第4話 追憶
それから数試合、俺は立て続けに敗北を喫していた。得意だったはずの剣術すら通用せず、周囲との差を思い知らされる。
(なんで……これほどまでに違うんだ)
技を重ねても、努力を積み上げても、天賦の才には届かない。その現実が、容赦なく心を削っていった。
「はぁ……」
思わず、大きなため息がこぼれる。空を見上げれば、既に日は傾き、夕闇が静かに世界を包み始めていた。それでもグラウンドには賑やかな声が響き、試験の熱はまだ冷めていない。
そんな中、自分だけが取り残されたような、孤独な焦りが胸を締めつける。
(もう……無理かもしれない)
ほんの一瞬、そんな弱音が脳裏をよぎる。だが――
「よしっ!」
俺は両手で自分の頬を思いきり叩いた。パチン、と乾いた音がして、目の奥がじんわりと熱くなる。
(こんな所で、立ち止まってられない)
次が、最後の試合だ。そしてその相手は親友である咲弥。
(だからこそ……やれるだけのことはやりたい)
「頑張るか……」
小さく呟いて、もう一度深呼吸をした。体の奥に残った悔しさを、すべて力に変えて。
俺は静かに呟き、そっと自分の木剣を手に取る。手のひらに馴染むその重みが、これまでの努力と悔しさを思い起こさせる。
(最後の試合だ……)
心の中で何度もそう繰り返しながら、指定されたコートへと足を運ぶ。
「おっ! 宵、こっちだこっち!」
先に着いていた咲弥が、満面の笑みで手を振ってくる。変わらぬ明るさに、少しだけ心が和らいだ。
「ああ!」
俺も小さく手を振り返し、静かにコートに上がる。胸の奥では緊張と期待が入り混じり、心拍がわずかに速くなるのを感じていた。
「最後の試験……全力でぶつかり合おうな!」
咲弥はそう言って、まっすぐな瞳でこちらを見る。
「ああ、俺も全力でいく」
短い言葉に、俺の全てを込めた。互いに微笑み合いながらも、その奥にある闘志がぶつかり合う。
そして、審判がゆっくりと前に出てきた。
「両者、準備はいいですか?」
俺は木刀を構える。咲弥は腰に携えた双剣を抜き、軽やかに逆手で構えた。
目が合う。どちらも言葉はなく、ただ真剣なまなざしで頷き合う。
(全力で、やりきるだけだ)
試験最後の合図が、静かに待たれていた。
「では、実技試験最終戦……始めっ!」
審判の声が響いた瞬間、俺達は同時に駆け出した。俺は迷いなく木剣を突き出す。だが、それはあっさりと咲弥に見切られ、身を捻ってかわされる。
(やっぱり咲弥は速い……!)
避けた咲弥は間髪入れず、双剣を交互に振るいながら攻撃を仕掛けてくる。俺も負けていられない。気合いと共に木剣を振り、激しい打ち合いが始まった。
一撃一撃が重く、鋭く、まるで言葉の代わりに心を交わしているような感覚だった。
だが――その時だった。
(……あれ?)
突然、自分の身体が妙に軽くなった。重かった腕は風のように動き、足取りは地面を滑るようだった。まるで自分の身体じゃないみたいに。
「……っ!?」
戸惑いが脳裏をよぎる。だが、咲弥の猛攻は止まらない。一瞬の迷いも命取りになる。俺は意識を集中させ、木剣を振るう。すると、信じられないほど自然に、咲弥の攻撃を受け止めていた。
(な、なんだこれ……!?)
どこか不気味なほど静かな感覚。
だが、その静けさの中には確かな力があった。
しかも不思議なことに、咲弥の剣がさっきまでよりも軽く感じられる。動きが鈍くなったわけではない。なのに、俺の身体はその攻撃を苦もなく受け流していく。
夕日は完全に沈み、空は闇に染まっていた。その暗がりの中で、俺の内に何かが目覚めつつあるのを俺は感じていた。
「宵ッ!まさかそれっ……!!」
咲弥が驚きに目を見開き、俺を指差した。その顔には、はっきりとした恐れと戸惑いが浮かんでいた。
「え……俺がどうした?」
俺は咲弥の反応に戸惑いながら、思わず自分の身体を見下ろす。だが、目に映るのはいつも通りの自分だった。特に外見に変化はない、はずだ。
(……咲弥には何が見えてるんだ?)
次の瞬間、まるで深層から這い上がってくるように、俺の脳裏にひとつの声が蘇った。何故忘れていたのか分からない、とてつもなく重要な言葉。
『――汝のその思いに免じて力を授けよう。但し、我の力を自由に扱えるのは、辺りが闇に染まった時のみ……』
(……そうだ、この男の声だ。何故俺は今まで忘れていたんだ?)
何故こんなにも重要な言葉を忘れていたのか、全く分からなかった。けれど今、俺の身体に起きている異変、それは、まさに彼から与えられた力が目覚めた証に他ならなかった。
混乱する思考の中でも、試験の時間は進む。咲弥の双剣は容赦なく連撃を繰り出してくる。
「くっ……!」
俺はそれを避けようと、わずかに一歩、前へと踏み込んだ。
……その瞬間だった。
踏み込んだはずの俺の身体は、気づけば咲弥の背後にいた。
「「えっ?」」
俺と咲弥、同時に漏れた困惑の声。咲弥はすぐさま反応し、驚きに身を引きながらバックステップで距離を取る。
(……今、何が起きた? 一歩踏み込んだだけなのに……!?)
俺の中で授けられた力がはたらいているのか。まだ制御はできていない。
「宵、やっぱりお前……凄いな…やったじゃん、遂に」
咲弥は、優しい笑みを浮かべて俺を見つめていた。その表情はまるで、ずっとこの瞬間を待っていたかのように、どこか悟ったような静けさを湛えていた。
「……え?」
咲弥の言葉の意味は正直まだよく分からなかった。でも不思議と、心の奥では全てが繋がったような、そんな確かな感覚があった。
そして再び、頭の奥底にあの声が響く。
『汝のその思いに免じて力を授けよう』
そう、この声の主こそが俺に力を与えた絶対的存在。身体に満ちる得体の知れない力。それは紛れもない神からの寵愛、『導』だった。
(……叶ったのか、俺の願いは)
ふと、自然と笑みがこぼれる。今、この瞬間の自分を心の底から信じられる気がした。
「さあさあ、めでたいことが起きたけど……そろそろ続きを始めようか!」
咲弥がいたずらっぽく笑い、再び双剣を構える。その構えに、躊躇はない。俺も応じるように、闇を纏った木剣をゆっくりと掲げた。
互いに構えを取り直した時、まるで時間が止まったかのように、あたりを静寂が包み込む。息を呑む空気の中、俺はただ前を見据えた。
(行こう。全力で、俺の今をぶつけるんだ――!)