第20話 闇に沈め
演習場の床は濡れた岩のように黒く、照明もどこか陰鬱だった。全方向を囲む壁は曇りガラスのように薄く光を透かし、そのせいで空間全体が影の中に浮かんでいるように感じられる。
天帝 宵は、じっと前方の人物を見つめていた。漆黒のローブを纏い、寡黙な空気を纏った男――黒影教授。
彼が右手に下げているのは、旧式の片手銃。だが、その銃口には演習用とわかる赤いマーキングが施され、弾も人を傷つけない特製のゴム弾だ。
「今日、お前に教えるのは多くの導における基本技の透抜、と呼ばれる技術だ」
黒影教授の声は低く、どこか冷たい。だが、その内側に一滴の熱があることを宵は感じていた。
「防御術……ですか?」
「違う。《《変質》》だ」
そう言うや否や、教授は宵に背を向けて一歩歩いた。
──パァン。
音もなく振り返り、銃を構えて撃った。
「……っ!」
宵の反射は早かった。地を蹴り、横へ転がる。弾は背後の壁にぶつかり、低い音を立てて弾けた。
だが教授は言う。
「遅い。逃げることと、消えることは違う。いいか……見せてやる」
教授が一歩前へ出た瞬間、黒影教授の身体がゆらりと闇に沈んだ。
身体の輪郭が崩れ、黒墨のように広がる影へと溶け、次の瞬間には何事もなかったように立っている。
「……えっ!?」
「これが透抜だ。己の身体の構造を、意識的に導に変質させる技術。俺らの場合は闇だな。光の届かない領域内で、自分自身を一時的に《《物理法則から外す》》」
黒影教授は再び銃を宵に向ける。
「やってみろ」
「えっ、今のを……いきなり……?」
「導を扱う者にとって、無理という言葉はただの未練だ。いいから、やってみろ」
パァン、と弾が飛ぶ。宵は恐怖よりも先に、全神経を集中させた。影に……沈む。自分を闇に変える? どうやって?
否応なく二発目。宵は叫ぶように意識を導へ傾けた。
「……ッ、影に──」
──ゆらっ。
足元の影が濃くなり、瞬間的に宵の身体がにじむように溶けかけた。だが、完全には消えきれず、弾が肩をかすめた。
「半端だ。意識が身体に残っている。恐怖を手放せ」
黒影教授が無造作に銃を構える。
「もう一度だ。逃げるな」
――パァン。
今度こそ、宵の身体が闇に沈んだ。輪郭が崩れ、地に染み込むように。弾は通り過ぎ、影の中で宵は確かに痛みを感じなかった。
──スゥ、と音もなく、元の姿に戻る。
「……できた……のか?」
「今は感覚を掴んだ程度だ。だがそれでいい」
黒影教授は銃を下ろし、短く言った。
「透抜は、導者が最初に覚えるべき命を守る術。応用すれば、斬撃すら、毒すら通さなくなる。だが、それには己の存在すら一時的に手放す覚悟がいる」
宵は無意識に、自分の胸に手を当てた。鼓動が早い。だが、恐怖ではない。影になったとき、確かに自分は軽かった。それはまるで、世界の重さから解放されたような感覚。
「自身の闇を受け入れろ」
黒影教授はそう言って演習を終えた。演習場の影が、少しだけ濃くなったように見えた。
影に沈む。それは、逃げることじゃない。闇を受け入れる選択。
宵は静かに拳を握った。そして悟った。黒影教授はスパルタだと。




