第13話 神託顕現 絶対調和
宵は短剣を目前に構え、わずかに膝を曲げて重心を落とす。視線はまっすぐ叶多を捉えていた。
対する叶多も、神之片鱗・武甕槌を手に構え直す。雷を帯びたその刀身が、紫電を閃かせながら小さく鳴る。
演習ホールは、息を呑む静寂に包まれていた。観客席の生徒たちは誰一人声を発さず、ただ目の前の異能同士の激突を見守っている。
(いける――いや、いくしかない)
宵は地を蹴った。瞬間、彼は闇に紛れてフッと叶多の視界から消える。
「……消えた?」
僅かに目を細めた叶多だったが、すぐに気配を察知し、反射的に刀を振るう。
――ギィィィィィィィン!
鋭い金属音が響く。刀と短剣とがぶつかり合い、火花が散った。
「――ッ!」
闇の中から現れた宵の一閃を、叶多は辛くも受け止めていた。雷の刃が闇の短剣と噛み合い、互いのエネルギーが真っ向から衝突する。
叶多の足が一瞬、僅かに軋む。だがその表情は変わらない。むしろ、その奥に潜む興奮が静かに熱を帯び始めていた。
「もっと来ていいよ、まだまだ足りない」
「……なら、遠慮はしないッ」
返す言葉と同時に、宵は一歩踏み込んだ。短剣が弧を描くたび、空間の闇が引き寄せられるようにざわめく。まるで視界そのものが塗り潰されていくかのようだった。
一方の叶多も、稲光のような踏み込みから鋭く刀を振るう。その一撃は、光と雷の軌跡を引き、観る者すべての視界に焼き付いた。
そして一瞬だけ空気がピンと静まった。
「白蓮劔流――雷切ッ!」
雷を纏った目にも止まらぬ袈裟斬りが、上から振り下ろされる。
「――ッ!?」
雷神を思わせるその技に、一瞬だが目を奪われてしまう。その間にも、猛然と襲い掛かる斬撃。宵は即座に身を引いて闇を纏わせた短剣で受け止めるが、刀身と刃がぶつかるたび、周囲に雷の火花が飛び散った。
(速い――けど、ギリギリ見える!)
全身に緊張が走る。だがその中で、宵の目は研ぎ澄まされていく。
――斬撃と斬撃。
――導と導。
互いの力が、拮抗しながらも確実に空気を揺らしていく。
(楽しい……!)
宵の胸は高鳴っていた。恐怖はなかった。あるのはただ真剣勝負の中でしか感じられない、剣士としての歓喜。
だが――その高揚の只中で、ふと、本能がざらりと警鐘を鳴らす。
同時に、叶多の刀が稲妻と化す。雷光が刀身を包み、その輝きが演習ホールの夜空を切り裂いた。
「白蓮劔流――雷轟ッ!!」
雷鳴のごとく轟きながら、空を裂くような一閃。雷を纏ったその斬撃は、真上から鋭く、容赦なく、宵のもとへと振り下ろされようとしていた。
全身の毛穴が開く。剣士としての直感が、今までとは桁違いだと告げていた。
この一撃は一点を討ち砕くためだけに練り上げられた、白蓮劔流の中でも最上位の技、単体への破壊に特化した絶対の一撃。
宵もまた、全力の斬撃で迎え撃とうと力を込めた。その短剣には、闇が空間を歪ませるようにして凝縮されていく。
(……間に合うか? いや、間に合わせるしかない)
一瞬の空白。その中で、脳裏に蘇るのは、かつて剣術所で幾度も繰り返し叩き込まれた型の一つ。その太刀筋に、自分の導である闇をどう溶け込ませるか――思考が爆発的に回転する。
(あの型に……組み込めば――)
僅か一瞬で組み上げた、自分だけの技。
「――靭宵」
宵がその名を告げると同時に、短剣に収束した闇が漆黒の光を帯びる。その質量は明らかに通常とは異なり、まるで重力そのものを束ねたかのような重さを感じさせる。
それは、剣技としての完成度を保ちつつも、闇の導を組み合わせることで攻撃力と破壊力を飛躍的に引き上げた、宵がこの場、この瞬間のために編み出したオリジナルの技。ただ一太刀のための、闇の構築
短剣を構え、沈み込んだ姿勢から闇の発散とともに突きが閃く。それはまさに、剣術の理と闇の導の融合。
それは、守りでも牽制でもない。仕留めるための、ただ一撃。闇の質量が生む加速と重圧が、空間そのものを押し潰すように走った。
――この一撃で決まる。
観客席にいる生徒たちの表情が一斉に強張る。咲弥は無言で腕を組み、珠璃は瞳を見開き、息を飲んだまま動けずにいた。
そして、二人の攻撃がぶつかるコンマ1秒前。
セリエ先生の瞳が、ふたりの命を交差する未来を捉える。危険だ、と。それは一瞬の判断だった。彼女は無言のまま、すっと右手を前に出す。空気が震える。二人の中に流れる力が、止まったような錯覚さえ覚える。
そして次の瞬間、演習ホールに神聖な空気が流れ込む。
演習ホールの天井付近、空間がわずかに揺れたかと思うと――光が降り、そこに《《人型の何か》》が現れる。
それは輪郭すらあやふやな、柔らかく光る存在。こちらに両手を広げるようにしており、瞳も顔もはっきりとは視えない。だが、それが人知を超えたものの象徴であることだけは、誰の目にも明らかだった。
「な……んだ、あれ……?」
生徒たちの誰かが呟いた。だが、誰もが言葉を続けられなかった。
更に、宵と叶多の足元、半径10メートル程の範囲からいくつもの《《言葉》》があふれ出す。一文字ずつ紐のように編まれたそれらは、まるで祈りを記した祝詞のよう。「静」「和」「穏」「澄」「律」「均」といった言葉が、光の帯となって天へと導かれていく。
「――神託顕現 絶対調和」
その声は、誰にも聞き取れないほどの微かな囁きだった。だが次の瞬間、ぶつかり合おうとしていた二つの刃がたちまち掻き消え、霧散した。
「――!?僕の……刀が……」
叶多が、信じられないというように手元を見つめる。宵もまた、手元にあったはずの神之片鱗が完全に消失しており目を見開いた。
「これは……?」
誰もが、息を呑むしかなかった。
【神託顕現】
それは神之片鱗すらも沈黙させる力。だが、この場にいる誰一人としてその名を知る者はいなかった。ただ、胸の奥に刻まれる理解不能な何かへの、震えるような敬意と畏れ。
そして天井付近に浮かんでいた光の人影が、ふわりと揺らめき、静かに消えていく。紐状に天へと昇っていた光の文字もまた、役目を終えたように音もなく解け、空気へ還る。
セリエ先生はそっと右手を下ろした。その動きには、微塵の疲れも迷いもない。まるで何事もなかったかのように、優しく、それでいて確かな声音で告げる。
「……模擬戦はここまでとします」
張りつめていた空気が解ける。観客席の生徒たちはようやく息を吐き、ざわつきが広がった。
先生は一歩前へ出ると、演習ホールの中央で向かい合う宵と叶多を見つめ、静かに言葉を紡いだ。
「……このまま続けていれば、お二人の命に関わると判断しました。なのでそうなる前に止めさせて頂きました」
声はあくまで穏やかだったが、その一言に込められた想いは、すべての生徒に伝わった。
「神之片鱗は、強く、そして繊細な力です。貴方たちが見せてくれたその力と技は、十分すぎるほど素晴らしかった……けれど、それ以上に、自分の命と他人の命を大切にできること。そこに、強さの本質があると私は考えています。」
生徒たちの誰もが、返す言葉を持たなかった。ただ真っ直ぐに、セリエ先生の言葉を胸に刻んでいた。
宵と叶多は、互いに一歩引いた位置で、静かに息を吐く。
まだ少し熱を帯びた視線がぶつかり、ふとした沈黙の後どちらからともなく、わずかに笑った。
「……楽しかったよ」
「同じく」
それ以上の言葉はいらなかった。わかり合えた。ただそれだけで、十分だった。