第16話 闇の導
部屋の中は薄暗く、照明は最低限。壁には様々な武器や古文書のようなものが無造作に掛けられている。だが不思議と圧迫感はなく、むしろ妙な落ち着きを感じさせる空間だった。
男は椅子に座ったまま、こちらに視線を向ける。
「俺の名は黒影 斎。この学園で闇の導を担当している。……まぁ、覚えなくてもいい。長くここに居るつもりなら、いずれ嫌でも刻まれる」
「黒影、先生……」
「それで、宵。お前、自分の導がどういう性質か、わかっているか?」
唐突な問いに、俺はわずかに言葉に詰まる。
「……闇そのものだと、認識しています。まだ、巧く使いこなせませんが……」
「ふん」
短く鼻を鳴らす。
「闇というのはな、ただ黒くて怪しくて、不気味で強い――そんな簡単なもんじゃねぇ。光の無い場所にある、という定義すら実は本質じゃない」
黒影はそう言って、机の上に置かれたペンを指先でつまむと、宙に投げた。それは、天井に吊るされたランプの光に照らされてくるくると回る――が、途中でふと、その光から逸れた瞬間、完全に見えなくなった。
「……見えない?」
「違う。見ようとしなければ、存在すら気づかれないってこった」
そのペンは、黒影の手に戻っていた。いつの間にか。
「闇は、隠すことに長けている。己を、敵を、真実を――お前の闇が今後何を導くのか、それはまだ誰にもわからん。ただ一つだけ忠告しておこう」
「……?」
黒影は、無表情のまま俺に正面から視線を向けた。
「闇の導は莫大な力と意思を持つ。時として使う者を喰らい、時として使う者を試す。お前が自分の意思で進む限りはいい。だが――闇に呑まれた時点で、お前は死んだも同然だ」
息を呑んだ。けれど、怖さとは少し違う感情が胸の中で灯る。
(この人は――深く闇の導を知っている)
「……はい」
短く、だがはっきりと返す。黒影はわずかに頷くと、立ち上がり、背後の棚から一冊の古びた黒革の本を取り出して俺の前に置いた。
「導に関する基礎と、闇の応用についての資料だ。読んどけ。神之片鱗の扱い方も後々話す」
「……わかりました」
「ま、気張るな。お前がどこまで行くかは、お前次第だ。だがこの部屋で何を得るかは、お前が目を凝らせるかどうかにかかってる」
その言葉は、どこか皮肉めいていたが、不思議と嫌な感じはしなかった。
それどころか、この人に教わってみたいと思った。
「……これからよろしくお願いします」
そう言って軽く頭を下げると、黒影はわずかに口角を上げた。笑ったのかどうかすらわからないほど、微細な動きだったが、それだけで場の空気が少し和らいだ気がした。
「素直な挨拶ができるやつは嫌いじゃない。……よし、まずはお前の闇を見せてみろ」
「ここでですか?」
「ああ。気を張る必要はない。ただ、普段お前が導を使う時と同じように使ってみろ。」
宵は頷き、静かに息を整えた。一度深く息を吸って――意識を沈める。
静かに目を閉じ、深く、息を吸い込む。
(力を、沈めて――広げる)
意識を自らの内奥へと落とし込み、己の導と呼応する感覚に集中する。すると、わずかに空気が沈んだ。
そして宵の足元から、黒く、霞のような影がゆっくりと立ち上がり始める。陽の届かぬ深淵を思わせるような、静かながらも息苦しさを伴う暗黒。
黒影は一切怯むことなく、その様子を黙って見つめていた。
「……質がいいな」
「質……ですか?」
「導ってのは、素質と性質だ。その闇は、お前の中でまだ整理されていないが……芯がある。潰れていない。雑念で濁ってもいない」
俺はなるほどと頷きながら話を聞く。
「闇の導は本来もっと不安定なもんだ。恐怖や怒り、あるいは絶望。そういう負の感情と結びつきやすい。だが――」
黒影は懐から煙草を取り出して、くるくると指で転がした。
「お前の闇は、深いのに澄んでいる。……これは滅多にない。素質としては上玉すぎる」
宵は自分のまわりに揺蕩う闇に目を落とした。紫紺の光が微かに混じり、ふわりと揺れている。まるで呼吸をしているようだった。
「……この闇は、そんなに珍しいんですか?」
「ああ。そもそも闇の導を授かる人間が少ないんだが。だから指導者も研究資料も不足してる。……俺もずっと手探りで色々やってきた」
そう言って黒影は自嘲気味に鼻を鳴らした。
「ただな。少ないってことは、裏を返せば未開の力ってことでもある。誰も正解を知らない。なら、自分で探せばいい。」
そう呟いたあと、黒影はふと視線を宵へ戻す。淡く揺れる闇が、宵の足元で呼吸を続けているのを確かめながら――
「……だが、忘れるな」
間を置いて、低く、重く、彼は言い切った。
「油断すると、闇そのものに呑まれる」
その声に、過度な脅しや激情はなかった。現実を告げるような静かな警告。
「闇ってのはな、向き合い方を間違えると、あっという間に俺達を呑み込んでくる。お前の意思じゃないところで暴走し、取り返しがつかなくなる。そういう類いの深さもある」
黒影は、ゆっくりと歩み寄る。宵と数歩の距離に立つと、真っ直ぐに見つめた。
「お前の闇は綺麗だ。……だが、綺麗だから安全ってわけじゃない。むしろ逆だ。澄んでるほど、油断すれば深く沈む」
宵は言葉を飲んだ。足元に広がる自分の導が、まるで深海のように広がっているのを改めて意識する。
「いいか、宵。導に呑まれるな。使いこなせ。それがお前自身で探せって意味だ」
その瞳には、教える者としての覚悟と静かな決意が宿っていた。
そして宵は黙って自身の闇を見つめた。その闇が、まるでこちらの心を覗いているような気がして――不思議と、嫌ではなかった。




