僕はきょとんとした顔で固まってしまった。
少し青ざめたようにも見えるダリルさんは、片手で口元を覆い隠し、視線をオロオロと彷徨わせ始める。
「カーティスに……まだ話してないんだ…………」
消え入りそうな声で呟いたダリルさんの言葉に、なにやら訝しげにこちらの様子を眺めていたカーティス兄様の瞳が……細く、鋭く眇められた。
コツリコツリとおそらくわざとゆっくりとした靴音を響かせながら近づいてくる兄様に、ダリルさんの肩がびくりと強張った。
「カー、ティス?えと……あの時の、込み入った話……の、ことなんだけど……」
微かに震える声で言葉を紡ぐダリルさんは、振り返って兄様に視線を合わせる勇気は無いようだった。
(わかる。僕にだって無い……)
コツ……と最後の靴音を響かせてダリルさんのすぐ後ろで立ち止まった兄様は、ダリルさんの座る椅子の背もたれに片手をかけた。
兄様から放たれる威圧のようなオーラに、書庫内の気温すら一気に下がったような錯覚がする。
「へえ。込み入った話、ね。確か……君がアシェルと二人で話したいと頼んで来たのは僕達の進級式の日だったよね?そして、話の内容は後で僕にも聞かせてくれると約束していた。その『込み入った話』のことなのかな?」
「………………はい……その通りです。お、遅くなって、本当にごめんっ……!」
ダリルさんは深い謝罪を表すように椅子から立ち上がるとその勢いのまま深く頭を下げた。
僕もつられて背筋を伸ばす。
「………………とっくに忘れているか、わざと約束を反故にしているのかのどちらなのかと思っていたよ」
氷のように冷たい兄様の声に、僕とダリルさんの肩は同時に跳ねたけれど。
ダリルさんは『わざと約束を反故に』という言葉に驚いたようで、バッと上体を起こして兄様と正面から向き合った。
「そっ、そんな!?……確かにちょっと忘れてたのはあるけど…………わざと反故になんかする訳ないじゃ無い!それに、なかなか話せなかったのは……話の内容がカーティスやアシェルくんのご家族たちにすごく心配をかけちゃうかもしれないものだったし、かなり深刻なものだったから…………どう切り出したらいいのかも分からなくて……」
話し始めの勢いは続かず、徐々に声のトーンも視線も下がっていくダリルさんだったけど、逆に兄様の眇められていた眼は驚愕にどんどん見開かれていった。
「待ってダリル。話の内容が深刻なもの?それに家族に心配をかける、って……」
兄様はダリルさんから僕の方へと視線を移した。
それは怒りよりも困惑の方が強く、それでいて真意を探るような瞳だった。
「……単刀直入に言うね……」
ダリルさんはキュッと拳を握ると、改めて兄様と視線を合わせてはっきりと告げた。
「それは、アシェルくんがずっと抱えていた病気についての話だよ」
「アシェルの、病気だって……?そ、んな……そんな話……父上からも母上からも、アシェルに持病があるなんて聞いた事がない」
兄様の声色は、固く、不安と緊張をはらんでいた。
「ただでさえ魔力が循環出来ない体質なのに、そのうえ病気まで……?」
独り言のように呆然と呟かれた言葉に、僕はどうやら兄様が事態をより深刻に思わせるような誤解をしている事に気付く。
ダリルさんもそれに気付いたらしく、そっと話を続けた。
「その『体質』こそが病気の正体だったんだよ。アシェルくんは、生まれつき魔力の流れを制御する回路に奇形を抱えていたんだ。それは命に関わるものだったけど、病名すら解明されてなかったから、『ただそういう体質』とされていて。治療法も分からず対症療法しかできなくて、アシェルくん自身もご家族もみんな……いつ発作が起きてしまうのかって不安だったよね…………」
事情を必死に説明しようとしているダリルさんは、出来るだけ兄様の不安を取り除こうとするみたいに、優しく寄り添うように丁寧に話を噛み砕いていく。
カーティス兄様は瞳を揺らしながらも黙って話を聞いていた。
「アシェルくんから『体質』の話を聞いた時……それが回路奇形っていう難病のせいだとわかったから…………妹のクリスタが持つ聖魔法を込めた魔石なら、回路奇形を治癒できると思って。クリスタが『お守りの石』と呼んでいる、彼女の聖魔法が込められた魔石を、アシェルくんに持っていてもらえるようにしたんだ。治癒の効果もわからないままに回路奇形について話してしまうと……カーティスやご家族を今まで以上に不安にさせてしまうと思って……。言えなかった……黙っていたのは私の判断だよ。今までずっと隠していて本当にごめんなさい」
そこまで話し終えたダリルさんは、黙り込んだまま僕とダリルさんの顔を交互に見つめている兄様の反応を静かに待った。
「…………アシェルの体質は実は病気で?君が言うには難病とされるそれが、クリスタ嬢のお守り程度のもので治るっていうのか?そして今の今まで僕に知らされなかったのは……ダリルにとって、僕は信頼に値する者ではなかった?」
長い沈黙のあと、ようやく口を開いた兄様のその問いは、まるで鋭い刃のようだった。
それは、このままではお互いに深く傷付いてしまうような諸刃の刃で……。
「そんなつもりじゃ……!」
「兄様っ、ダリルさんだけを責めないで……!」
咄嗟に立ち上がった僕は、声を上げながらダリルさんを庇うように二人の間に割り込んで両手を広げた。
身長差のせいでまるで壁としての役には立っていなかったけど、そんなことはどうでも良かった。
薄らぎかけたと思えばまた身震いしそうなほどに濃くなった兄様の威圧感から少しでもダリルさんを守りたかった。
見下ろすように僕の方へと移ったカーティス兄様の冷たい視線に耐えながら、なんとか言葉を紡ぐ。
「……病名すら公表されていないような難病で、治る見込みがあるかも分からないうちに話して、兄様や父上たちに心配をかけるのが僕もダリルさんも怖かったんです。隠していた事が罪なら、同罪どころか同じ家で暮らしていながらずっと黙っていた僕の方がもっと罪が重いはずだよね……。本当にごめんなさい」
僕の弁明と謝罪に、兄様はようやく少しだけ表情を和らげる。
底冷えするような怒りのオーラも徐々に霧散していく。
「……確かに。この数ヶ月のあいだ、毎日顔を合わせながらよく隠し通したものだね。怒るべきなのか弟の成長を喜ぶべきなのか……情報も感情も混雑しすぎてちょっとわからないな」
諦めたようにため息をこぼした兄様は、床に片膝をつき僕に視線を合わせてしゃがみ込む。
「ねぇアシェル。君も分かっていると思うけど、病を知ったいま、僕はもう君を一人で行動させるわけにはいかなくなってしまった。学園に通わせることすら不安に思えてくるよ……」
優しく僕の肩に置かれた手からも、兄様の心配が伝わってくるようだった。
「あの、兄様」
そろりと呼びかけると、兄様は「ん?」と小首を傾げる。
その様子はいつもの優しい兄様に戻っていて、僕は内心で安堵した。
正直、顔が怖いのがデフォルトの両親よりも、普段優しい兄様が怒った時の方が断然怖かった……。
「さっきダリルさんにも報告しようと思ってたんですけど、多分、僕の回路奇形は完治したんだと思います」
「ええっ……!?」
瞬間、兄様とダリルさんの驚きの声が重なった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
(兄様は意識的に冷気を放っていました……)
よければまたアシェルに会いに来てくださいね!
⭐︎乙兄の更新は週2回(火・土 20:00)の予定です。




