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崩壊の導〜崩れゆく世界と救済者〜  作者: 朧月
3第章 関西編
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第38話 血に濡れる幻影

 巨大な地下空間に、緊張が凍りつくように張り詰めていた。


 十三人の生徒たちがしるべを纏い、構えを取る。その中心に立つ宵は、短剣――虚空から取り出した神《かみ》片鱗へんりん闇御津羽くらみつはを握りしめ、己の心臓の鼓動を強く意識していた。


 対峙するのは、黒髪に赤褐色の瞳を宿した男。仕立ての良いスーツを纏い、背筋を真っ直ぐに伸ばしている。その姿は戦場というより、会議室に立つサラリーマンのようですらあった。だが、その瞳は人を拒絶する氷刃のように冷たく、誰一人として視線を交わすだけで息を呑まずにはいられなかった。


「……それでは、皆さま」


 紅燐こうりんはゆるやかに言葉を落とす。その声音は淡々とした敬語、冷ややかなまでに感情が希薄だった。


「――始めましょうか」


 瞬間。


 宵は見た。紅燐こうりんの全身の血流が、まるで外界へ解き放たれるようにうごめいたのを。皮膚の表面に沿って、赤黒い紋様が浮かび、そこから滴る血液が空中で形を変える。


 紅燐こうりんの導――血の導。


 それは他のどの導よりも、直接的に命そのものへ干渉する、まわしくも絶対的な力。瞬間、空中に留まっていた血が四方八方に飛び散った。飛び散る血は細かい針状になり、周囲にいた生徒8名の鳩尾みぞおちやら内臓やらに深く突き刺さる。


「なッ…お前!」


 咲弥は一瞬の出来事に狼狽うろたえながらも双剣を抜き放ち、先陣を切る。双剣の刃が水流を纏い、しなやかな波の弧を描くように斬り込む。


千波せんは!」


 奔流のような二条の斬撃が紅燐こうりんに迫る。


 だが、紅燐こうりんは瞬き一つせず。血液が空中で凝固し、鋭利な壁を形成した。金属を叩く音のような硬質な衝突。咲弥の双剣が血の壁に阻まれ、深く切り裂けない。


「なっ……!」

「……どうやら、貴方の方がやわいようです」


 紅燐こうりんは小さく呟き、指を軽く振る。その瞬間、血の壁が爆ぜ、数百もの赤い針となって咲弥に襲いかかった。


「くっ!」


 咲弥は咄嗟に水の盾を展開するも、完全には防ぎきれず、肩をかすめた針が皮膚を裂く。


 次の瞬間、咲弥の顔が凍りつく。


「……な、んだ……これ……!」


 切り裂かれた僅かな傷口から、血液が逆流するように宙へと吸い上げられていく。紅燐こうりんの指先が僅かに動き、その血は赤い糸のように操られた。


「……一斬りで充分です」


 紅燐こうりんの声は冷たい事務連絡のように響いた。咲弥の身体が膝を折る。スッと力が抜け、片膝を床に落とす。


「咲弥!」


 宵が叫ぶより早く、叶多かなたが雷を纏って突き込んだ。


白蓮劔びゃくれんつるぎ流――雷轟らいごうッ!」


 雷鳴のごとき閃光が地下を照らし、叶多の刀が紅燐こうりんを貫かんとする。


 だが、紅燐こうりんの瞳は一切揺れない。


 指先が再び動き、空中の血液が集束する。それは最早もはや紅燐こうりんの血だけ、とは言えないほどの量だった。そして巨大な血の盾が展開され、叶多の一閃を受け止める。


「く……っ!」


 雷が炸裂し、盾を焼こうとする。しかし血は蒸発せず、逆に熱を吸収し、紅く煮え立って膨張する。


「……貴方の熱量、参考になります」


 紅燐こうりんが冷ややかに告げると同時に、またも盾が爆裂した。爆ぜ飛んだ血液は炎にも似た赤黒い液体となり、無数の弾丸と化して叶多に襲いかかる。


「ぐっ……!」


 叶多は雷で加速し、辛うじて直撃を避ける。しかし、その衣の端をかすめた飛沫が、瞬時に衣服を焼き焦がした。


 その異常さに、全員が悟る。これは単なる血ではない。命を縛る術そのものだ。


 珠璃じゅりは治癒と補助を担うべく、後方にいた。淡い緑光が咲弥の身体を包み、操られかけていた血流を一時的に鎮める。


「咲弥くん、立ってください!」

「……ああ……助かった……」


 しかし紅燐こうりんは、その様子を観察するかのように瞬きを一度だけし、言葉を落とす。


「……支援。優秀ですね。ですが……この数をさばけますか?」


 紅燐こうりんの背後に、血の柱が次々と立ち上がった。柱は形を変え、やがて数十本の槍となる。


 赤黒い槍群が、一直線に宵たちへと降り注いだ。


「―ッ!一樹いちじゅかげ跋扈ばっこッ!


 宵は咄嗟に闇御津羽くらみつはを振るい、斬撃による闇の壁を展開する。闇の壁が一瞬だけ槍群を呑み込み、直撃を防ぐ。しかし、衝撃は止まらない。壁が次々と貫かれ、破られ、宵の頬を血の槍が掠めた。


 冷たい感触――。


 刹那、宵は背筋が凍りつく。頬から流れる血が、空へと引き上げられていくのを感じた。


「……ッ!」

「これで、二人目。一回程度では弱体化にしかなりませんが」


 紅燐こうりんの声が重く響く。


 頬の傷一つ。それだけで、命を握られる。血の導――その絶対性。


 宵は歯を食いしばり必死に立ち続けようとする。だが紅燐こうりんの指先の一振りで、再び少量の血が奪われる。その圧倒的な支配力に、全員が息を呑んだ。十三人の総力をもって挑むも、紅燐こうりんの前では意味をなさない。


 水も雷も闇も防がれる。仲間たちは次々と小さな傷を負い、その度に血が紅燐こうりんの手となり足となった。


 咲弥は片膝をつき、叶多の呼吸は乱れ、珠璃の顔にも焦燥が滲む。


 そして宵自身も、頬の血を握られた感覚から抜け出せずにいた。


(……これが、七台筆頭……)


 圧倒的な絶望が胸を締め付ける。


 紅燐こうりんは、冷ややかに言い放った。


「――皆さまの力、充分に確認できました。結論としては……残念ながら、ここで終わりです」


 指先が振り下ろされる。操られた血が牙を剥き、十三人すべてを屠らんと迫る。


 刹那、宵は瞳を見開いた。


 己の血が――意識を失うように重く、冷たく流れ落ちていく。


 仲間の叫びが、遠く霞む。


 闇御津羽が手から滑り落ち、床に落ちた音が響く。


 圧倒的な敗北。抗う術もない。


 紅燐こうりんの赤褐色の瞳が、冷徹に生徒たちを見下ろしていた。


 その瞬間、世界が赤く滲み――

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