第30話 沈黙の檻
夜の帳が、静かに学園を包み込んでいた。渡り廊下を進む足音が、石造りの壁に淡く反響する。
時雨 零は、外套の裾を翻しながら歩を進めた。彼は齢二十七にして学園のトップを務める男である。
隣には背の高い影、神宮寺 龍星。龍空の兄にして、この学園のもう一柱の大黒柱。
戻ってきたばかりの空気は、まだ旅路の塵を纏っている。それでも零は休む暇なく、まずは報告を受け、そして足を地下へと向けた。
あの日、学園を揺るがした襲撃。生徒たちの命は守られたが、何人もが血を流した。教員も、生徒も。
零の胸中に、重い鉛のような感覚が沈む。
「……生徒たちは?」
歩きながら、零は問う。
「重傷者は治療済みです。命に別状はないかと」
龍星の声は、低く淡々としていながらも、どこか剣のような鋭さを孕んでいた。
弟・龍空の柔和さとは対照的に、兄は言葉を飾らない。無駄を嫌い、用件だけを置く。だが、それは冷たさではないと零は知っていた。感情を表に出さぬだけで、心は確かに熱い。
階段を降りるたびに、空気は冷たく、重くなっていく。地下牢の石壁は湿り気を帯び、かすかに水の滴る音が響く。
やがて、視界の先に鉄格子が現れた。その奥、暗がりに座すひとつの影、怨骸。
導の使用を禁ずる枷と鎖に繋がれ、片手を膝の上に置き、微動だにしない。もう一方の腕は闘いの最中に龍空に吹き飛ばされた。闇の中でもはっきりと分かる、鋭く細められた瞳。零が立ち止まっても、龍星が視線を向けても、何ひとつ反応を見せなかった。
「……これが、奴か」
零の声に、龍星は短く「そうです」と答える。
鉄格子の前に立つ。その無表情の奥に何が潜んでいるのか、零は探ろうとした。
「お前がこの学園を襲った理由は何だ」
低く、揺るぎない声音で問いかける。返事はない。怨骸の視線は、ただ虚空に向けられている。
零はしばし沈黙し、別の角度から切り込む。
「正……お前は、その一員だな」
それでも、何も語らなかった。
龍星が、わずかに顎を引く。
「口は開かんでしょう。弟も試みたようですが、同じでしたから」
沈黙が牢を満たす。零は深く息を吸い、そして吐き出す。この沈黙の壁は、並の言葉では崩れない。
「……生徒たちの命は守られた。それで今はいい」
小さく呟き、零は視線を牢から外した。怨骸は微動だにせず、その背後に広がる闇がより濃く見えた。
踵を返す。龍星も無言で後に続く。階段を上がる途中、零はぽつりと漏らした。
「正……一体何を狙っている」
その問いに答える者は、この場にはいなかった。




